Arrived at Newtopia
ニュートピア到着:ボランティア生活初日

2011.12.28 / Uganda(Masaka~Kalivaliyo付近) 本日 自転車68km走行 : Total 36436km走行
天気:晴
朝飯→マトケ+バナナ 昼飯→ビーンズ+マトケ 夕飯→ジーナッツ&ポショ / 宿→Newtopia(一週間120,000ウガンダシリング)

(English)
 Today I arrived at Newtopia. Here is Children center where a Japanese man "Kamau-san" conduct.



 マサカの町からニュートピアがあるカルバリオって村までは、70kmくらいらしい。まぁ70kmくらいだったら少々アップダウンがキツくても、余裕で走りきれる距離だ、ということで、今日は、少々のんびりと。7時に起きて、朝飯をゆっくり食べ・・・8時に出発。

 チョテラという町まではそれなりに交通量があったのだが、チョテラを過ぎたあたりから車の通りがほとんどなくなってきた。周囲は、緑豊かな田舎な風景。道はきちんと舗装されているし、アップダウンも緩やかになってきたので、自転車的には心地よい。途中、バナナを大量に積んだトラックや自転車、さらには頭にバナナを乗せた人たちとすれ違う。そう、ここウガンダは、バナナの生産国として有名らしいのだ。なんでも世界第二位のバナナの生産国らしい。大量に収穫できるバナナ、ウガンダでは、主食にもなってまして。マトケという食用バナナを、そのまま煮てスープで味付けしたり、すりつぶしてペースト状にして食べたりする。バナナが主食に?と日本人的には疑問符が頭に浮かぶでしょうが・・・食用バナナは、いわゆるフルーツバナナとは違っていて、そんなに甘みは強くない。どちらかというと、イモに近い感じなんです、ハイ。

 さて、これから向かうニュートピア、話で聞いていると・・・カンパラから向かう旅行者に、カンパラのマーケットでタマネギやニンジンやパンを買ってきてもらったり、飲み水は滞在日数分用意することをお勧めされたり・・・というところ。うむむ、これは、ニュートピアってところの周辺は、村といっても、家が3、4軒立ち並ぶくらいの、ド田舎なのかなぁ、と思っていたのだが、道を走っていると、道脇には、適当な間隔で商店などが目にとまり、思っていたほど、ド田舎な感じはしない。店先には普通に、トマトとかキャベツが並べられているし・・・が、よくよく見てみると、タマネギやニンジンはない。あ、いや、タマネギは一応あるのだが、ニンニクみたいに小ぶりなタマネギが並べられているだけなのだ。ああ、そうか、食材がまったく手に入らないってワケじゃなくて、タマネギとかニンジンが手に入りづらいからカンパラで仕入れて持ってきてもらっているのか、と納得。オイラはチャリだし、炎天下の中、食材をカンパラから買ってもって行くというのは、衛生的によくないかも、と思って、お土産食材は何も買わずに来ちゃったんだけど・・・何か買っていった方がよかったかな、と思い、とりあえず、パンだけでも、と、パンを買っていくことに。

 そんなことを考えつつ、快調なペースで走り続け、15時頃には、カルバリオという村に到着。ここがニュートピアの最寄の村らしい。思っていたより活気のある村だった。いくつか商店もあり、必要最低限のものは手に入るっぽい。とりあえず、水がなくなりかけていたので、ミネラルウォーターを購入。

 さて、カルバリオまでは分かりやすい道だったのだが、ココから先は、ちょっと先にあるガードレールの向こう側から脇道に入っていかなければならないらしい。情報ノートに、なんとなく道順らしきものが書かれていたんだけど・・・あの情報で迷わず辿り着けるかなぁ、とちと不安になりながら、自転車を漕ぎ進めようとした時、

「これからニュートピアに行くの?」

 と、一人の青年が英語で声をかけてきた。「ええ」と答えると、その青年はニュートピアまでの詳細な道順を教えてくれるじゃないですか。この辺で、キョロキョロしている日本人は大抵ニュートピアを探しているんだろう、ということで、親切に教えてくれたのかな、それとも、彼は、ニュートピアの卒業生なのかな、なんて思いながら、親切な青年にお礼を言って別れたのだが、クリントンと名乗った彼、後から、ニュートピアの主、カマウさんの息子さんであったことが判明したのであった。

 さて、クリントンくんから教わった道を走り・・・いや、脇道に入った途端、道は未舗装のガタガタ道になってしまったため、ほぼ自転車は押しながら進むことになったのだが、しばらく進んだところで、<NEWTOPIA Childres's Center>の看板を発見。おお、ここか、と門をくぐり、中へ。奥のほうに、建物が見えてきて、そちらへ進むと、周囲にいた子供たちが、一人一人、見知らぬ訪問者であるオイラに向かって、丁寧に挨拶。「ムスングー」と手を振るわけではなく、ようこそいらっしゃいました、的ななんか、暖かく、迎えてもらっている感じのするウエルカム挨拶。おお、しっかり教育されているなぁ・・・ってまず、感心させられた。

 そんな子供たちの声を聞き、出てきて迎えてくれたのが、シルビアおばさん。カマウさんの奥さんとのこと。そうそう、ここで、ニュートピアについて、少々説明しておきましょう。ニュートピアは、ウガンダの子供たちが20数人共同する孤児院。このニュートピアを運営しているのが、日本人のカマウさん。カマウというのは、アフリカ名で、日本人名ももちろん持っていらっしゃる、見た目は日本のおじさんなカマウさん。そんなカマウさん、最初はケニアのナイロビ近くにあるスラム街で孤児院をやっていたのですが、ケニアでは理想としていた孤児院ができないと判断し、ウガンダに移って、ニュートピアの運営を始めたとのこと。ウガンダで知り合ったシルビアさんと結婚。でお二人には、先ほどオイラが出会ったクリントン、そして、今ここで働いているジュチ、そして、ニュートピアで子供たちと一緒に学んでいるナッチャンという3人の子供たちがいる。で、ここ、ニュートピアがスゴイのは、カマウさんが、私財をなげうって運営しているということ。どこぞの団体に資金的な補助をしてもらうこともなく、カマウさん個人のお金でまかなっている。もちろん、カマウさんの意思に賛同してくれる人々が寄付というカタチで、いろいろ施してくれる部分もあるようなのだが、基本的には、カマウさんの想いで成り立っている孤児院なのだ。一人の男がアフリカで孤児院をやっていく・・・これが、どれだけ大変なことなのかは、ここで一週間生活をしていくうちに次第に見えていくことになるので、今ココでは割愛。

 で、そんなカマウさんの活動、ここを訪れた旅人の口コミネットワークなどを通じて、次第に知られるようになり、今では年間70人くらいの旅人が、訪れて、ボランティアとして、お手伝いをするようになってきたそうです。オイラもそんな旅人の一人。ちなみに、ここを訪れる旅人には、寝床と三食の飯を用意してくれます。ただ、用意してくれる飯は、基本的に子供たちと一緒のもの。正直言って、質素。ウガンダの子供たちが、こんな食事で毎日生活しているんだ・・・と、驚きをもって実感させられます。食事については、ずいぶんいろいろ考えさせられたので、後の日記でもうちょっと詳細に語りますんで。

 で、シルビアおばさんと話していたら、「ヨシさ~ん」という声が。ナイロビで再会した細見夫婦。そして、その後から、ブラジル以来の再会となるチャリダーのリンさんがやってきた。さらに、何人かのボランティアらしき人たちと、はじめましての握手。もうかれこれ、半年くらいここでボランティアをやっているというトブさん、そして、施設内を案内してくれたヒトミさん、10日ほど前にココに来たというカップル旅人のタクさんとサユさん、そして、韓国人旅人のジョン。細見夫婦のサトシさん、アサミさん、チャリダーのリンさん、そしてオイラをあわせると、全部で9人のボランティア。おお、結構いるもんなんだなぁ、ボランティアと思っていたのだが、よくよく聞いてみると、今の時期は特別多いとのこと。オイラと同様に、年末年始をどこかで腰据えて過ごそうと思う人が集まっているらしい。トブさん以外は、皆、年明けと共に、旅たってしまうらしく・・・今、多いように感じる人手も、一気に減ってしまうとのこと。

 とりあえず、荷物を置いてゆっくりしてくださいと、宿泊部屋に案内された。リンさんと同じ部屋。土間のようなつくりで、中には特に何もない。一応、訪れた旅人用に、マットや蚊帳など用意してくれるようなのだが、前述したように、ただいま、ボランティア人数が多い状態なので、宿泊セットを持参しているチャリダーのオイラとリンさんは、自前の道具でお泊り。部屋にテントを張って、マットと寝袋で寝ることに。

 荷物を置き、ホッと一息ついたところで、仕事がひと段落着いたというカマウさんのところへ。「40歳なんだって?ココに来る人、皆20~30代の人たちばかりで、40歳は初めて。年齢が近くて、嬉しいよ。ま、兄弟みたいなもんだな、ヨロシク」と言うカマウさんは来年1月で60歳の還暦。いやいや、兄弟みたいなもんって・・・

 さて、早速何かできることをやりたいを、と思うのだが、着いたばかりで勝手が分からない。リンさんが作っているというアスレチックを覗いてみたり、タクさんが作業している服の修繕をちょこっとお手伝いしたり、サユさんが子供たちと一緒に水汲みに行くというので、ついていってみたり、と本日のところは、様子見。明日からは、何でもやります、と意気込んだのだが、カマウさんから言われたのは「サカンできる?」。どうやら、教室の黒板を直しているらしく、壁の塗り替えをしなくちゃいけないらしい。ああ、その左官、ですか・・・いや、そういう職人技はできないです。とは言ったものの・・・ここは、なんでも自分たちでやらなきゃいけない世界なのだ。この後の一週間、そのことを連日、思い知らされることになることになるのであった。