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希望の国

2015.8.29 / India(Hampi) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:曇時々晴時々雨 ネット:1
朝飯→プーリー 昼飯→パスタ 夕飯→パスタ / 宿→Kalyan Guest House(ダブル400ルピー)

(English)
I stayed in Hampi.



 足の痛みは一晩寝たらなくなった。しかし、無理はいかんな。

 さて、ハンピはもう十分見て周ったのだが、なんとなく宿が居心地がいいので、もうちょっと滞在することに。太鼓練習とか、まぁ、ハンピでなくてもできることなのだが、こういうのは、落着ける時にやってしまったほうがいいものがあるので。

 太鼓練習はだんだん左手が動くようになっているが、まだまだ。結局これまで上達できなかったり、練習が嫌になっていたのは、左手がうまく動かなかったからなのだ。これが全ての原因。っていうか、この原因を除かないままでは、次のステップへ進めない。フレーズを覚えるうんぬん以前にやることがあったってわけだ。それをすっとばしてやろうとするから前に進まなかっただけ。

 こういうのをちゃんと克服して前に進もうって思えたのが、バラナシでの修行の成果だ。出来ないことをなぜできないのか、と分析し、見つけた要因をちゃんと克服するための方法を探る。これ、かなりメンドクサイのだが、こういうことをやっていくことが、<修行>なのだ、と気づいたのだ。

 で、今日はフレーズの作り方についてもだいぶ、論理的に勉強できた。以前から持っているドラムのための練習本を見返したのだが、以前は全然気づかなかった大切なことが、めっちゃ書かれている。本人の技能によって、本から読み取れるレベルって、全然変わってしまうもんなんすよねぇ。

 そういう意味で、この宿に置いてあった村上龍の<希望の国のエクソダス>も同じだった。この本は、大学生時代に一度読んだことがあったのだ。しかし、パキスタンとか経済戦争とか、当時のオイラには、あまりにも馴染のないシチュエーションが登場し、全然入りこめなかった。しかし、今読み返してみると、シチュエーションやら訴えたい内容やらが、めちゃめちゃ分かる。改めて深さに気づけた作品だった。

 平和ボケな日本である日、パキスタンからの映像がニュースで流れた。そこには、日本人の少年が写っていた。日本を離れ、パキスタンで生きることを自ら選択したその少年「あの国(日本)には希望がない」という言葉に、同世代の中学生たちは共感する。登校拒否という行動に出た全国の中学生たちは、学校で学ぶ以外の方法で、知恵を身につけ、インターネットを使った商売を成功させ、自立していく・・・

 希望の国のエクソダスは、こんなような概要の物語。以前読んだ時は、日本には希望がないという言葉になんとなく反応したものの、でも、なんとなくしか思えなかった。実感が伴わなかった。それが、実際海外に出て、外から日本を見る状況に自らを置いたら、この話が俄然、分かってきたのだ。

 日本に希望がないとは思わない。でも、そう子供に思わせてしまう風潮は確かに、今の日本にはあると思う。オイラ自身、日本に居た頃は閉塞感に包まれ、こんな世界では次の子供たちは生まれてきてもかわいそうだ、なんて思っていた。少子化の要因はそういう気分が蔓延している日本っていうことがあると思う。が、オイラ自身は海外に出て、世界って実は楽しい。生きてみるのもいいもんだ、って思えたんだけれども。

 学校ってなんなんだろうな、とも思う。今のオイラが、実は重要なことは小中学校で習っていたって思っているので、必要だとは思うのだが、問題は、重要なことを教えているのに、それが重要だということを教えていない、ということなんだと思う。ま、それが重要だ、ってことは、本人が、自ら転んで学んでいかないと気づけないことだから、教わることでないのかもしれないが。そう、やっぱり、自らが転ぶという体験が重要なのだ。そういう意味で、何度でも転んでしまう旅は、やはり最高の学校なのかもしれない。








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