(English)
I walked on Curitiba.
(Español)
Caminé en Curitiba.
(Português)
Eu caminhei em Curitiba.
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とりあえず、お腹の調子は万全ではないものの、よくなっている感じだったし、なにより、天気がとてもよかったので、今日はクリチバの街へと繰り出すことに。
目指すはなんといっても<オスカー・ニーマイヤー美術館>。そう、ここクリチバにもオスカー・ニーマイヤーの建築物があるのです。自転車で277号線を西へ向かい、セントロへ。バスターミナル横のインフォメーションで市内の地図をもらう。オスカー・ニーマイヤー美術館の場所を確認し、そのまま自転車で。
しばらく走ってたら・・・見えてきました奇妙な建物。目をモチーフにしたと言われているひときわ目立つ巨大な建造物。いやぁ、相変わらず、心を震わせてくれます。素敵すぎです、オスカー・ニーマイヤーのデザインは。ここの美術館の中には、オスカーニーマイヤーの建築物の写真とかモックアップが飾られている常設展があると聞いていまして。中でやっている他のアーティストの展示にはまったく興味がなかったのですが、とにかく入場券を買って中へ。
この美術館は、大きく分けて二つの建物から構成されてます。外からはやたらに目に付く<目>の建物が一つ。そして、その横に、ひっそりと平たい3階構造の建物がありまして。入場券売り場やくつろぐカフェとかは、この平たい建物にあるのです。で、入場券を買ってまず入ったのは、平たい建物。天井の高いゆったりとしたスペースに、現代アートが、あちこちに並べられてました。足早にそれらの作品を見た後、平たい建物の一番下の階へ。ここに、オスカーニーマイヤーの作品常設展があるんです。ホンの一部でしかないのですが、彼の作品の写真やモックアップが並べられてて・・・建物のロケーション名には、ブラジリアや、ニテロイと書かれているのに、見ていない建物が・・・おぉ、結構見逃してますがな。
その後、隣にある<目>の建物へと続く不思議な地下通路を通る。いやぁ、この建物、一つ一つの仕掛けが、いい感じで作られてますなぁ。地下通路を通っているだけで、異次元の場所へといざなわれているような気がしてくる。現代美術の美術館としては、最高の空間ですわココ。
そして、辿り着いた<目>の建物。この建物、実は、6階建て構造。6階にあたる場所が<目>の部分の内部空間なのです。1~5階までは、割と狭い展示スペースしかない場所なのですが、6階は、広い。出た途端に感じる開放感。天井に敷き詰められた細かい四角のオブジェクトやら、実は蜂の巣構造のデザインになっている目の部分の細かい細工に感心しながら、空間を楽しむ・・・いやぁ、ここでも大満足です。
内部を何度もぶらつき、外へでて、グルッと何周もしてみたり。飽きないですわぁ。そうそう、ブラジルで楽しみにしていたオスカー・ニーマイヤー建築探訪。この旅で、しかもブラジルでの探訪はおそらくココが最後になるんですよ。彼がフランスに亡命していた時に作った建物とかがあるんで、ヨーロッパに行ったらまた探訪できると思うんだけど、とりあえずブラジルでは最後。この惚れ惚れ気分を胸いっぱいに感じながらのお別れとなったのでした。
さて、その後、しばし、クリチバの街を探索。クリチバって、都市計画が成功した街ということで有名になった街なのですが、都市計画が成功するってどういうこと?と正直思うのですよ。だって、クリチバの街を散策していても、普通の街にしか見えないんです。ちょいと他の街とくらべて緑が多い気はするものの、特別なものがあるわけでもないし・・・
で、実は、昨日<人間都市クリチバ>という服部圭郎さんが書いた本をゴウさんから借りて読んでおいたのです。で、この本によると、<クリチバ市は66年にマスタープランを策定して以来、30年にわたって、レルネル市長を舵取り役として、策定した都市計画に誠実に従い、実践した結果、魅力的な都市を創造していったのである>とある。一見これは、普通のことじゃないの?とお思いになるでしょうが、実は、一つの都市計画を30年にわたって実施するということは、とても困難なことなのですよ。それは、よほど優れたプランでなければ30年も陳腐化しないというのはムリだし、なによりも、一つのプランを30年という長きに渡って実行していけるという体制を維持するのが非常に難しい。普通は、政治的にそれを許さないことが多く、プランというものは、次の体制に代わると、書き換えられてしまうものなんデス。クリチバは、それを遣り通したという点で、評価されるべき街であり、さらに、その結果、都市空間のアメニティが向上し、そこで暮らす人たちが、自分達の年に愛着と誇りを持ち始めたという事実が、世界的に注目されているのだ。
街には、特別なモノなんてない。いたって普通なものが普通にあるだけなのだ。この普通を作り上げることがいかに難しいか。そしてそれを維持することがいかに難しいか。
現在<普通>となっているものを作り上げるために、一番最初にレルネル市長が行ったのが、<歩行者天国つくり>だったという。当時、クリチバは他のブラジルの都市と同様、車優先の街構造だったらしい。しかし、都市は、自動車ではなく、人間のためにあるべきものであるという信念をもっていたレルネル市長は、都市の顔ともいえる商店街を自動車から開放し、人々に取り戻そうと考えたという。しかし、この計画は、地元の商店街の人たちから猛反対をくらい頓挫することになる。自動車が通ることが当たり前であったブラジル人には、歩行者天国なるものが、どんなものなのか、想像ができなかったのだ。車がこなければ、売り上げが落ちる、商店街の人たちは単純な発想で反対運動を起こしたのであった。言葉での説得はムリと判断したレルネル市長は、週末店が閉まっている間を利用して、道路工事を断行。中央通りのアスファルト舗装を剥がし、週明けには、自動車通行禁止の歩行者天国を作り上げてしまった。当初、大反対運動を展開していた商店街の人たちであったが、1ヶ月もすると、自動車を通行禁止にしたことで、商店の売り上げが増加したことに気付く。レルネル市長のアプローチが正しかったことを認め、これ以降、地元の人たちがだんだんと、レルネル市長の掲げる都市計画に賛同しはじめるようになったという。現在、街のいくつかの場所で見られる、歩行者天国道路。街を歩いていると、普通の風景のように見られるのだが、こんな背景があったのだ。こういう背景を知った上で、この歩行者天国の賑わいを見ると、なるほど、成功したのかもしれないな、と思わされる。
また、街のいたるところを走っているバス。これも、増え続ける自動車を抑えるために、計画的に導入された公共交通機関だとのこと。もともと、オイラが市バスを苦手としているように、バスという乗り物は、どこへ行くか分からないし、いつくるかわからないという不安定な乗り物。それよりも、電車や地下鉄の方が、分かりやすい。レルネル市長も、当初地下鉄を導入しようとしていたらしいのだが、莫大なコストと時間がかかる地下鉄を作るのは現実的ではないと、アイデアを絞ることにしたそうなのだ。そこで考えられたのが、専用レーンを走るバスシステム。バスを専用レーンに走らせ、路線を確定させることで、行き先は分かりやすくなり、定時に到着することも可能になるという優れたもの。実は、オイラ、エクアドルのキトで、市バスに乗った時、ここのバスは分かりやすくていいなぁ、と思っていたのだが、これ、もともとクリチバがはじめたバスシステムを規範として作り上げたものだったらしい。南アのケープタウンやコロンビアのボゴタにも同じようなバスシステムがあるが、それらも全てクリチバが発祥とのこと。なるほどねぇ。
クリチバの都市計画が他の都市計画と大きく違う点があり、それは<効率>ではなく<人間の営み>を中心に据えて考えられているところだと、この本では強調されている。同じブラジルの計画都市としてのブラジリアなどは、効率を重視しすぎたために、乾いた都市になってしまっている。日本の都市も、都市計画したと言われて作られた街は、大部分が<効率>を重視して作られたのではないだろうか。これらの街は多分、失敗している。街とは、人が住む場所なのだ。人の生活とは、効率が全てではない。無駄に見えることも、生活の一部だったりするのだ。
だったら、計画などせず、人の生活のおもむくままに、街を形成していけばいいじゃないかという考え方もある。というか、多くの街はそうやって形成されているし、そこで人間生活は営まれている。オイラ自身、無計画な中で形成されたカオス状態の町並みの方が、どちらかといえば好きだ。
ただ、創造したいという人間の欲求に駆られた者が、政治を志し、計画した街を作るということになるのであれば、ぜひ、クリチバのようなアプローチを真似てほしいものだと思うのであった。
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