(English)
Today I entered Mozambique.
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フラネ国立公園、最高。ここんところ、最高!と思える場所ばかりに遭遇できて、アフリカ旅がたまらなく面白くなってきた。いやぁ、アフリカ旅をはじめた当初は、南米旅の延長のような旅が展開され、これ以上旅を続ける意味があるのか?なんて、疑問を持っちゃった時もあったのだが、いやいや、アフリカの懐はあんなもんじゃなかったワケで。アフリカネイチャーは、やっぱりアフリカでしか感じ取れないものだったワケで。アフリカを走る意味、それは、確かにあるのだから、迷わず走り続けようと改めて思うオイラ。
ということで、次への期待が膨らみまして。名残惜しいのですが、フラネを後にして、出発することにしたのです。次はいよいよモザンビーク。順調に行けば、今日中にモザンビークに入国して、首都であるマプトに到着できる予定。
走り始めたオイラを待ち受けていたのは、上り坂。スワジランドとモザンビークは山で区切られていると聞いていたもんで、国境越え=峠越えとなることは覚悟していたんですが・・・こうもアップダウンが激しい道が続くとは。上りになると愕然とスピードが落ちるオイラの走り、今日中にマプトに辿り着けるかどうか、早くも黄色信号が灯り始めたのでした。
さて、なんとか、スワジランドの国境に到着。意外と立派な建物のスワジランドイミグレに入り、出国手続き。なんの問題もなく、スムーズに出国スタンプをもらう。と、外へ出ると、「ランド?ドル?」と一人の黒人が近づいてきた。む、両替商のお兄さんだ。そうそう、アフリカに入って何度も国境越えをしているのだが、今まで一度も両替はしてこなかったのだ。何故かというと、ナミビア、レソト、スワジランドでは、南アの<ランド>がそのまま使えるから。もちろん、それぞれの国にはそれぞれの通貨があるのだが、基本的に<ランド>と同じレートでして。それぞれの通貨と同じように、南アのランドが使えていたわけなのですよ(ただし、スワジランドだけ、南アの銅色のコインが使えないので注意)。なので、今までまったく両替の必要がなかったのです。で、モザンビークは、ランドとは連動していないメティカルという通貨がありまして。アフリカに入って初めて両替が必要な国境越えとなったのですよ。で、手元に持っていた、ランドを全部メティカルに両替。一応、モザンビークでも、次に入国するであろうジンバブエでも、ランドが使える場所があるらしいのですが、ま、この際全部両替しちゃえ、と替えちゃったのでした。
そして、国境越え。目の前の看板には、懐かしのポルトガル語が・・・そう、モザンビークは、旧ポルトガル領であったため、第一公用語はポルトガル語らしいのですよ。で、イミグレで、入国スタンプをもらうオイラ。係員のおじさんが「アブラ、ポルトゲース?(ポルトガル語しゃべれるのか?」と聞いてきた。「ポキト(少し)」と答えるオイラ。・・・って答えはスペイン語なんですけど(笑)南米でポルトガル語圏であったブラジルでも、スペイン語返しで強引に会話してきたオイラ、ポルトガル語とスペイン語は、言葉が似ているため(発音は全然違うと思うのだが・・・)、意外と、コミュニケーションは成立していたんです。それが、モザンビークでも通用するのかどうか・・・とりあえず、イミグレのおじさんは、二コリと笑って、スタンプを押したパスポートを返してくれたのでした。ちなみに、モザンビーク入国は、ビザが必要です。オイラは、ケープタウンで取っていたため、スムーズに入国完了。いやぁ、それにしても、6月30日をタイムリミットに設定してもらったモザンビークビザ、ビザをもらった時には、二ヶ月ありゃ余裕で南アを走りきるでしょ、って思っていたのに・・・結局ギリギリになっちゃうとはね。
そして、モザンビークへ。イミグレを出て、国境の町に足を踏み入れた途端、そこは異国でした。田舎風景が続いていたスワジランドとは違って、目の前に<町>が展開されている。ただ、この<町>は、南アのようなきれいで清潔な感じではなく、雑然としてゴミゴミした感じ。ただ、緑が溢れていて、建物が妙にカラフル。この風景、どこかで見たような・・・
そうだ、ブラジルだ。
もともと、ブラジルの黒人は、ここモザンビークから奴隷として運ばれたという経緯があったようで。ブラジルとここモザンビークが似ていても不思議ではない。しかし、あまりにもデジャブ感を感じさせる、この相似性。楽しかったブラジルの日々が、頭をよぎり、思わず、懐かしさに浸ってしまうオイラ。
と、目の前が<パキッ>という嫌な音がして、フロントバッグがズレ落ちた。たまにフックが外れ、ズレることがあるフロントバッグ、また外れたのかと思って、取り上げてみたら・・・なんと、自転車につけたアダプタと、バッグをくっつけるフックが見事に折れちゃっているじゃないですか。まぁ、無理もない。2年半重い物を詰めたフロントバッグを支えていたフック、いつ折れてもおかしくないとは思っていたのだが・・・こうも突然折れるとは。なんてこった!!!当然、自転車のフロントにひっかけることができなくなってしまったバッグ、どうしようもないので、背負っていくことに。
これまで、荷物を背負って走るなんてことは、この旅で一度もしなかったオイラ。やっぱり、それが正解でした。荷物を背負ってのスタイルはありえないです。なんてったって、普段の倍くらい体に疲労がくる。これは、シンドイ。チャリ旅は、荷物は全部、自転車に運んでもらってやるべきですわ。
ただでさえ、スワジランドでの上り坂で時間をとられてしまい、今日の目的地であるマプトに到着できるかどうか怪しくなってきた今日の走り。荷物を背負っての走りがオイラを疲れさせるのだが、休んでいる余裕がない。当然、ブラジルを懐かしんでいる余裕もなくなってしまいまして・・・
比較的平坦な道となったモザンビークの道をひた走り。夕暮れ前に、なんとかマプトの入り口に辿り着くことができた。で、目の前には、料金所。これまで、料金所では、自転車ではほぼフリーで通してもらった(もしくは、ハイウェイは走れないからと無理やり下ろさせられた)ので、今回も、そのまま通れるだろうと思って突入したのだが・・・「17.5メティカル払ってください」ときた。「え?お金を払うんですか?」「ええ、バイクと同じ料金を払ってください」実は、この料金所、横脇に抜け道があって、地元の人たちはそちらを通っていた。どうやら、そこを通ればお金の請求はなかったらしい。しかし、急いでいたというのもあって、脇道に回りこむ気力がなくて、そのまま突入しちゃったので・・・ま、60円くらいだし、いいかと、ここはおとなしく折れるオイラ。お金を支払い、無事料金所を通過し、ようやくマプトの街へ。マプトには数件あるバックパッカー宿。時間的に余裕があれば、いくつか周って、居心地のよさそうなところに決めようと思っていたのだが、時間的にそんな余裕はなく、一番近かった、ベース・バックパッカーズという宿にチェックイン。
さて、チェックインした頃にはもう外は真っ暗。しかし、昼飯もろくに食べずに突っ走ってきたオイラは、もう腹ペコ。一応チャーハンが作れるくらいの食材は持っているのだが、もう、作るのも面倒なくらい、お腹が減っている。で、宿のお兄ちゃんに相談したところ、「大丈夫、外は22時くらいまでなら、ブラブラ歩いても安全だから。お店、いろいろ開いてるから行ってくれば」ときた。え、マプトって夜は結構危険って聞いていたんですけど・・・「全然平気だって。今日日曜日だから、クラブとか盛り上がってるよ。」・・・クラブに行く勇気はないですが、とりあえず、何か食べに外に行くことに。と、お兄ちゃんは大丈夫って言ってたけど、宿の前は結構暗い路地裏になってまして。危険な香りがプンプン匂っている。早足で路地裏をかけぬけ、お店があるという大通りへ。とりあえず、そこにあったピザ屋でピザを食べ、腹を満たす。腹を満たしたら、なんか落ち着いちゃいまして。危険かもとは思いつつ、夜のマプトをしばしお散歩。意外と大丈夫じゃね・・・ってその油断が、危ない目を引き寄せることになるから、程ほどにしとかなきゃ。
と、飲み物でも買って、宿に戻るかと、スーパーに入ると、なんと、そこには、あの<ガラナジュース>が。ブラジルでしこたま飲んでいたガラナにここで再び会えるとは。もちろん、買いましたよ、ガラナ。そして、グビリと一気飲み。再び、ブラジルの懐かしさが、頭の中に蘇ってくるオイラだったのでした。
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