Ejercito Zapatista de Liberacion National(EZLN)
サパティスタ民族解放軍

2009.02.09 / Mexico(San Cristbal De Las Casas~Oventic~San Cristbal)

 Today I went to Oventic which village is Zapatista's external information place. I received stimulation to see their struggle style.
 1994年1月1日、メキシコ最南端の州チアパスでマヤ系のインディオを主体とするサパティスタ民族解放軍が一斉蜂起する。サパティスタが蜂起した際の要求とは、「第一ラカンドン宣言」に見ることができる。人民による自由かつ民主的な行政選出権、労働・土地・住宅・食料・健康・教育・独立・自由・民主主義・正義、そして平和を追求することが宣言され、「革命農地法」「女性に関する革命法」「都市改革法」「労働法・現行法の補足」「産業・商業法」「社会保障法」「裁判法」といった形で、具体的な要求と施策が明記されている。スペインからの独立、メキシコ革命を経ても、一向に解決されることのなかった、先住民に対する征服以来の政治的・経済的・社会的無権利状態からの脱却を要求したのである。蜂起以来十年以上を経た今日にいたるまで、政府軍との間でこう着状態が続いている。そのこう着状態が長期化する過程で、チアパスの少なくとも一部のインディオ村落では、死への恐怖がなかば日常と化している。1997年12月22日、アクアテルという村で、悲劇的な状況を象徴的に物語る虐殺が起こった。「夕方まで続いた銃撃、追撃のあとには、目を覆う惨状だけがのこされた。34人の女性の遺体、その中には生後8ヶ月の乳児から12才までの女児11人のほかに腹を山刀で切り裂かれた4人の妊婦も含まれていた。男性は2才から9才までの男子3人を含む11人が犠牲となる。その他負傷者は26名におよんだ。」(清水透:アクアテルの虐殺/2005より引用)

 サパティスタの対外情報所のある村、オベンティックに行ってきました。自転車で行くには距離があり、かつ山を上り下りする大変な場所だということで、タクシーで行く事にしました。が、このタクシー一人では行ってくれないんです。4人乗客が集まるまで出発してくれない・・・1時間ほど待った後、ようやく人が集まったので出発。相乗りタクシーに揺られ、ウネウネする山道に若干気持ち悪くなり、「やっぱり、乗り物は自転車がいい・・・」と思っていると、出発してから1時間ほどして入り口が柵で閉ざされている村に到着。

 ここで降りるのはどうやら僕だけ。降りて入り口に向かうと、柵の向こうに、バンダナで顔半分隠したおばさんが立っていました。「オベンティックの村に入りたいのですが」というと、「パスポートを出して」と。Casa Kasaでオベンティックではパスポートを要求されるよと事前に聞いていたので、要求されるがまま、パスポートを出すと、そのまま、おばちゃんはちょっと奥にある建物へ。しばらくして、出てきたおばちゃんが村の扉を開けてくれ、僕を招き入れる。そして、先ほどおばちゃんが入っていった建物に案内されると、そこで、名前やら国籍やら所属(仕事)を聞かれ、なにやら書類に書き込まれる。その後、書類を書いてくれたおじさんに別の建物に案内され、入り口で待てと。20分くらい待たされた後、扉が開き、黒覆面のおじさんに中に招かれた。うーむ、物々しい警戒・・・中では5人のサパティスタの方々が座っており、面接が始まった。名前やら、目的やら、多分聞かれるであろうことは答えを用意していたのだが、次第によく分からないスペイン語で話が展開していく・・・多分、サパティスタの歴史か現状について語ってくれているのだろうが・・・あぁ、言葉が分からないってやっぱり辛い!思想で活動している人たちの言葉が分からなくてどうする?それこそ、何しにきたのだ?う~ん、グアテマラに行ってスペイン語学校に通って学ぶぞ!と心の中では叫んで見たが、今の状況では、言われていることがサッパリ分からない。あぁ、冷やかしで来たと思われていないだろうか?そんなに彼らの活動について知っているわけではない。そんな知らない状況で、興味半分で来たというのも確かである。でも、実際に触れてみたから深い興味が沸くということもあるじゃないですか。本や知識によって知ること以上に、自分の体で感じてみることによって、興味半分が本気に変わる可能性だってあるのです、と誰に向かって言い訳しているのか分からないことを心で思いながら、スペイン語で語られる彼らの言葉に一生懸命耳を向けていました。

 そんな思いが通じたのかどうか、とにかく村を歩いてよしという許可証を発行してもらえまして。建物を出て、村に向かいました。病院、教会、学校などがプレハブのような建物になって並んでいる村はいたって平穏な様子。覆面をしていた人たちは、入り口で取調べをした人たちだけで、他の村の人たちは、素顔で歩いている。すれ違う時「オラ」と挨拶すると、笑顔で挨拶を返してくれたりもする。他の村と違っているところといえば、建物の壁が絵で埋め尽くされていること。アート壁画になっている。革命者として崇拝しているのか、ゲバラのイコンなどが描かれていたり、なぜか、日本語で「幸せは歩いてこない」と書かれた壁も。

 ここに、本当に闘争はあるのか?

 長期化するこう着状態は、闘争そのものをあいまいにしてしまうのではないのか?

 オベンティック村内部や周辺の村の平穏さを考えると、異端な感じがしたオベンティック入り口の柵と覆面姿のサパティスタの人々。いや、自由獲得のために闘争中である彼らにとっては、平穏さこそ、見せ掛けなのかもしれない。このいつひっくり返るか分からない危うい緊張感を感じ取れたのは、僕にとって、ここにわざわざ来て得た大きな収穫でした。

 帰りがけ、お土産屋で見つけたデザインポスター。サパティスタの黒覆面をした三つ編みの少女。かわいさの中になにか刹那さを感じるグッと来るデザインでした。