Sistema económico
世界は金で動いているわけではないのでは?という疑問の答え

2011.1.31 / Argentina (Ushaia) 本日 自転車0km走行 : Total 25928km走行
天気:曇時々晴 ネット:1
朝飯→カレー 昼飯→トゥルーチャフライサンド 夕飯→カレー / 宿→上野山荘5日目

(English)
 Today I read the book. This book was written about economic system. I had question about that, so it was interested for me.



(Español)
 Hoy leí el libro. Este libro era escrito sobre el sistema económico. Tenía la pregunta sobre eso, para que estaba interesado para mí.
 この旅を始めて、中米に入ったあたりから、ずっと頭の片隅にモヤモヤしたものが漂っていた。旅の途中、無償で与えていただく、優しさ。この、見返りを要求されない、もらってばかりの優しさを、自分の中で、どう解釈したらいいのか、ずっと気になりながら走っていたのだ。

 全てのモノ・サービスには、価格という札がついている。そんな経済至上主義の日本で生活してきたオイラには、無償の施しを受けると、嬉しいと同時に、少々の戸惑いが発生する。モノやサービスには価格が設定されており、それを受ける時には、その価格を支払う義務があり、それが当然という頭のオイラには、価格という札がついていないもの、いや、そもそも、<価格という札を想定していない>モノの存在は、実は理解に苦しむものであったのだ。

 たまにそういうものに遭遇するのであれば、そんなに気にならなかったのかもしれない。しかし、中南米では、大きな頻度で、そして、それが当たり前のように存在する。これは、単に<ラテンだから>とか<優しい人たちだから>という理由づけでは割り切れないものとなり・・・モヤモヤとしてオイラの頭の中に居座ることになったのでした。

 そんなモヤモヤ、上野山荘の本棚に並んでいた内田樹さんの<街場のメディア論>という本を読んだら、吹っ飛んでしまいまして。

 これ、メディア論という皮をかぶっているのですが、この本で内田さんが書いている本質は、経済活動の超根本原理。この内田流、経済活動の超根本原理なるものにハッとさせられた。「そもそも、価値があるモノがあるわけではなく、誰かが、それは自分にとって価値がある、と認めた時点で初めて、経済活動なる流れが生まれるのだ」という、オイラが持っていた経済活動に対する概念とは、まるっきり逆の流れに、目から鱗。

 価格とは、提供者が決めるものではなく、それを享受した人が、自分にとって価値がある、と判断して始めて、その提供されたものの価値が決まる。それが、そもそもの基本。

 中南米で遭遇する<提供者側が、価値という基準を決めずに与える>というのが、本来の人間的な行動原理に基づいたもの。

 <価格あるものが提供され、それに従ってお金を支払う>という、今の日本では当たり前の経済行動は、資本経済というシステムに乗らされてしまっている、ある意味変化形の行為なのだ。

 『「価値あるもの」がまずあったのでもないし、「誰かにこれを贈与しよう」という愛他的な意図がまずあったのでもない。たまたま手にしたものを「私宛ての贈り物」だとみなし、それに対する返礼義務を感じた人間が出現することによって贈与のサイクルは起動した。人間的制度の起源にあるのは「これは私宛ての贈り物だ」という一方的な宣言なのです。おそらく、その宣言をなしうる能力が人間的制度のすべてを基礎づけている。ですから、端的に言えば、何かを見たとき、根拠もなしに「これは私宛ての贈り物だ」と宣言できる能力のことを「人間性」と呼んでもいいと僕は思います』、と内田樹さんはこの本で書いている。

 中南米での<価値を想定していないもの>を他人に与えるというのが、そもそも人間的な振る舞いだし、そして、それを受け取った時に、オイラの心に生じる<私が受け取りました、ありがとうございます>という気持ちは、資本経済という睡眠薬で眠らされていたオイラの<人間性>の目覚めだったわけだ。

 <ビジネス>なるものは、誰かが得するために仕掛けられているベルトコンベア。それに乗らざるを得ないのが今の日本社会で生きるということ。このことに気付くと、日本の息苦しさの正体が分かってくる。オイラの頭にあったモヤモヤとは、中南米に対して抱いていたものではなく、中南米の<人間らしい営み>に接した結果、オイラの中で立ち上がって見えてきた日本の息苦しさを憂いてのものだったんです、きっと。