(English)
Today I arrived at Graaff-Reinet.
(Español)
Hoy llegué a Graaff-Reinet.
|
|
とりあえず、一晩寝たら、パワー完全復活。
昨日までのように、アップダウンが激しいと今日中にグラーフライネに到着できなくなるかもと思い、早めに出るが、今日は平坦な未知が続き、快調なペースでペダルをこぐ。
この辺の風景は、これまでずっと走ってきた海岸ルートとは全然違う。カルーと呼ばれる丘陵平原地帯なのだ。ひたすら、平原が続く。
ここには、何もない。
左右には、ただ、牧場があるだけだ。
アドゥを越えたあたりから、走りが楽しくなってきた。心のモヤモヤがなくなってきた気がする。アドゥでエレファント・パークに行って、<やりたいのにやれない>モヤモヤが解消されたからというのもあるが・・・この辺、モヤモヤを発生させる誘惑要素が何もないというのが大きい気がする。
そもそも、実態が面白いかどうかは別にして<面白そう>と思わせるパッケージが欲望を誘う。
そして、消費社会とはこのパッケージが溢れている社会。南アの海岸線は、オイラにとっての久々な、消費社会ゾーンだったわけで。そして、その消費社会に抗えないオイラは、まだまだ煩悩の塊だったということが判明したワケで。
<なにかある>と知ると、その<なにか>を欲してしまう自分がいる。本当は、何もないなら、何もないでいいのだ。必要最低限のものがあれば、それでいいはずなのに・・・一度欲してしまった<なにか>は、なくてもいいやつだから、スルーしていい、と思おうと思っても思えない。一度欲してしまったものは、こころにこびりついて、今度はやらないと気持ち悪いものに変化していってしまうのだ。
これが、消費の正体。モノを売りたければ、誰かの心に、欲しいという芽をちょこっと埋め込めばいい。あとは、その芽は自然に心を蝕んでいくのだから。
何もない空間が心地いいのは、心を蝕んでいく消費の原理が働かない世界だからなんだろう。これ、不思議と心地いい。どっぷりと消費社会にはまっていると、自分がいかに心が蝕まれているかわからない。一度、何もない空間を自転車で走り抜けるといい。不思議と心が軽くなっているものだ。
さて、グラーフライネの町に到着。う~ん、ここ、なんかアリそうなんですけど・・・。
|
|
|