El fin de Carretera Austral
走りきったぜ、アウストラル街道

2010.12.02 / Chile (Rio Bravo~Villa O'Higgins) 本日 自転車99km走行 : Total 24521km走行
天気:曇時々雨のち晴 自転車折りたたみ:1 ネット:1
朝飯→パン 昼飯→パン 夕飯→パスタ / 宿→Hostel El Mosco (テント泊5000ペソ)

(English)
 Today I arrived at Villa O'Higgins. This town is last point of Carrettera Austral.



(Español)
 Hoy llegué a Villa O'Higgins. Este pueblo es en último lugar punto de Carrettera Austral.
 朝、起きて「はて、ここはどこだ・・・」あ、そうだ、昨日は、フェリーの待合建物で寝かせてもらったんだった。いつもと違う雰囲気の場所での目覚めでちょいと戸惑い気味の朝。さてと、今日は未舗装道を100kmも走らねばならないので、早めに準備を整え、すぐに出発。

 今日は、ついにアウストラル街道、最後の走りとなる。後100km走りきれば、アウストラル街道南の最終地点であるビジャ・オヒギンスに到着するのだ。なんか走り始める時に、これまでのアウストラル街道で見てきた素敵な風景たちが、頭をよぎった。感傷的な気持ちに襲われ、それを振り切るように走り始める。

 道には、おそらく昨日か今日走ったと思われる、チャリダーの轍の後が見える。誰だかは分からないが、同じ思いで、アウストラル街道を駆け抜けていった先人に勇気付けられ、前に進む。

 90km、80km、70km・・・ゴールは徐々に近づいてくる。そして、後20kmという地点で、向こう側に町らしき家々の建物が見えてきた。20kmも先から町が見えることなんて普通ないのだが、ビジャ・オヒギンスの町は、周囲に大きな川が張り巡らされており、橋の関係から道が大きく迂回して作られており、道のりはあと20kmもあるのに、目の前に町がみえるのだ。

 アウストラル街道最後の走りをかみしめながら、残りの20kmを走りきる。そして・・・ついに到着、ビジャ・オヒギンス。なんか、特別な想いが胸にこみ上げてきちゃいました。道に対して、こんな思いいれをもつようになるなんてねぇ・・・というか、ホント、ずっと未舗装道が続くというアウストラル街道、最初、走るの嫌だったんですよ。それが、この未舗装道を延々に走っていたいと、別れが辛くなってしまうほどの想いを抱くようになるとは。感情なんて、どう転ぶかワカンナイ不思議なもんですわ、と改めて思う。

 さて、オヒギンスで宿を探そうと、ウロウロしていたら、一人の男の人に声をかけられた。「自転車で旅しているのか?」と、オイラのチャリを楽しそうに見ている。「オレがビールを奢るから、ちょっと飲んでいかないか?」と誘われるも、とりあえず、早く宿に入りたかったオイラ、「いや、まず宿を探したいんですが」と断る。が、「後で、一緒に探してやるから」と強引に、レストラン内へと拉致(?)されるハメに。店の中では、彼の仲間の2人のチリ人と一緒に盛り上がる。日本人だと知ると、どこでもふられる、カンフーか、空手か、柔道か、相撲の話題。ここでも、例外なく、カンフー話題に。オイラが、「いや、カンフーはどちらかというと中国でして・・・僕自身、カンフーは出来ないけど、柔道ならたしなみがありますよ」というと、柔道技をかけろって話に発展。まぁ、海外でよくある話の展開です。

 約束どおりビールは奢ってもらい、店を出る。その後、一緒に宿探しに付き合ってくれたのだが・・・訪ねる宿、どこも安くはない。オヒギンスの町に入った時、最初に訪ねたホステルがテント泊なら5000ペソでと言っていたのが最安値。まぁ、朝食なしで6000ペソとかあったんですが、財布のお金もギリギリだということもあり、なるべく安い場所で泊まらねばならなくて。ビールを奢ってくれた男の人に、宿探し付き合ってくれてどうも、とお礼をした後、ここでお別れし、ホステルで、テント泊することに。

 で、訪れたホステルにはチャリダーがいっぱい。皆アウストラル街道を走りきってきたツワモノたちだ。しかし、アウストラル街道ではほとんどチャリダーに会わなかったというのに、皆さんどこに潜んでいたというんですか?