Un sagrado lugar, Muela
聖地ムエラ

2009.03.03 / Guatemala(Quetzaltenango) 本日0km走行: Total6910km

(English)
  Today I went to Muera. This place is made from lava. So many people were visiting for prayer. In this place, I trusted in God even if I have no religion.



(Español)
  Hoy yo fui a Muela. Este lugar es ruina de la lava. Mucho gente vivieron para rezar a Dios. Yo creo Dias cuando veo esta el lugar hermosa.
 スペイン語授業も終了し、時間が空いたのでシェラから歩いていけるムエラという溶岩台地に行ってみることにしました。歩いて1時間ほど。柔らかな山肌から一変、ゴツゴツした岩が増え、一区画だけ風景が違う場所に到着。ここが、溶岩後で出来た台地(山)ムエラです。そして、この台地の上からなにやら歌声が聞こえてくる・・・そう、ここは、聖地としてあがめられている場所なんです。儀式は日曜日だけかと思っていたのですが、今日、火曜日も参例はあるらしく、先住民のおじさんやおばさんが山に登っていく姿が。そこで、おいらも列の最後尾について、一緒に登る事に。

 登っている途中に、ところどころ小さな広場のようなものが作られて、そこで、様々なお祈りが繰り広げられていました。教会風に、神父らしき人が、聖書らしきものを読み上げている風景、ひたすら地面に頭をつけ、なにやらつぶやいている風景、感極まって泣いている風景、タンバリンを鳴らしながら歌っている風景・・・そこでは、見たことの無い営みが繰り広げられていました。しまった、ビデオを持ってくるべきだったと後悔。

 どんどん険しくなる台地登山。足場は悪いし、ちょっとしたアドベンチャー気分の登山を終え、到着した頂上は、一面、ゴツゴツした溶岩の後でした。まさに溶岩台地。平らに広がる溶岩のはるか向こうに見えるのは、きれいな円錐型のサンタマリア山・・・この日常離れをしている風景を見ながら、無信教の僕ではあるんですが、ここに何かが宿っているかもと思わされる気持ちが、なんとなく分かったような気がしました。

 こういう<異質な感じ>を受ける場所に来ると、なんとなく気分がハイになる。ここで、歌ったり、泣いたり、怒鳴ったりして感情を高ぶらせると、何か気持ちがスッと楽になるんでしょう。昔の人たちは、ここを見つけたとき、同時にこの感覚を自分の心の中に見つけたんでしょうね。それを、儀式というカタチで昇華させ、定着させた、と。

 感情の起伏を抑えがちな日常生活<ケ>の対極として存在させた、感情を高ぶらせるための装置としての祭ごとの<ハレ>。僕の場合で考えると、平凡な生活をしていると、旅に出たくなるし、旅にでてしまうと、落ち着いた生活がしたくなるという感覚。健全に生きていくためには、この<ハレ>と<ケ>のバランスをうまくとっていかなければならない。ムエラでのこういう祈祷も、生活の知恵として、生まれたんでしょうな。近代社会になっても、こういうバランス装置はなくしてはならないのですよ。落ち着くと刺激が欲しくなるし、刺激がありすぎると落ち着きたくなる。こんな相反する感覚を同居させねばならない難しい存在なのです、人間は、と、この風景を見ながら考えてしまいました、まる