Coffee
なぜオイラはコーヒーにハマれないのか?

2015.6.24 / Indonesia(Bali/Denpasar) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:晴のち曇 ネット:1
朝飯→ミーアヤム 昼飯→ミーアヤム 夕飯→パダン料理 / 宿→Hotel Suranadhi Ⅲ(ダブル125,000ルピア)

(English)
I stayed in Bali Island.



 今日は一日、シンヤくんと喋って過ごした。久々にしゃべりっぱなしの一日。まぁ、旅中、日本語が通じる誰かと一緒に居れるってのは、貴重な時間ですから。ここは一緒に楽しむことをメインに。

 近くのオイラの行きつけのミーアヤム屋さんに一緒に行ったら、シンヤくんはえらくこのミーアヤムの味を気に入ってしまいまして。昼間は、なんと一回に3杯も食べるという(笑)

 そんなシンヤくんは、コーヒー好きとのこと。自分でコーヒーを淹れて飲むのが旅の最大の楽しみだという。ということで、シンヤくんが淹れてくれたコーヒーをいただいたのだが・・・確かに美味しかったのだが、残念なことに、オイラはコーヒーの味がよくワカラナイ。

 「コーヒーの味がワカラナイっていうのは、本当に美味しいコーヒーに出会ってないからですよ」

 と、シンヤくん。

 そういうもんかなぁ、一応世界各地でいろんなコーヒーを飲んできたんだけど。

 「いや、世界では本当の美味しいコーヒーを味わうのは困難です。日本じゃないと」

 え?だってもともとコーヒー文化って世界じゃないの?イタリアのエスプレッソとか。日本はティー文化でしょ。そんな日本で一番おいしいコーヒーが飲めるの?

 「コーヒーの繊細な味が出るのはドリップ式だと思っているんですが、その方式を極めているのが日本なんです。ほら、今、サードウェーブコーヒーが流行り始めているっていうじゃないですか。あれ、アメリカの会社が日本の喫茶店でやっているドリップ式のコーヒーを真似てやり始めたんですよ。

 ドリップ方式も、紙で濾すのとネルドリップといって布で濾すのとではまた味が違う。奥が深いんです。そういうのを細かく技術で追うのは日本人得意じゃないですか。そして、他の国では、そこまで追求した飲み方はされていないんです。

 海外だとエスプレッソ方式や、トルココーヒーのように濾さないっていうやり方が多いんです。スターバックスも、エスプレッソ方式が多い。カフェラテっていうのはエスプレッソにミルクを混ぜたもの。カフェオレがドリップにミルクを混ぜたものなんですが、スタバでカフェオレってあまり見ないでしょ。

 エスプレッソとかの方式だと、雑味が消しにくいんです。だからあんまりブラックで飲まれない。砂糖とかである意味味をごまかして飲むんですよ。海外で飲むコーヒーは砂糖を入れたものが多いでしょ。」

 なるほど・・・そういう方式の違いで味が変わるのは面白いな。

 「同じドリップ式でも、豆の焙煎の仕方で味がまた変わります。これは浅く炒った豆なので、コーヒーの味が軽いでしょ。朝に飲むのに向いているコーヒーです。深く炒ったら、コーヒーの味は重くなります。」

 ふむふむ、コーヒー好きはそういう違いを楽しむのか。確かに、そういう違いがあるって聞くと、違いを知りたくなるから、飲み比べる面白さはできるな。で、コーヒー好きは、コーヒーの味自体は美味しいと思っているの?

 「ええ。っていうか、カフェイン中毒になります。ないとダメな体になるっていうか」

 むむ、でも、オイラは、まず中毒になるまで飲まないんだよね、コーヒー。

 そして、カレーにしろ香辛料にしろ、中毒になるワケではないのだが・・・

 いや、カレーにしろ香辛料にしろ、もう中毒なのかも。

 そして、中毒になるには、ある程度それそのものをたしなむ必要があるのではないかと。

 カレーや餃子は小さい頃から慣れ親しんできた。だから、ある時、本当に美味しいものに出会った時に、体が反応できたのだ。

 逆に、コーヒーは、オイラ的には全然慣れ親しんでない。親がコーヒーを飲む人ではなかったので、子供の頃にはほとんど飲まなかったし。

 無意識的に、コーヒーをしばらく飲んでいたら、ある時、美味しいコーヒーに出会ってハマるという状況になるのかも。

 そうか、何かにハマるというのは、ある程度の下地が必要なのかも。

 チャリ旅も、突然ハマったワケではない。自転車に乗るコト自体が好きであったからこそ、石田ゆうすけさんの本がキッカケで、ハマることになったのだ。

 たぶん、自転車と縁遠い生活を送っていたら、チャリダーになることはなかっただろう。

 何かに、ハマりたいなら、まず、それを普通にやれる状態を作るのがいい。そして、とにかくいいモノも悪いものも含めて、経験値を積む必要がある。

 本当に素晴らしいものは、そうではないモノも知ったうえでないと、それが本当に素晴らしいとは気づけないものなのだ。
























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