(English)
Today I went to kuelap ruins.
(Español)
Yo fui a kuelap.
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朝7時に宿のレストランで朝食をすませ、いざKuelap遺跡へ出発。町外れに<Kuelapまで9.8km>と書かれた看板があり、そこから山道へ入る。ここからひたすら山道。ほとんど人と出会うこともなく、静かな道をモクモクと歩く。歩き始めた時は晴れていたのだが、1時間くらい歩いた頃から、雲海が広がり始め、周囲が霧で覆われてきた。えぇ~遺跡からの眺めが最高って聞いていたのに、霧で見れなかったら、ダメじゃんとか思いながら上っていると、霧は次第に晴れてきた。山特有のコロコロ変わる天気模様のようだ。
2時間ほど歩いたところで、現地の人たちの家がポツポツと出現しはじめた。ウマを連れた現地の人とすれ違う。高さはもう3000m近いはず。そうそう、川沿いに人が集まるというのは、理解できるのだが、山の頂上付近に人が集まるというのは感覚的に分からん。なぜ、こんなところに住もう、という思いに至るのだろうか・・・Kuelapもそんな山の上に作られた城壁都市。
そしてちょっと進むと、現地の人たちの家の向こうに石壁らしきものが見えてきた。Kuelapだ!歩調を速め、少し息を切らしながら、石壁へ近づく。そして、山の頂上。目の前には、高い石壁でグルリと囲まれた遺跡が・・・どこから入るのだろうとウロウロしていると、係員らしきおじさんが声をかけてきた「チケットをあっちで買ってきて」とオイラが上ってきた反対方向を指差す。「20分くらい行ったところにチケット売り場があるから」「20分!?ここでチケットは買えないんですか?」「うん、そこでしか買えないんだよ」「・・・」どうやら、車で上ってくる方の駐車場付近にチケット売り場があるらしい。反対側のトレッキングルートから上ってきた人は、山を跨いで一旦下ることに・・・なんてこった。
メンドクサイと、ブツブツ言いながらチケット売り場まで歩き、チケットを学割で7ソルで購入。売り場のおじさんがなんだか感じのいい人だったので、少し気分よくなり、再びKuelapへ。石壁で囲まれているお城のようなこの遺跡には3箇所、石壁が途切れている箇所があり、そこからしか中へ入れない。まさに城壁都市。山の上に集落をわざわざ作るというのも不思議なのだが、しかもその集落を城壁を築いて囲むっていうのはナゼ?山という天然の要塞に重ねて壁を作らねばならないほどの外敵が存在したってことなのでしょうか・・・早くもいろんな妄想が頭の中をグルグルと駆け巡り始めたのでした。
さて、北東にある、石壁が途切れた入り口から中へ入ってみると・・・周囲を一望できる見晴台に出た。ここからの眺めがスゴイ!眼下に広がる山々。アンデスの山々が<眼下>に広がっているんです。この眺めを見ると、なんとなく、ここに居を構えた理由が分かったような気がしました。メヒコのティオティワカンの月の神殿に登ったときに感じた時と同じように、下界の全てが自分のモノになったような錯覚に陥るんです。まさに神の視点。そう、このKuelapは、周囲の山で一番高いところにあるんです。なので、ホントにここからの眺めは抜群なのですが・・・一番高いところにあるっていうことは、このKuelap遺跡自身を俯瞰して眺められる場所がないってこと。マチュピチュって、ワイナピチュとか、周囲にマチュピチュ遺跡全体を俯瞰できる場所があって、あそこから撮った写真が、マチュピチュを<周囲を山で囲まれた空中都市>という神秘的なイメージに仕立て上げたんだと思うのです。それに対して、ここKuelapは、そういう俯瞰イメージの写真がない。空撮でもしない限り撮れない。Kuelapのイメージとして使われているのは、石壁の写真ばかり。地味なのだ・・・うぬぬ、これが、ここKuelapがメジャーなイメージを持てない要因なのかも。
逆に、そんな石壁のイメージだけでここへ来ると、イメージ以上の世界の広がりに衝撃を食らうことになっていいのかも。オイラは石壁以上の情報を頭に入れて来たにも関わらず、城壁内に広がる遺跡世界に驚かされましたから。
このKuelap遺跡、900年~1500年のチャチャポヤ時代に建造されたとのことです。プレインカの時代に作られたこの城、インカの時代になって、インカの人たちが何度も攻めたが難攻不落の城だったとのこと。そうかぁ、敵はインカだったのかぁ。ということは、ひょっとして、この城攻めの経験からヒントを得て、インカの人たちは、マチュピチュを作ったとか?Kuelapの標高は3000m、世界で最も高い位置にある遺跡の一つだそうで。ちなみにマチュピチュは2300mの高さにあります。Kuelap遺跡は楕円形で縦方向に582m、横方向は最大幅111mあるそうです。外壁の高さは最大で20m。当時、この中で3500人ほどの人たちが住んでいたようで。動物や人間を生贄として神に捧げるシャーマニズム・アニミズムな生活を送っていたとのこと。そんなここの住人達はアンデス地域に見られる人種とは違っていたそうです。帰りに寄った休憩所で、おじさんが「Kuelapに住んでいた人たちは非常にクレバーだったんだ」と言ってました。ココラ辺の人たちじゃないって・・・一体どんな人たちが住んでいたのだ?宇宙からやってきた人たちだったのか?な~んて思ってみたりもする。
Kuelapの城壁の中はとにかく広い。分類上、Sector Norte、Sector Centro、Sector Surの3つのSectorに分かれている。最初入り口から入ると、Sector Norteに出る。ここはまだ復旧作業などが行われていないようで、木々がボウボウに生え、年月が経った遺跡という雰囲気をかもし出している。オイラが好きな雰囲気。ワクワクしながら北のほうに歩いていくと、北の端には石の塔<EL PUEBLO ALTO>が立っている。立ち入り禁止なのだが・・・この上から遺跡を俯瞰して見たい衝動がウズウズ・・・誰も見ていないから、と一瞬思ったのだが、結局上りませんでした。そうそう、この遺跡<誰もいない>んです。マイナーな遺跡でかつ、午前中早い時間だったせいか、遺跡の中はオイラ一人。この素晴らしい遺跡を独り占め。う~ん、気分いいです。
さて、Sector Centroに移ると、丸く囲まれた石壁サークルがたくさん見られるようになる。どうやら、家跡のようだ。城壁の中で、こうした石壁の家をこしらえ、一家族ごとに生活していたのだろう。本当は入ってはいけなかったらしいのだが、石壁の中に入って、目を瞑って当時の生活の様子を想像してみて・・・目を開けたら、隣でヤク(?リャマ?)らしき動物が、こちらをジィーと見ていたのでした。
Sector Surに移るにつれ、石壁サークルがきちんとしてきた。多分、Sector Surから復旧作業を行っているのだろう。Sector Surにある一つの石壁サークルは茅葺屋根まで取り付けられ、完全に<家>として再現されている。なるほど、一つ、こういう復旧モデルがあると、イメージしやすい。こういうエンピツ型の家が、軒を連ねて建っていたんだな・・・が、それにしては、サークルの間隔が狭すぎる。石壁が崩れ、低くなった現在だからこそ、サークルを跨いで通れるのだが、このサークルが壁として存在したら・・・う~ん、通り抜けできなくないですか?
そして、城壁内の道のところどころにある穴を発見。家の中にも穴。この穴はなんなのだろうと疑問がムクムクと。覗き込んでもそんなに深い穴ではない。はじめはゴミ捨て場か、トイレなのかなぁとも思ったのだが・・・儀式で使われた生贄を埋めておく穴だったのかも。人柱・・・
うぬぬ・・・想像していた以上に、あまりにも、素晴らしい遺跡なんで、北の端から南の端まで3往復くらいしちゃいました。相当好きな遺跡ですわ、ここ。往復する度に、新しい気づきがあって。いやぁ、奥深い。午後になって、ツアー客らしき人たちが2団体くらい来ていましたが、人はそれくらい。ずっと落ち着いて遺跡鑑賞を楽しめたのでした。
それにしても、ここを俯瞰で展望できないのは、ホント残念。俯瞰できるスポットが出来たら、間違いなく、マチュピチュ並みにメジャーになれるのに。と思う反面、ここは、このまま少ない観光客しか訪れない、落ち着いた遺跡であって欲しいとも思うのでした。
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