Giving something to someone
人々の好意に甘えて生きる旅人が出来るお返しとは:ジャンベ修行Ⅳ7日目

2012.5.8 / Senegal(Toubab Dialao) 本日 自転車0km走行 : Total 37480km走行
天気:晴 ネット:1
朝飯→フランスパンサンド 昼飯→チェブジェン 夕飯→チェブジェン / 宿→La Mimosa(5000CFA)

(English)
 I stayed in Toubab Dialao. I was learning Djembe here.



 今日もヴィア・レッスンは、ソロプレイの続き。<シンテ>のリズムに乗せるソロフレーズを教わる・・・と思ったのだが、この<シンテ>、そもそも前奏のキメとベースとなるリズムがなかなか難しい。以前に習ったのをまだ完全にマスターしていないことを指摘され、ソロの前にまず、ベースのリズムをしっかり、と、復習に大いに時間をとられてしまい、今日教わったソロフレーズはちょっとだけ。

 さて、なんだかんだいってテゥバブジャラゥにはもう10日も滞在しちゃっていまして。最初、ビミョウな居心地と言っていたここも、住めば都、今では溶け込んで・・・というものでもないんです。居心地は今もビミョウな感じ。相変わらず、ここの人たちとの距離感が難しい。

 朝起きて、まず朝飯を食べに外へいく。すると、通り道ですれ違う人たちが、必ず挨拶してくるのですよ。中には顔なじみになった人たちもいるのだが、大抵はそうではない人たち。皆さん基本的にフレンドリーなんでね。目が合ったら、とりあえず、挨拶。手を差し伸べられたら、とりあえず握手。ま、この朝の挨拶は、別にどうってことはない。で、定番となったフランスパンサンドの屋台へ到着してから、難しい人間関係が始まる。ここ、おいしいパンを出してくれる店なんで、地元の人たちがたむろっているのです。で、そんな中にオイラが入ると・・・早速絡まれるのですよ。カフェトゥバ片手にパンをかじっていると、話しかけてくる。普通にしゃべっている分にはいいのだが、話の最後に、「ところで・・・昨日から何も食べてないんだ。パンおごってくれよ」とくる。こう言われちゃうと、その後の関係が続かない。おごる余裕がないオイラは、その時点で、関係を拒否しちゃうから。

 後味悪い感じでパンを食べ終え、一旦宿へ戻る。帰り道、オイラのことを「ジャパン」と呼ぶ、妙にテンションの高いお兄さんが寄って来る。この人は特に何かを要求してくるわけではないのだが、テンション高い慣れ慣れしさが、ちょっとめんどくさい。そして、一度つかまると、しばらく開放してくれない。

 その後、レッスンのために海岸へ。待ち合わせ場所で待っていたら、ここでもとにかく挨拶されまくり。ええ、挨拶はいいんです。挨拶のあとに「なんかくれ」って言ってくるのがめんどくさいだけで。

 で、レッスン後、ヴィアが水を飲むために立ち寄った土産屋では、おばちゃんたちから「アクセサリーを買っていけ」攻撃を食らう土産屋もノンビリさせてくれない。

 その後、宿に戻って、中庭で、練習用カホンを使って自己練習していると、「飯が出来たよ」と声がかかる。なんかオイラは、この宿のおばちゃんに気に入られたようで、昼飯は、ご家族と一緒の席に同席して、タダ飯を食わせていただいているのですよ。ありがたいことです。が、タダで食べさせてくれているのは、おばちゃんの判断でして。おばちゃんが不在だった本日も、一応、いつもどおり、食事に誘ってくれるので、テーブルに同席して食べていたら・・・「今日は金払え」攻撃が始まりまして。おばちゃんがいないと、そうなるか。いつも、フレンドリーに接してくれていた宿のお兄ちゃんファルまで、「金払え」攻撃をしてきたのが、ちょっとショック・・・ああ、この宿は、おばちゃんがいるからオアシスになっているだけで、おばちゃんがいなかったら、外の世界と同じなのねん・・・

 で、ここの場は、「昼食はおばちゃんが払わなくていいって言ってるから」と言い切って支払いを逃れ、近くのホテル<Sobo Bade>へ遊びに行く。ここは、フリーのWiFiが飛んでいて、宿泊客でもないオイラにも勝手に使わせてくれる懐深い場所でして(実はドリンクオーダーが必須だったらしい)。ヘンな地元民は入って来れないらしく、ヘンな絡まれ方はしないここで、お金持ちそうなセネガル人と一緒に、ゆったりとパソコン作業。

 その後、宿に戻ってまた太鼓練習。夕刻、気分転換がてら、外に飯を食べに行こうと散歩していたら、途中でヴィア師匠に出会った。「どこ行くんだ?」というヴィアに「これから夕飯」みたいな話を返したら、ヴィアと一緒にいた男が「腹減ってるんだ。ついていくからなんか食べさせてくれ」と絡んできた。「いや、申し訳ない、一人でユックリ食べたいんで」と振り切る。

 さて、ようやく辿り着いた食堂。ここは、店のマスターのお兄ちゃんがいい人なので、人と接しながらもくつろげる唯一の場所でして。ここで、ノンビリ夕飯タイム。

 で、宿に戻る途中、海岸で繰り広げられているジャンベプレイを見ていたら、また人が寄って絡んでくる。で、先ほど売店で買ったみかんを見つけられ「そのみかん、ひとつくれないか?」と言い寄られる。

 最初は、こうやって絡んでくる感じは、観光地だからなぁ・・・って思っていたのですが、ジャンベレッスン中、寄って来た少年たちに、普通にポケットからコインを取り出し、渡していたヴィアの行為を見て、これは、別にオイラが観光客だから絡まれるワケではないのだ、と判明。「なんかくれ」って言ってくるのは、生い立ちと、宗教的側面が要因なんだと。タリベな少年的な幼少時代をすごしていれば、金持ちに見える観光客にモノや金を無心するのがあたりまえ、って感覚になっているんだなぁ、と。

 富を持っているものは、貧しいものへ施しを。日本人的にはなじみが薄い<施し>という感覚。旅に出ると、世界はこの<施し>で溢れていると気づかされる。

 よくよく考えたら、人から施しを受けながら旅をしているという意味では、今のオイラも同じなのだ。人の好意に甘えて旅を続けている。現に宿のおばちゃんにタダ飯食わせてもらっているし。オイラはダイレクトに「なんかくれ」なんて言ったりしないだけで。

 う~ん、そう考えたら、好意をもらいっぱなしのオイラが、ここの人たちをウザがるのはどうなのか、と思い始めまして。正直、お金やモノを施すということが出来る身分じゃない(いや、現地のセネガル人と比べると、十分に金を持っている身分なのだが)ので、施しは出来ないのだが、少なくとも、避けることで逃れるのはやめようと思ったんです。

 で、前向きになったら、この村がちょっと面白いことになってきまして。絡んでくるお兄ちゃんの「モノくれ」攻撃をかわしながら、ダラダラと無駄話をしていたら、「レスリング知っているか?」っていきなり話が飛び、オイラに挑んできまして。そこは柔道黒帯のオイラ、すかさず柔道技の払い腰で、フォールダウン直前まで追い込んだら、すっかりセネガル相撲達人達人扱いされるようになっちゃいまして。「その技をぜひ伝授してくれ」という彼らに柔道技を教えたら、喜んでもらえてちゃって。ああ、そうか、オイラの場合は、こういうカタチで、好意を返していけばいいんだ、って気づいたのですよ。

 そうだ、これからも、こういうカタチで、好意を伝えていくことにしよう。それが、たとえ直接好意をもらった相手でなくても。だって、好意とは巡り巡るものなのだから。