(English)
I stayed in Kokrobite.
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今日はサムが出勤してきたので、レッスン三日目ということで、今日も、コシュカシュを教えてもらうことに。今日は、今まで習った技を組み合わせてリズムを作る、コンビネーションについて、習った。
ディレイドフリップフロップの技の最中にサードフィンガーヒッティングを入れることで、装飾音となり、よりビートに勢いが出るパターンや、ヘリを多用して表打ち裏打ちを駆使した面白いリズムパターンとか、ハードヒッティングであるデンデンを挿入してトリッキーな印象を与えるリズムパターンとか。
これらを習うことで、ようやく、一見複雑に見えるコシュカシュのリズム複合技パターンの仕組みが分かってきた。一つ一つは理解可能な単純な技なのだが、それらを組み合わせることで、複雑なパターンが生まれるのだ。
そうそう、西アフリカの太鼓音楽の特徴は、種類の違う複数のビートを掛け合わせてしまうことで、ワケの分からないビートを生むポリリズム。この、「どうやっているのかさっぱり分からない」という煙に巻くところが、西アフリカのリズム音楽の面白さである。
で、この、<ワケの分からないもの>・・・ってのには、ある種のパワーが宿る。それは、それをワケ分からないと思って見る人を惑わす力だ。ビートに体が乗ってしまうという好奇心の反面、頭では理解できないがゆえに生まれる畏怖。
理解を超えているという意味で、あたかも、あちらの世界と交信しているような崇高な印象さえ与える。
音楽が、呪術やお祓いに用いられるのは、音楽にはこういうパワーがあるからだと思う。
で、これら音楽の仕組みを理解するということは、そのパワーを手に入れるということにもつながるのですよ。ただ聴いているだけだと、惑わされる側なのだが、仕組みを理解することによって、自らは惑わされることはなくなり、惑わす側に立てるようになる。
オイラは、このパワーを手に入れたくて、音楽をやっているのかも。
人を惑わすとか言うと、なんか怪しい感じがするけど、タネを知らない手品をスゲーと言って見るのと同じですよ。知らないうちは、惑わされることで、心がドキドキする。あのエンターテイメント感ってことなんです。タネを知っちゃうと、なんだ、ってなっちゃうところも、音楽と手品は似ている。
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