(English)
Today we stayed in Bulawayo.
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アフリカを走り始めて、気になっていることがありまして。それは、動画編集。アフリカではネット事情がイマイチなので、データ量が大きい動画は、アップしづらく、ショートフィルム形式で作成することにしたのですが、それでも、アップが大変なので、どうしたもんか、と編集を中断して走り続けているうちに、撮りためた素材がハードディスクにいっぱいたまってきたんです。
貯めてしまった素材の編集がえらく時間がかかることは、パタゴニア編の作業を通じて体感済みのオイラ、アップはともかく、編集くらいはやっておかないと、後で大変なことになる、とずっと気にしていたのですよ。こういうのをやらずにほおっておけない性格が、旅をたびたび中断させてしまう。ここブラワヨが、居心地よくなってきたこともあり、ココでしばらく腰を落ち着けるのもありか、と思い、気になっていた動画編集に手をつけ始めることにしたんです。いやぁ、久々の動画編集は面白い・・・のだが、ここで気づいたことが一つ。
編集&アップを中断していた頃、撮影した素材が、適当すぎるのだ。以前はちゃんと編集することを考えて、自身の視点映像とともに、オイラ自身が写っている第三者視点映像も押さえとして撮っていたのに、適当な自身視点映像ばかりになっている。しかも、収録されているしゃべりが超適当。
う~ん、カメラで何をどう撮るかは、<後でどう使うか>ということに基づいているのだ、ということを実感したんですよ。以前、スチル写真と比べて、動画は撮影する、という敷居が高いということを日記に書いたと思うのだが、あの頃は、スチル写真は、HPの日記に使うという前提があったために、それの素材になりそうなものをかたっぱしから撮りまくればいい、という状態だったのに対して、動画は、撮っても、どう編集するか、というアイデアがなかったんです。だから、動画カメラをどのタイミングで、どう回せばいいのかに悩んでいた。それが、走行記録映像、として、ただ走っている行程を映像としてまとめることに決めたら、走行記録映像の編集時を想定して、撮影するようになりまして。そしたら、動画をどう撮ればいいか、ということを、その場で悩まなくなって、スチル写真と同様に、気軽に、動画シャッターを押せるようになったのですよ。
が、その編集が中断してしまったここ最近、、再び、動画をどう撮るべきか、という疑問が頭に浮かぶようになりまして。撮影した素材には迷いが見えるし、そもそも、動画カメラを向けるということも減ってしまった。
そう、いい素材は<どう使うか>という前提が頭にあってこそ、撮れるものなのだろう。撮ったから作るではなく、作りたいから撮る、ってことだ。
・・・それにしても、ブラワヨは、停電が多すぎる(いや、ブラワヨに限らず、ジンバブエでは停電が多い)。せっかく編集作業にノッていても、電気が切れて、中断。これさえなければ、作業環境として完璧なのに・・・ま、その間は、ムビラを弾いているから、いいんですけどね。ロウソクの明かりでムビラの音色、結構キマスよ、これ。
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