Lugar dónde no tiene nada
何もない場所から生まれるもの

2010.10.22 / Chile (Las Gaviotas~Las Cascadas周辺) 本日 自転車26km走行 : Total 22823km走行
天気:晴 自転車折りたたみ:1
朝飯→パン 昼飯→トゥルーチャ 夕飯→なし / 宿→テント泊

(English)
 Today I left from Las Gaviotas. I loved here. There is nothing but I could get something.



(Español)
 Hoy salía de Las Gaviotas. Amé aquí. Hay nada más que que podría conseguir algo.
 今日も快晴。テントから見える幻想的な夜明けの風景を見て、心を和ませる。あまりにも気持ちのよい風景に魅了され、ちょいと寒いのだが、テントを抜け出し湖際を散歩。その後、裏庭の高台に上り、朝のファーム風景を一望。

 宿に戻ってきて、朝食をいただきながら考える。もうちょっとココに居ようか、と。フェリーが出航する今日出発しようと思っていたのだが、延泊していこうかな、という気持ちが沸き起こっている。ただ・・・何もすることがないんですよ。

 そう、何もすることがないんです。温泉はすませちゃったし、トレッキングはもういいやって感じだし、周囲もあらかた散策しちゃったし。おばちゃんの畑仕事を手伝うとか、エランと一緒に牛馬の世話をするとかもありなんだけど、片手間でやらせてもらうのは、返って邪魔になっちゃうだけだろうし。で、いつもなら、パソコン広げて、HP更新とかビデオ編集とか作業をやるところなんですけど・・・ここ、ラスガビオタスでは、なんか、部屋に篭って作業するのがもったいない気がしちゃって。ええ、やらなきゃいけない作業はあるんですけど、ココではあえてやらないことにしてて。ということで、やることがないんです。

 で、この<やることがない>時間を手持ちぶたさに過ごしていると、<やることがない>ことが、実は大事だということに改めて気付かされる。

 というのも、旅途中、特に自転車旅だと、いつも<なにかをやっている>んですよ。2年も旅をしていて、やめようとか帰りたいとかいう気が起こらないのは、そういうことを考えている暇がないからだと思う。常に、今これをやらねば、とか、これからどうしようとかで、頭がいっぱい。で、特に、オイラの場合、ちょっとでも暇があると、旅情報のまとめ作業に入っちゃうんで・・・ホント<何もやらない時間がない>。

 そんなオイラ、ここで、<やることがない>時間を過ごしていると、だんだんムズムズしてきちゃって。で、このムズムズ感が・・・いいんです。これ、クリエイティブの兆しなんですよ。何かしたいっていうポジティブな衝動なんです。

 やらなきゃいけない作業をこなすような時間の使い方をしていると、だんだん作業が機械的になってきて、そこにはクリエイティブな要素が入らなくなってくる。本来は楽しむためにやり始めたことなのに、だんだん「なんでこんなことをやっているんだろ?」という疑問が湧いてくるようになる。もっとも、オイラの場合、そんな疑問も沸き起こらないほど、タンタンと作業をこなすだけになっちゃうのであるが・・・

 これって、あんまりよくない傾向なのですよ。精神的に疲弊してくる。オソルノで陥った超自堕落モードは、あの時は燃え尽き症候群かと思っていたのですが、たぶん、ルーチンワークになりがちな最近の作業に取り組むのに嫌気がさした、逃避行動だったと思うのですよ。もちろん、ガス抜きは必要なんで、たまには自堕落モードに陥るのもありだと思うんで・・・旅途中でもったいないとは思うものの、ああいう過ごし方をしちゃう日もあるもの仕方ない。でも、自堕落モードって、単にガス抜きであって、充電はできないんです。自堕落モードを過ごした後、さぁて、という前向きなパワーは生まれない。どちらかというと、ああ、あんな日を送っちゃったから、今日はがんばんなきゃいけないかな、という負の側面によってなんとか底上げしている感じ。

 で、でですよ、自堕落モードで、何もしないのではなく(自堕落モードの場合、何もしないわけではなく、ネットを見たり、テレビを見たりと、受身行動をとっている)、純粋に<何もしない>時間を過ごすと・・・生まれてくるんです、何かしたいという前向きパワーが。

 人間はもともと、なにかやりたがりな性分をもっているんでしょうね。<何もない>状態にあえて自分を置くことによって、普段はなにかしらをすることで発散している、このやりたがり性分が、塞き止められてしまう。塞き止められた<やりたがり>は、心の中で蓄積され、<なにかしたい>ポジティブパワーへと熟成されていくのではないかと。

 宗教でいうと、一度<無>の境地に達するということに近いのかなぁ。雄大な自然を前にして、何も考えず、ただ時間だけが過ぎていく、というのは、座禅に近い行為のような気がする。そうか、座禅というのは、あえて無にすることによって、人間のやりたがり性分を、前向きパワーにもっていくという装置行為であったのか、と思ってみたりする。

 よく、欧米の人たちは休日には、何もないところに行って、何もせず過ごすっていうじゃないですか。森林のロッジにこもるとか、島のビーチに一日いるとか。ワーカホリックなオイラとしては、「なにもしないって、なにが面白いんだろ」って思っていたんだけど、彼らにしてみたら、それは、充電行為なんだろうな、と今なら、思える。逆に、たまの休みにも関わらず<レジャーを楽しむことで動いちゃっている>日本人的行動は、ガス抜きにこそなれ、充電はされない休日の過ごし方なのかもしれない。

 とにかく、オイラはここ、ラス・ガビオタスで<何もない>時間を過ごして、バカンスなるものの意味をちょいとばかり理解したような気がします。そして、オイラなりに、クリエイティブなパワーの貯めかたも、分かってきました。

 と、自分の中に、前向きパワーが充電されたのが分かり、次の旅への意欲が湧いてきまして。さらに、腹八分目にして、もうちょっと居たかったと思うくらいが、ちょうどよい別れ際だということもあり、予定通り、ラス・ガビオタスを今日去ることにしたのでした。

 エディスおばちゃんに、最後の昼飯を作ってもらい、いただく。最後の最後まで絶品料理でした。あぁ、もうこの飯が食べられないのが一番辛い・・・

 14時発のフェリーに乗って、出発。15時前にエル・ポンチョに到着。さて、自転車旅再開・・・と言いたいところですが、ルパンコ湖畔の道が相当メンドクサイのは、ここに来る時に走って体験済み。しかも、来る時は下りがメインだったので、まだよかったのですが、今回は上りメインとなる・・・ここは、もうバスですよ。ええ、なんとしてでも自転車で、という気合チャリダーではないですから、オイラ。辛い時にはバスに頼るという、ハイブリッドチャリダーですから。そのための折りたたみですから、と自分を納得させ、自転車をバスに乗せてもらう。

 バスに30分ほど乗り、辿り着いた分岐路で降ろしてもらう。バスはこのままオソルノへ行ってしまうが、オイラはこれからプエルト・モンに向かって走る。未舗装道の脇で、荷造りをし、さぁて、ここからいよいよ自転車旅再開。16時から走り始めるなんて・・・いつもなら走り終える時間なんですけど。でもまぁ、今の時期、ここチリでは日が落ちるのは20時半頃。30kmほど走るには、まだまだ十分時間がある。ということで、ペダルをこぎはじめたオイラなのであった。

 再開した道、ここがまた絶景道でして。左手には、オソルノ山がデッカクそびえ、トンガリ山であるプンティアグドや、山頂が峰のようになっているカルブコ山も見える。未舗装でアップダウンの多い道ではあったのだが、心地よく走れる。

 しばらく走っていると、ヤンキウエ湖が見えてきた。この辺では一番大きな湖であるヤンキウエ。湖の周りは観光地化されており、道も舗装されている。道沿いには、見事なチューリップ畑があったりして、なんだか、急に人工の匂いがただよってきた。これはこれでキレイなんだけど・・・ここんところ、手付かずの自然に埋没していたオイラとしては、急激に現れた人工感に若干戸惑いを感じるのであった。

 さて、今日はラス・カスカダスという町まで走って、キャンプ場で宿泊しようと思っていたのだが、湖沿いに、いい感じにテン場になりそうな場所を発見。こういう湖際って、だいたい誰かの所有地であり、柵で仕切られていて入れないものなのだが、ここは、なぜか開放されている。キャンプOKという看板はなかったので、ちょいと躊躇したのだが、ずうずうしくも、入り、テントをはらせてもらうことに。湖岸から、美しいカルブコ山が見える絶景の場所。いやぁ、再開した旅、幸先いい。明日は、いい景色が見れるという湖岸沿いの絶景ルート。楽しみだ。