(English)
I stayed in Kathmandu.
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アジアに来て仏教が身近なものとして浮上してきたので、最近、仏教についていろいろ調べている。
すると、仏教とは・・・どうやって人が苦しみから逃れるための方法を説いた宗教らしいってことが判明。
オイラが旅に出た要因の一つに、日本に居た頃、正体不明なモヤモヤに包まれていたってのがあった。日本に居た時には、そのモヤモヤに常に苦しめられてきた。
で、旅に出たら、このモヤモヤは多少和らいだのだが、完全に消えることはなかった。で、最近、仏教のことを調べているうちに、このモヤモヤの正体がなんだったのか徐々に明らかになってきたんですよ。
一つは、自意識の肥大化、自己顕示欲の肥大化ってことだった。オイラが世界の中心だと勘違いしていた。なんたって、本当はこのサイトのタイトル<ワールドイズマイン>ってしようとしてたくらいだから。そして勝手に悩んでいた。
もう一つは、知らないってことへの恐れがあった。勝手にレッテルを張る。この違和感に悩んでいた。
こういったものは結局欲。その他物欲など、制御できない欲にまるで自分がコントロールされているような感覚が嫌だった。
こういう悩みがモヤモヤとしたものになっていってたのだ。
旅に出てモヤモヤが小さくなったのは、欲を刺激される環境から離れる機会が多いからなのだろう。
日本という社会は、実は、そういう欲を肥大化させる社会。そして、その欲を完全にはかなえさせずに飼い殺しをする。消費をしてもらうには、欲望を停めさせちゃいけないからね。
ただし、これは、日本に居ては気づけない。
そういうもんだと言われても実感できないのだ。
何もない場所を彷徨い、何もなくても意外となんとかやっていける、っていうか、実は何もなくてもよかったんじゃんって、体感してやっと分かることだったりするのだ。欲がある限り、人は苦しむようになっている。欲しいモノが浮かび、それが手に入らないと苦しむ。手に入れたモノを失うことに過敏に反応して苦しむ。
欲とは、人が前進するために必要なものなのだが、日本という社会は、もはや成熟してしまっていて、その欲を歪めて使うことを強要する社会になってしまっているのだ。
この歪み具合が、心を余計に疲弊させる。
足るを知れとは言うものの、この言葉の本当の意味を実感するのは、日本で暮らしていては無理だと思う。足るを知れない社会構造になっているから。
いや、でも実は、日本にいながらも、その苦しみから逃れるすべはあるらしい。
それは仏教の教えに従うということ。宗教ってなんか今更的なイメージがあり、とっつきにくいと思うのだが、実は仏教ってのは、人が苦しみから逃れるための方法を説いたもの、らしいのだ。
解脱するというのはそういうこと。そういう状態に行くことで、心の苦しみから逃れられるようになる。
でも、その仏教の修行って、自転車旅に似ているような気がする。自転車旅をしていると、時々悟った境地に陥れることがある。
自転車旅は苦しいからヤダっていう人が多いんだけど、実は、自転車旅ってのは心の苦しみから逃れる最適なツールのような気もする。
そんなことを思うのは、仏陀の生まれた地に近づいてきたからなのか。
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