Hacia Rutas Salvajes
荒野へ

2010.07.01 / Argentina (Buenos Aires) 本日自転車0km走行 : Total 19891km走行
天気:曇 ネット:1
朝飯→リゾット:Quijada肉(自炊) 昼飯→クッキー 夕飯→牛タンカレー:牛タン(自炊) / 宿→上野山荘別館

(English)
 I watched the movie "Into the Wild".



(Español)
 Miré la película "Hacia Rutas Salvajes".
 今日はボカ地区へ行って、カミニートをブラブラしようと思っていたのだが、朝から天気がすぐれない。せっかく色鮮やかなカミニートを散歩するのであれば、晴れた時の方がいいに決まっている。どうせブエノスにはまだまだ滞在する予定なので、お出かけはまた今度ってことにして、今日はまた、宿でまったり。昼過ぎから牛タンカレーを仕込みはじめた。カレー自体の味付けは相当レベル高いところまでいったのだが・・・ジックリ時間をかけて煮込んだにも関わらず、牛タンがトロトロにならず、ちと残念。圧力鍋があればなぁ・・・

 さて、そんなカレーつくりにジックリ時間をかけられるほどまったりと時が流れていた本日、まったりと過ごした宿では、読書と映画鑑賞に没頭していたんです。

 読んだ本と映画は<Into the Wild>。クリストファー・J・マッカンドレスという実在した北米の一人の若者が、ヒッチハイクでアラスカまで向かった旅を描いた、ノンフィクション・ドキュメンタリーの原作本と、それを基にショーン・ペンが監督して制作されたロードムービー。

 これ、映画は、オイラがこの自転車旅に出る直前の時期に日本で公開されていて。予告編だけ見て気になっていたんですよ。旅/アラスカという、その時のオイラのキーワードとマッチしていたし。でも、出発前ということもあり、バタバタして結局映画は見れなかったんです。

 その後、旅の途中でネットを覗くと、この映画、かなり評判よくて。あぁ、見ておけばよかったなぁと後悔していたんです。そんな映画のDVDにようやく遭遇。さらに、原作本まで置いてありまして。早速映画を・・・と思ったのですが、DVDが英語&スペイン語版ということもあり、まず原作を読んで流れをつかんでから、映画を見ることに。

 * * * 以降ネタばれアリ

 原作は、アラスカの荒野で、一人の若者の腐乱死体が発見されるところから始まる。その若者こそ、主人公となるマッカンドレス。この本では、彼の残した日記を基点とし、ライターのジョン・クラカワーが、彼の遍歴を細かく調べ、足跡を物語化している。そういう過程で書かれたものなので、本では、マッカンドレス視点ではなく、彼にまつわるいろいろな情報が、モザイク的に貼り合わされている。彼が旅途中で出会った人の証言、仲のよかった妹の想い、確執していた両親とのコト、彼の幼少時代からの生い立ち・・・また、彼と似たように荒野へ挑み死した別の旅人たちのエピソードなども挿入され、多面的に<彼が求めていたものはなんだったのか>ということを、あぶりだしていくような構成になっている。

 このモザイク的な情報構成の原作を、どうやって映画化したのだろう?と、本を読みながら、映画を見る楽しみがどんどんあがっていくオイラ。

 で、見始めた映画・・・見事なまとめかたでした。本ではいろんな人たちの視点で描かれていた数々のエピソードを、映像では、基本的にマッカンドレス視点に置き換え、彼の体験としてエピソードが描かれていく。これにより、見ていると、次第に彼に同化することになり、映画を<体験>することができるようになる。唯一、妹の想いのみが、モノローグとして語られ、途中途中に挿入されていたところが、映画的にはスパイスとして働いていていい感じ。

 時間・空間は解体され、時間軸が交差して語られる流れは、映画も本同様であるのだが、この交差も、分かりやすい。逆に、アラスカでの孤独な生き方と、アラスカに辿り着くまえの旅途中で出会った人たちとの交流を、交互に展開していくモンタージュ技法を使った映画版の方が、人生のせつなさ、理不尽さを強烈に浮かび上がらせていたような気がする。それは、マッカンドレスが、アラスカの大自然の中で、孤独に過ごしながら思い至った「自分達の周囲の人々の生活と同じ生活、さざなみを立てることもなく合流しあえる生活だけが、正真正銘の生活であり、わかちあえない幸福は幸福ではない」という想いと、そしてそんな想いに至ったにも関わらず、再び周囲の人々と触れ合うことなく、アラスカの荒野の中で、廃棄されたバスの中で寝袋に包まり、一人、死してしまった、マッカンドレスの姿に見てとれる。このコントラストが、見ている人を戸惑わせ、涙を誘う。

 オイラは、現在、彼ほど求道的な旅をしているワケではない。豊かで特権的な生活を棄て、禁欲主義的に、モラルに厳格に、危険をそして逆境を求めるような旅・・・そこまでは、至れないのだ。でも、どこかで、そういう旅に憧れている自分がいる。憧れているが、至れないがゆえに、彼の物語に惹かれてしまうのかもしれない。本をそして映画を見終わった後、ものすごく何か、心が動かされてしまった自分がいた。

 ただひたすら精神的な飢えと、奇妙でえたいのしれない、強烈な憧れに対するやむにやまれぬ欲求に駆り立てられ、荒野へと乗り出す行為に共感する。そして、オイラ以上の勇気と向こうみずな天真爛漫さに憧れる。

 本の中では、マッカンドレスの旅を理解する補助情報として、アイスランドの東南沿岸沖のパポスという島に最初に辿り着き住みついた修道士たちのことを紹介している。「こうした驚くべき航海はもっぱら・・・この世捨て人たちが浮世の騒ぎや誘惑に悩まされることなく、平和に暮らすことの出来る人里離れた場所を発見しようとする願いから企てられたものなのである(北極探検家フリチョフ・ナンセン)」

 そうそう、死してしまう旅人本としては<サハラに死す>も壮絶でお勧め。アフリカにとりつかれた旅人、上温湯隆さんのラクダ旅を描いたこの本、弓場で写真家ヨシさんに勧められて読んだんだけど・・・涙なくして読めませぬ。