Fire in the rain
旅を大変にするが、それ以上に面白くしてくれるチャリで走らねばという枷について

2011.7.12 / Mozambique(Massinga~Mapinhane手前10km) 本日 自転車112km走行 : Total 29872km走行
天気:曇時々雨
朝飯→パン 昼飯→パン&バナナ 夕飯→パン&バナナ&みかん / 宿→エマニュエルさん宅庭に野宿

(English)
 Today it was rain too. I run in the rain by bicycle...



 今日も雨音で目が覚める。

 空一面に広がる雨雲。降り続ける小雨。今日は天気がよくなる予感がしない。いつもならこういう時は、延泊するのだが・・・手持ちのお金が少ないモザンビーク旅、高いシングル宿に延泊するワケにはいかない。ということで、雨の中、出発。

 雨脚が強まったら木の下で雨宿り。雨が弱まったらまた走り始める・・・の繰り返し。平坦だし、追い風なんで、晴れていたら、最高に心地よく走れるであろう道なのに・・・まったく気分が盛り上がらない。ああやっぱり、無理して走らないで、バスかなんかに乗ってワープしちゃえばよかった、なんて、目の前を通り過ぎる<銘菓旅路>と描かれた大衆バスをうらめしげに見ながら、走る。

 天気が悪いと周囲の景色も映えない。目の前に展開されていく風景がただ流れていく。ファニーバニーをとめることもなく、カメラをかまえることもなく、ひたすらこぎつづける。早く休める場所に辿り着きたい、その一心で。が、目の前にドンとそびえたつ木が現れた時には、さすがに立ち止まった。

 これは・・・ひょっとしてバオバブか?

 噂に聞いていた巨木、バオバブ。でも、そんなに期待していなかったんですよ。所詮木でしょ、ってな感じで。が、実際にこの目で見たバオバブに・・・圧倒されました。スゲェ・・・これほどまでの巨木とは。想像を遥かに上回るその幹のぶっとさ。そして、奇妙なたたずまい・・・確かに、<巨人が引っこ抜いた木を逆さにして埋めた>と表現される通りの不思議な生え方をしているバオバブ。明らかに、他の木々とは異なる、この強烈な存在感。

 ふぉぉ・・・やっぱり、自転車で走ってよかったよぉ。車で通り過ぎるにはもったいなさすぎる、このバオバブ体験。

 バオバブが生えているのは、ここだけじゃなかった。走っていると、ポツンポツンと見えるバオバブ。彼らの存在が、雨でくじけそうなオイラの心を勇気付けてくれる。今日の元気は、バオバブ・パワーのおかげ。

 ということで、雨にも関わらず100km越えするほどがんばれた本日の走り、あと10kmで次の町に到着するっていうところで、雨が大降りになった。ああ、次の町に行けば、飯が食えるレストランがあるというのに・・・今日は、途中、どの町に行っても、レストランがなく、露商のおばちゃんから買ったパンとバナナしか食べていない。レストランでチキンを食べてぇ・・・しかし、自転車に乗って進むにはシンドイ雨。しょうがなく、ファニーバニーを止め、民家の入り口にあった木の下で雨宿り。

 と、そこへ、自転車に乗った二人の男の子がやってきた。オイラを見かけて同じ木の下で雨宿りをしはじめ、話を始めたオイラたち。が、英語がまったく話せない二人の男の子と、ポル語がビミョウなオイラとのコミュニケーションは、あまり続かず・・・しばらくすると、二人の男の子は、民家の方へ行ってしまい、再び一人ぽつんと雨宿りするオイラなのであった。一向に止む気配がない雨空を眺めながら、ため息をついていたら、トントンと誰かが、オイラを叩く。振り返ると、さっきの男の子が。「これ食べて」と差し出してきたのが、二つのみかん。このあたり、みかんの産地で、どこの家にもみかんの木がある。雨宿りをさせてもらっている民家の庭にもみかんの木がなっており、そのみかんをもぎってきてくれたのだ。なんとうれしい心遣い。「オブリガード(ありがとう)」。早速いただいたみかんを剥き始めるオイラ。男の子も自分のみかんをむきはじめ、無言ながら、三人で空を見上げながら、みかんをほおばる。

 そんなみかんも食べ終えて、1時間も待ったのだが、今日のこの雨は降り止まず。時刻はすでに16時半。周囲は暗くなりはじめ、これから走り始めても、もはや、明るいうちに次の町にはたどり着けない。これは、もう、今日ここで野宿するしかないな、と決め、民家にいたご主人と思えるおじさんに「雨のため、先に進めないので、ここでテントをはらせてくれませんか?」と頼んでみた。すると、「おお、もちろん、いいぞ。きっとそうするんじゃないかと思って、見てたよ。君が自転車を置いているあそこは、雨に濡れやすいから、もっと奥に入って来い」と、招き入れてくれまして。雨があたりにくい、大きな木の下をテン場として提供していただき、そこにテントをはりはじめるオイラ。

 で、さらに・・・「雨にあたって体が冷えているだろ」と、おじさん、枯れ木を並べ、テント前で火をおこし始めてくれたんです。「いや、そこまでしていただかなくても・・・」と恐縮するオイラであったが、さっきの男の子二人とともに、三人がかりで焚き火をしていただきまして。起こした火をしばし4人で囲む。相変わらず雨は降り続いており、火をあびているお腹面は乾くのですが、背中が濡れる。しょうがないので、背中を火に向けると、今度はお腹面が濡れる・・・結局乾かないんじゃん・・・冷たいじゃん・・・テントの中のほうが濡れないじゃん・・・

 いや、でも、こういうのがうれしいんです。

 暖まるんですよ、心がね。

 走るのがツラクなる時もあるんだけど、そんな時も、そのツラサを補って余りあるほどの、こういう心温まる出来事を演出してくれるのがチャリ旅。

 安易な方法で旅をしていると、出会えない出来事が起こるチャリ旅。

 このチャリ旅ならでは、ってなんなんだろうって考えてて、ふと気づいたことがありまして。

 それは、チャリ旅は一つの枷にしばられているんだってこと。

 そうそう、チャリ旅って、<自転車で走らなければならない>という枷がはめられているんですよ。自転車って自分の意思でどこへでもいけるから、旅としては、最高に自由だ、と最初は思っていたのですが、実は、自転車旅の方が、パッカー旅より、一つ自由度が低い。だって、パッカー旅の方が、自転車で走らなくてもいい(走ってもいい)という選択肢を持っているワケで。

 じゃぁ、自由度の高いパッカー旅の方が、いろいろな体験ができるんじゃない、と思うでしょ。でも、でもですね、自由度が高いと、実は、人間、安易な方に流されやすい。だから、旅が安易な方向に流れがち(だと思うんです。少なくともオイラがパッカーをやると、楽な手段ばかりをチョイスする自信がある(笑))。つまり、自由な旅で、多くの選択肢があるにも関わらず、チョイスするのは、安易な方法になりがちなわけ。例えば、次の町までどうやっていく?ということを考える時、歩いてもいい、自転車で走ってもいいという選択肢があるにもかかわらず、バスでの移動を選択しちゃうでしょ。しかも、お金も自由に使えちゃったりしたら、なるべく快適なゆったりシートの大型バスを選ぶでしょ。

 自由度が高いはずなのに、旅先に溢れているはずの不確定な出会いの可能性が一番小さくなってしまう<安易な選択肢>を選択してしまう。

 一方、チャリ旅の<自転車で走らねばならない>という枷は、安易な方に流されがちな気持ちをとどめてくれる働きをしているのだ。この枷があるおかげで、旅先に溢れている不確定な出会いの可能性が高い方向に行かざるをえない。枷が、面白いことに遭遇する可能性へと、強引に導くのだ。

 結果的に、チャリ旅は大変だけれども、面白いものになる。

 人間が楽な方向に流れてしまう生き物である以上、<完全に自由な旅>よりも、強引に縛りを作って楽な方向へいくことを阻止した<枷のある旅>の方が、面白くなる。あの電波少年の旅だって、<ヒッチハイクでしか進めない><お金は10万円しか渡さない>という枷があったからこそ、毎週のようにハプニングが起こっていた。あの枷が番組として、視聴に耐えられる旅を作り上げていたのだ。

 この旅に関する枷のはめ方は、無限の組合せがある。そして、この枷をどう設定するか、が、旅で何に出会うかを決定する。オイラは、自転車による枷で起こる出来事、出会う人々が大好きだ。チャリ旅という枷を選択してホントよかったと思う。

 ちなみに、折りたたみチャリって、実は、普通のチャリの旅より、一つ自由度が高いはずだったんですよ。折りたたむとすぐに乗り物に乗せられるため、移動の選択肢がチャリ移動に限定されない、ってことでね。でも、この自由度はめったに使わない。だって、やっぱり、<自転車で進まなければならない>という枷がはまっている旅の方が、断然面白いんだもん。