Everyone gets old. Not everyone grows up
旅は人を大人にするのか?

2012.12.07 / Albania(Tirana) 本日 自転車0km走行 : Total 42251km走行
天気:曇 ネット:1
朝飯→宿の朝食 昼飯→イカパスタ 夕飯→サンドイッチ / 宿→Tirana Backpaker(10ユーロ)

(English)
 I stayed in Tirana. I wrote diary all day long.



 突然だが、オイラは<幸せ>が好きだ。いや、こんな書き方では、幸せなんて誰でも好きだから、あえて宣言するもんじゃないでしょ、と勘違いされちゃうか。

 言い直そう・・・オイラは<幸せとは何かを考えること>が好きだ。

 もちろん、そんな哲学的な問いに、答えなんてあるわけがない。しかし、このテーマは昔から考える人達を虜にしてきたらしく、これまでいろいろな<幸せ論>が論じられている。

 MSNのドニッチ!に、日本の芸能界をネタにしながら、そんな<幸せ論>を語っている連載コラムがある。週一で掲載されている<ぐっどうぃる博士の芸能ニュース解説+>だ。<幸せとは何かを考えること>が好きなオイラは、毎週このコラムを楽しみにして読んでいる。

 今週のテーマは<大人になれない大人>であった。社会に関わらず、自由きままに生きている人間は、大人になれない、そして幸せになれない、という話だ。

 うむむ、これは、ひょっとしてオイラの話ではないか・・・

 ということで、今週、かなり考えさせられる内容だったので、日記に書いておくことにする。

 大人になるというのは、一言で言えば、社会組織、家族、地域社会に属し、貢献することだ、と、このコラムで博士は言う。自分の希望や夢を叶えることが一番ではなく、それらのコミュニティに身をささげた生き方をするのが大人だと。

 で、大きくなったのに、こうしたコミュニティに属そうとしないで自由に生きている<大人になれない大人>は、幸せにはなれず、虚しさを抱くだけだ、という。

 なぜ虚しさを抱くのかというと・・・我々人間とは、他人との関係の中で自分を見出すものだ。会社に貢献できている僕、妻や子供に必要とされている僕、地域社会になくはならない僕、という具合に。だから、コミュニティに属さない<大人になれない大人>は、存在価値がよくわからない自分になって、虚しくなってしまう、と博士は論じる。

 なるほど。一理ある。

 確かに、オイラのように自由に旅をするのが、マイノリティーである日本では、オイラのような存在は、コミュニティの外の存在になってしまうと思う。こんなんなったオイラは、日本に帰ってから、やっていけるだろうか?という今のオイラが抱えている不安は、おそらく、<日本にあるマジョリティなコミュニティには属さない人間になってしまった>自分を自覚してのことなのだろう。

 一方で、欧州を走っている時には、むしろ、こういう旅をしている自分であることが、心を満たしてくれる要素になっていた。それは、オイラのように自由に旅をすることが、欧州では、マジョリティーだからなのだろう。<自由に旅をすることを許容するコミュニティ>が、欧州には存在する。その中にいると、オイラの存在価値が認められる。「ヨシの旅は、僕の夢だ」とカルロスや、マテオさんが言ってくれたように。

 じゃぁ、欧州ではオイラは大人なのか?と言われると、それもなんか違うような気がする。

 ちなみに、博士が言うには、大人になるには、<通過儀礼>なるものを通らないといけないらしい。我々は、ある時期までは両親が守ってくれて、自分の好きなことを好きなようにしていい世界に生きている。みんなが味方で、みんなが優しい。しかし、社会に出ると、とたんにとても理不尽で、自分を否定され、敵だらけの世界に放り出される。この<自分の力ではどうしようもない>と感じる状況に遭遇することが、大人になるために重要なことだ、というのだ。

 そういえば・・・<下痢><盗難><(あと一つは忘れた)>の3つを経験してこそ真の旅人になる、なんて話を聞いたことがありまして。この3つは、できれば経験したくないことばかり。そんなの経験しないで、旅を終えたほうがいいじゃん・・・と思っていたんですけど・・・この3つとも経験したオイラは、博士の<大人になるためには通過儀礼が必要だ>という話を聞いて、なるほど、と思っちゃったんですよ。<下痢><盗難><(あと一つは忘れた)>・・・これ、3つとも、旅の中で味わう体験の中で特に理不尽なこと。つまり、この3つを体験することで、旅人として大人になれるってことなのか、と。

 「ただ楽しい」で終わった旅は、人を大人にしないが、「理不尽でツライ出来事」に遭遇した旅は、人を大人にするきっかけを与えてくれる。

 まぁ、下痢をしたからといって大人になれるとは思いませんが・・・フランスでの盗難事件の後と前では、オイラの中で何かが大きく変わったのは確か。自分ではどうしようもない理不尽が、世の中には存在するんだということを認めざるをえなかった。

 そうそう、そうやって自分ではどうにもならない理不尽を認め、「自分など、どうてもいいんだ」と心の底から理解出来た時、大人に近づくんだよ。そして、「自分などどうでもいいから、犠牲になって周りに貢献します」となれば、もう、大人だ、と。

 う~ん、なんか、新興宗教の洗脳のような論理展開だな(笑)

 まぁ、犠牲って言葉が強いから、変な感じなんだけど・・・要は、誰かのために生きるようになるってことでしょ。そう言う論理で言うと・・・オイラは、まだ大人にはなりきれない大人ってことだ。まだ理不尽には屈し切れていない。まだ自分で自分を楽しみたいって思いが捨てきれない。

 しかしまぁ、<理不尽>が、人を大人にしてくれるんだ、なんて聞いちゃうと、なんか、理不尽な目に遭うのがそんなに悪いことでもないような気がしてくるのが不思議だ。そう、このぐっどうぃる博士の<幸せ論>には、「なるほど、そう考えると、生きるのが楽になるな」というヒントがちりばめられている。生きるのがキツイなと思っている人に、このコラム、オススメです。読んでみると、心が晴れてきますよ。