Dê poder a para viver
弓場ファームステイ12日目:イキルチカラ

2010.03.28 / Brasil (Comunidad Yuba) 本日自転車36km走行 : Total 17440km走行
天気:曇時々晴、夜になり雨 自転車折りたたみ:1 ネット:1
朝飯→弓場のウマイ飯 昼飯→弓場のウマイ飯 夕飯→弓場のウマイ飯(牛肉) / 宿→弓場農場でファームステイ

(English)
 Today is day off.



(Español)
 Hoy está apagado día.



(Português)
 Hoje é dia fora.
 待望の日曜日。そして先週の日曜日と変わらない生活パターンの一日だった。結局朝6時に目が覚め、午前中は日記のまとめ書き。午後ミランダポリスへ自転車で行き、ネットカフェへ。弓場に戻って夕飯をいただき、City of GodのDVDを30分ほど見て寝る。

 さて、本日の日記メモはあまりにも書くことがなかったので、今日はちょいと弓場農場に来て思ったことをつらつらと書いてみようと思う。

 農作業は、基本的に機械を使わず人力で行っている弓場。もちろん、トラクターや耕運機や脱穀機など機械類を使う作業もあることはあるのだが、多くの作業は、手作業で行われている。

 この弓場のやり方、オイラ的にはシックリくる。なんのことはない、これは自転車旅と同じなのだ。自転車旅行って、バスや車で行けばいい旅を、わざわざ自転車でやる。一方、弓場での農作業は、今や、便利な農耕機械があるから効率的にそれらを使ってやればいいんじゃないという考え方もあるのだろうけど、あえて、わざわざ手作業でやれるところは手作業でやる。

 効率より、意義

 配達に行った時に聞いたのだが、自分達で作った作物を売るより、レモンやパイナップルなど、仕入れてきたものを卸すほうが、儲けになるらしい。じゃぁ、仕入れたものを卸す商売をしたほうがいいんじゃないか、と考えちゃうのは、資本主義的発想なわけで。人生の目的を<お金>ではなく、<意義のある働き>と捉えた場合、儲けは薄くとも、自分達で作物を作り、それを販売するという方を優先して考えるのが当然となるのではないでしょうか?

 人生、何に意義をおくか、ということだ。弓場の人たちは、効率的に生活するより、<自分の手で世界と格闘しているという実感を得るほうが大事>という生き方を選んでいる(ように見える)。この感覚で包まれている弓場の生活は、スゴク居心地がいい。

 そして・・・ここにいると、お金を使わない。もちろん、旅人としては、食住を提供していただいているからなのだが。弓場農場に住む人たちも、その食住は、ほぼ自給自足されているとのこと(もちろん、生活をしていく上で、自分達だけで解決できないモノなどはあり、お金なるものが必要となるのも事実であり、ツネさんの話などを聞くと、それはそれで大変のようなのだが)。生活に必要な<基本的な>モノは、自分達でなんとかするというのが、ここ弓場の生活スタイルのようなのだ。

 で、この<生活に必要な基本的なモノを自分達でなんとかできる>というのは、生きるということに対して、とても強いことだと思う。旅をして、そして、ここ弓場で生活して、いかに自分の日本での生活が<生活に必要な基本的なモノ>を見も知らずの他者に依存していたか、ということを実感する。この、「自分の生活の根幹を知らない人に委ねることができる」コトは、近代社会が到達した境地なのかもしれないが、これは、生きていく上でなにかしら常に不安をかかえていくことになるのではないだろうか?この不安は、生きる気持ちを弱めてしまうネガティブパワーを持っているのではないか?、と思うのです。今の日本の覇気のなさ。一見非効率に見えるも、生活の根幹を自分達の手で握って生きている中南米の人たちの目の輝きの強さ。

 生きる気持ちを強くする生活

 自分は、自転車旅行にしろ、なにか<生きていくうえでの強さ>みたいなものを求めているのかもしれない。分からないものに、自分の生活の根幹を委ねる不安を解消し、自分の生活の根幹はしっかりと自分で握っておきたいという意識。その意識がゆえに、農業に興味を持ったのかもしれない。ここ弓場で農業体験をさせていただき、農業というものは、とても、軽はずみにできることではないことも分かったのだが、自分の食べるものを自分で作る、自分が生活する場所は自分で確保する。これが、どれだけ<生きる>という気持ちを強くすることか、ということを学べたのは、弓場で生活をしたから。そして、もうちょっと、ここ弓場で、生きる気持ちの強さを充電させていただきたいと思うのです。