Museo Amano
天野博物館

2009.09.23 / Peru (Lima) 本日自転車0km走行 : Total 14057km走行
天気:曇 ネット接続:1
朝飯→日本の朝ごはん 昼飯→バーガー 夕飯→アロスコンポヨ / 宿→佐藤家(ホームステイ)

(English)
  Today I went to Museum of Amano. This museum is interesting. I recomend to go there when visitting in Lima.



(Español)
  Hoy yo fui a Museo Amano.
 昨日の晩、ようやくお仕事上がりの旦那さんとお会いできました。昔山男だったという佐藤さん、南米の山々を登りながら北上し、ペルーへ辿り着き、そのまま超沈没(?)したそうです。ペルーに沈没ってなんか分かるような気がします。

 さて、今日は、楽しみにしていた天野博物館へ。要予約な天野博物館、昨日、ニシザワさんが電話してくれて、15時半からの館内ツアーに参加することになったのだ。

 外に出たのはいいが、博物館ツアーまでちょいと時間があるので、天野博物館と同じミラフローレス地区にある、ワカ・プクヤーナへ寄ってみる。バスを降りて、住宅街に1本入ると、見えてきたアドべの山。近代的な住宅に囲まれひっそりとたたずむ土色の山。都市の中の遺跡って・・・なんか、違和感を感じる風景です。

 遺跡周辺をグルッと一回りしてみたのだが、オイラとしてはあまりそそられない、乾燥したピラミッド型遺跡っぽい。ここも、入場料払ってまで見なくていいやと思って、周囲から眺めて終了。その後は、ミラフローレス地区をブラブラ散歩。

 15時になったので、天野博物館へ向かう。中に入れてもらって待つこと30分、どんどん日本人が集まってくる。総勢20人くらいでしょうか、館内を案内してくれたボランティアの大学生エガシラくんも、「こんなにたくさんの人たちを一度に案内するのは久々です」というほどの人。この時期、日本はシルバーウィークなる大型連休なんですよねぇ。ということで、今、ペルーに観光で来ている日本人が多いみたい。

 この天野博物館、天野芳太郎さんという明治生まれの実業家の収集した遺物を展示した私設博物館なんです。中南米でいろいろな事業を展開し、成功を収めていたそうです。で、事業の傍ら、ペルーの遺跡にも興味を持ち、特にチャンカイ地方にあったチャンカイ文化に強く惹かれ、遺跡調査に出向き、土器や織物を収集し、独学で、文化研究をなされたとのこと。第二次世界大戦時には、アメリカにスパイ容疑で捕らえられ、せっかく集めた遺物を没収されたり(なので、今飾られている遺物は、戦争後に収集したもの。没収された遺物は、戻ってきてないそうです)と、波乱万丈の人生を送った人みたいです。

 そして、この博物館見学は、天野さんの「展示物をジックリ見てもらいたい」という意向のもと、ボランティアの説明員がつき、一時間ほど時間をかけ、各展示物にまつわるエピソードを話しながら回ってくれるんです。オイラが参加したのは、日本語ツアー。説明員のエガシラくんは、日本の大学に通っている大学生。休学して、しばらくここでボランティアをしているそうです。

 さて、ツアーですが、まず、ペルーの歴史全体の説明から。いつも博物館に飾ってある年表を見て、ざっと文明の時代背景を頭にいれているのですが・・・日本語で説明を聞くのは初めて。ごっちゃになっていたプレインカの流れが、整理されたスッキリ。で、ペルーの一番古い遺跡はチャビンという説明・・・あれっ、カラルは?と思ったのですが、四大文明に匹敵する時期の遺跡ではと言われているカラルやシクラス遺跡に関しては、今、まだ学術調査中なので、現段階では、説明では触れていないそうです。なるほど、そういう位置づけなのか、カラルは。

 そして、部屋内にずらっと飾られている土器見学(館内写真撮影禁止)。部屋を囲むように並べられたケースに、見学順路に沿って古い時代から年代別に土器が並べられていまして。その土器を見ながらのお話が興味深い。ここには、昔、漆の類はなかったと言われているのに、光沢をもった土器が数多く発見されている。これはどうやら顔の脂などを塗って光らせていたらしい、といった話や、プレインカの古い土器は、一つの注ぎ口が、二手に分かれ瓶につながっているのが特徴。これら瓶型土器は、お酒入れとして使われていたそうなんですが、二手に分かれているのは、このお酒を滑らかに注ぐため、空気の通り道を別途設けたため、といったお話が次々と。う~ん、面白い。日本人が好む<トクトク>といった注ぎ音をプレインカの人たちは嫌ったみたい。後期、それこそインカの時代になると、注ぎ口は一つになるんですけどね。こういった土器の特徴の移り変わりから、その当時の人々の嗜好に踏み込んでしてくれる解説が非常に心揺さぶる。そう言われてみれば、そうも考えられるよなぁ、なるほど、と思わせられる考察話を聞きながら、博物館での遺物の見方がちょいと変わってくる自分を実感するのでした。

 天野さんが特に惹かれたというチャンカイの土器は、他のプレインカ、インカの土器と比べると違いが一目瞭然、突出して異なっているのが分かる。まず、素焼きのままで、光沢がない。色はあまり使われず、白ベースに黒模様で簡単に模様付けされ、シンプル。形状もどこか歪で、一見すると、土器作りの技術が落ちたんじゃないの?とも思える作りなんです。が、どうもこれはワザとこうしたらしいんです。日本のワビサビに通じる、あの芸術感性。ここチャンカイの人々にはそれがあったのではないかと。他の文化が、過剰に装飾を重ねる中、素朴さに美を見出していったチャンカイの人々。天野さんが、チャンカイ文化に惹かれていったというのも分かるような気がしました。そして、この文化は日本人が調査したからこそ、良さが認識されたのかもね。

 次に部屋中央に並べられた、土器群を見る。ここは、項目別に土器が並んでまして。食べ物をかたどった土器を集めたもの、動物をかたどった土器を集めたもの・・・ナドナド。この並べ方は、昔の人たちの嗜好が非常に分かりやすい。どうやら、この博物館のレイアウト、天野さん自身が考えて並べたらしいです。そして、天野さんが亡くなってからも、このレイアウトは変わらずそのまま。つまり、この分類は天野さんの視点であるわけで。分かりやすく並べられた遺物を見ていると、なんだか次第に、天野さんという人の思考に興味が湧いてくるのでした。

 そして、隣の部屋に・・・ここが噂の織物部屋。ずらりと額縁に入れられ、壁に並べられた、当時の色鮮やかさを残した織物たちを見るだけでも、圧巻なのですが、部屋中央に並べられた引き戸の棚から、次々と、織物を出して見せてくれたのには、さらに驚かされました。そして、これらの織物の技術的すばらしさ・・・当時、紡績機械などなく、糸を作るにも、手作業でやっていたらしいのですが、現在、機械でやらないと作れないと言われている細さの糸で、編んだ衣類が見つかっているらしいのです。ほ~・・・正直、糸やら縫い方やら、まったく知識や興味がないオイラだったのですが、一つ一つ丁寧に説明してもらえ、がぜん、織物に興味が沸いてきてしまったのでした。それくらい魅力あるお話か聞けるんです、ここでは。

 装飾品もすごくて、今で言うビーズの首飾りとかあるんですが、ここに開けられている穴がこれまた小さい。どんな工具を使って開けたのやら?と考古学者が首をかしげるほどの穴に、これまた細い糸を通して作られた首飾りが飾ってありまして。いやぁ、なんか考えさせられますなぁ・・・

 1時間半くらいかけ、面白ツアー終了。期待以上のすばらしい博物館でした。これが、無料で見学できるっていうんだから、素敵すぎです。リマに来たら、ぜったい行きましょう。そして、博物館の面白さを分からせてくれるこの博物館、他の博物館を回る前に行くことをお勧めします。

 満足して帰宅して夜、夕食後に、あすかちゃんとはるかちゃんが開催してくれた室内ボーリング大会に参加。部屋の一角にオモチャのボーリングセットが並べられ、5フレーム決戦。子供相手に本気をだしては・・・と思ったのですが、そこは勝負事。大人気なく、勝ってしまいまったのでした。で、ボーリング大会の後、部屋に戻ってなにやらゴソゴソしている二人・・・なんと、ボーリング大会優勝の証として、お手製の賞状をはるかちゃんから、商品の<フルーツ食べ放題券>をあすかちゃんからいただきまして。ありがとう、あすかちゃん、はるかちゃん!さらにあすかちゃんからは、ビーズを組み合わせ、オイラのイニシャルの入ったアクセサリーもプレゼントしてもらいまして。天野博物館で首飾り解説を聞いたばかりのオイラ、目の前で作業してくれたビーズつくりに興味津々なのであった。