(English)
I stayed in Jerusalem.
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ご存知の通り、エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって、非常に重要な地。それぞれの宗教に関連した重要なモニュメントがいくつもある。昨日は嘆きの壁など、ユダヤ教に関連したモニュメントを見て回ったので、今日は、キリスト教メインで見て回ることに。といっても、エルサレムには、それぞれが分けられて存在しているわけじゃなく、渾然一体となっているから、いろいろ見ながらも、キリスト教の関連ものに注目しながら歩いてみたっていう、自分の意識的なものではあるんですけど。
さて、ということで、今日の日記は、エルサレムで関連施設を見て感化され、調べてみたキリスト教についてのメモ書き。
カナーンと呼ばれる現イスラエルの地に集まり王国をつくることができたユダヤ人。しかし、その王国も、アッシリアや新バビロニアに滅ぼされ、その後は、離散し、さまざまな大国に翻弄されながら生きることになる。
そんなユダヤ人たちが信じるユダヤ教のエッセネ派の中から、紀元前1世紀頃に<善の教師>というリーダーが現れたらしい。この人物は、ユダヤ教神に遣わされた預言者とされていたのだが、紀元前50年ころ処刑されたと、あの死海文書に記されているらしいのだ。
この善の教師なる人がモデルになってイエス・キリストなるバーチャルな存在が生まれてきたのではないか、という説がある。
イエス・キリストなる人物は、実在したにしては、語り継がれているエピソードが、現実離れして劇的すぎるし、実際、キリスト教なるものを人々に伝えたのは、パウロと呼ばれるキリストの弟子を名乗る人だった。
パウロが、「イエスという者を信仰することによって、誰もが死や苦しみから解放される」と語っていき、このロジックが人々の共感を誘い、大ヒットし、ユダヤ教から分離されて、新興宗教として独り立ちしていったのがキリスト教なのだ。
「キリストの死と復活」など一見あり得ないような劇的なドラマは、話として強調することで、波瀾に満ちた時代を生きる人たちの中の救世主願望をうまく引き出すことを狙ったパウロの創作。キリスト教のストーリーが、必要以上に劇的なのは、宗教に人々を惹きつけるための工夫であり、またパウロが盛ったこのストーリーが、人々の心をつかむような劇的要素であったために、キリスト教は、世界最大の宗教として成長していくことができたのではないか、
・・・という話を聞いて、なるほど、と。今までキリスト教の現実離れした話についていけなかったオイラなのですが、そうやって、人の心をつかむためにあえて劇的に強調した話なのだ、と言われると、キリスト教が分かった気がしたんですわ。
イエス・キリストが実在したか、そして超現実的な行為を行ったかどうかは、信者の人たちが「そうだった」と思うのであればそれでいいと思う。でも、信者ではないオイラからすると、それを信じてと言われても、ちと無理がありまして・・・それよりも、キリスト教は、人の心を惹きつけるために、あえて劇的な話になっているんですよ、と説明されたほうが、腑に落ちるなぁ、と。
宗教って、信じていない人からすると、中身が理解不能なことが多い。理解不能な中身を理解しようとしても、やっぱり理解できないから、その宗教がワカラナイってことになるんだけど、そうではなく、中身が理解不能なら、外枠を理解すればいい。言っていることは分からなくても、それが言われた由縁は論理的に考えれることなのだ。そうやって考えておくことが、自分の価値観とは違う宗教を持つ人たちとコミュニケーションする上で大事なことなんだと思うんです、ハイ。
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