Greed
ダラッとすることの意義/欲求とは果てぬものなのか

2013.9.1 / Norway(Mo i Rana) 本日 自転車0km走行 : Total 47812km走行
天気:雨 ネット:1
朝飯→パン 昼飯→お菓子 夕飯→蒸かしジャガイモ / 宿→Stalkameratene(ドミ泊120ノルウェークローナ→タダにしてくれた)

(English)
 I stayed in Mo i Rana to get new bicycle parts from Japan.



 会議室の個人部屋に移ってから、さらにダラッとした生活になってしまった。もはや、写真整理にすら手をつけていない。ダラッとしているのが心地いい。荷物を待たなきゃいけないからさ、ということを理由にした、毎日特に何もやることがない日々。いや、正確に言えば、やることはあるのだが、それから逃避した日々。

 そんなことでいいのかとお叱りを受けそうだし、オイラもこんなことでいいのか、と若干思ってはいるのだが、オイラのダラッと対処法として、以前の日記にも書いたのだが、ダラッとする時には徹底的にダラッとすることにしているのだ。とことんまでダラッとすると、今度はダラッとするのが嫌になってくる。そしたら、何かをやり始めればいいのだ。

 ダラッとするにはダラッとする意味がある。ボーっとしているように見えて考え事をしていたり、ただネットサーフィンをしているだけのように見えて、知らなかった知識を吸収していたりして。

 活動するってのはアウトプットの時間。それに対して、ダラッとするっていうのはインプットの時間。旅という活動をがむしゃらにしているときは、自分の中身を出している状態。それを長く続けちゃうと、次第に中が干からびてしまう。そうなると、中に何かを詰め込みたくなるってのが人間ってもんでして。ダラッとしながら、なにか新しいものを吸収しているのですよ。

 何か新しいものを吸収したい・・・ってのが欲求ってものでして。人間40にもなれば、枯れてきて、そういった欲求ってやつは、無くなってくるんだろうって思っていたのに・・・実際には、40過ぎたら、以前に増して、欲求ってやつが沸いてくるじゃないですか。

 欲求とは果てぬものなのでしょうか?いや、活動とダラッというサイクルの繰り返しが潤滑油となり、結果的に果てぬように生み出してしまっているのかもしれない。

 旅を続けている限り、そして、旅で、このサイクルを繰り返している限り、欲望は新たに生まれ続けるのだろう。




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