Coffee Ceremony
郵便局行ってコーヒーセレモニー体験して中華を食べ楽器を弾いて生ビールを

2012.1.17 / Ethiopia(Addis Ababa) 本日 自転車0km走行 : Total 36662km走行
天気:晴 ネット:1
朝飯→オムレツ 昼飯→酢豚&チャーハン&餃子 夕飯→ピザ / 宿→Taitu Hotel(155ブル)

(English)
 Today I stayed in Addis Ababa. We did coffee ceremony.



 今日も、アディス。ん?アディスでいつまで食べ歩き生活を送るのかって・・・実は、アディスから動かないのには理由がありまして。日本からの荷物を待っていたのですよ。送ってもらっているのはクレジットカード。今手持ちのクレジットカードが、この一月で期限が切れてしまう。で、ちょうどオイラがアディスに到着した時に、新しいクレジットカードが実家に届いたとの連絡を親からもらいまして。現在キャッシング機能が使えないクレジットカード、まぁ、なくても旅はなんとかなっるのだが、すぐに送るよ、という親に甘え、ここ、アディス宛に送ってもらうことにしたんです。EMSならすぐ着くだろう、と思って待つこと5日目。どうやら、昨日には到着していたようだったのだが、ネットでの荷物追跡が本日更新され、アディスの中央郵便局に荷物が来ていることが分かり、朝一で、とりにいく。

 中央郵便局のEMS専用の建物に入り、全てがアムハラ語で書かれているオフィスで、受け取り場所がどこか分からず、困っている中、親切なお兄さんに、受け取り場所を教えてもらい、荷物のID番号と、パスポートを提出して、オイラ宛に送られてきた郵便物を受け取る。今回、送ってもらった荷物は、ダンボール入りではなく、封書扱いだったためか、中身に関してはまったくチェックされず。そのまま、荷物はオイラの手元へ。ちなみに、EMSの記入欄に書いてもらった品名は、<Book>。そう、今回送ってもらった品物は本ってことにしてもらったんです。いや、ってことにしてもらっただけじゃなく、実際に本も送ってもらったんですよ。クレジットカードをそのまま送ってもらうのは、いくらなんでもちょっと不安。なので、本に挟んで送ってもらうことにしたんです。で、どうせ、本を送ってもらうのなら、オイラが読みたい本をリクエストしようってことで・・・クレジットカードを挟んで送ってもらう本は、伊坂幸太郎の<モダンタイムス(上・下)>にしてね、と親にお願いしてまして。で、無事、手元に届いた荷物。あけて見ると、二冊の本と、本に挟まれたクレジットカードが。う~ん、以前、キャッシングもクレジットカードでやっていた頃は、クレジットカードの期限が旅の途中で切れてしまうことに恐怖を覚え、更新後の新しいカードが無事に手に届くことができるかどうかが、ずっと旅の心配事だったのに・・・アルゼンチンでクレジットカードのキャッシングが使えなくなったことが判明して以来、出番が少なくなってしまったクレジットカード。今となっては、新しいクレジットカードが手元に届いたのは確かに嬉しいのだが、どちらかというと、モダンタイムスが読めることの方が、嬉しかったりする。

 とにかく、無事届きました。父さん母さんありがとう。

 さて、郵便局まで一緒に来たリンさんと、そのまま、コーヒーセレモニーを体験しにいくことに。先にエチオピアを訪れていたアサミさんのブログで、インフォメーションセンター裏あたりにある赤い壁の建物のレストランで、コーヒーセレモニーが見れるって書いてあったので、そのレストランに行ってみることに。

 そして到着した<Weyin Ethiopia Cultural Food Hall>という長い名前のレストラン。入り口付近に、エチオピア独特の入れ物や、コーヒーカップが並べられているのが見える場所があった・・・が、ここ、普通に頼むと、すでに煎れてあるコーヒーを注いでくれるだけみたい。昨日の帰り道に飲んだ、道端の路上コーヒー屋と同じく<コーヒーセレモニー風>でコーヒーが飲めるだけみたいなのだ。コーヒーセレモニーのコーヒーが飲みたいと言っても、「一杯5ブルね」って、コーヒーだけ出しますよみたいに言われて・・・セレモニーがそんなに安い値段で見れるワケがない。「いや、ただ、コーヒーが飲みたいんじゃなくて、コーヒー豆をローストして、砕いて、コーヒーを煎れるところを見たいんです」って駄々をこねていたら、店のオーナーらしきおじさんが出てきて、「分かった、一人30ブルで初めからコーヒーを煎れるところを見せてやろう」と、コーヒーを煎れる係のお姉さんに、なにやら、指示をして、コーヒーセレモニーを最初から見せてもらえることになったのでした。

 コーヒーセレモニー・・・コーヒー発祥の地のエチオピアならではの、コーヒー道とでもいうべき、コーヒー儀式。取れたてのコーヒーの生豆から、たっぷり時間をかけてコーヒーを煎れてくれるんです。日本で言えば、茶道みたいなもの。

 まず、お姉さんがとりだしたのは、ピーナッツみたいな色の、コーヒーの生豆。これをフライパンのような入れ物に乗せ、水洗いすること5回。きれいにした生豆が乗ったフライパンを、炭火にかける。先が曲がった鉄の棒で時々かき混ぜられるコーヒー豆は、ゆっくりと時間をかけて、色が変化していく。コーヒー豆の色が、いわゆるコーヒー色になり、焦げ臭くなってきたところで、コーヒーローストが終了。今度は、木臼にローストされたコーヒー豆を移し変え、鉄の棒でコーヒー豆を砕いていく。砕かれたコーヒー豆は、ようやく、オイラたちが見慣れている、コーヒーの粉になる。で、このコーヒーの粉を独特の容器に水と共に入れ、炭火で煮出すこと十数分、濃いエスプレッソコーヒーができあがる。これをカップに注いでもらって、コーヒーをいただくことになるのだが・・・このコーヒー、思っていた以上にすっぱかった。砂糖をいれることで味はまろやかになるのだが、轢きたてで、煎れたてのコーヒーというのは、こういう味がするのか、と。ま、味はともかく、セレモニーにつきものの、御香が炊かれ、リラックスした雰囲気の中、コーヒーをすするのがいい感じ。ただ単にコーヒーを飲むのとは違った体験だ。このコーヒーセレモニー、エチオピアに来たら、絶対一度は体験したいって思っていたんだけど・・・うんうん、体験してよかった。

 と、リンさんと、まったりコーヒーを飲んでいたら、一人のおじさんが店に入ってきた。そして、オイラたちの姿を見て、近寄ってきて、話しかけてくるじゃないですか。壁に貼ってあったアムハラ語の語表で、アムハラ語について解説しはじめるおじさん。メディカルドクターだという、このアヤナさんというおじさん、話が面白く、コーヒーを飲みながら、いろんな話を聞かせてもらったのだが・・・うむむ・・・これは昨日のパターンと同じだぞ、と思い始めるオイラ。が、今回は、おじさんのコーヒー代がオイラたちのレシートに紛れることもなく、支払いをすませることになった。アヤナおじさん、いい話をいっぱい聞かせてくれたから、コーヒー代をだしてもよかったんだけどねぇ。

 コーヒーセレモニーを堪能した後、とりあえず、お腹がすいたからなんか食べていきますか、と、近くにあった中華レストランに入ることに。いくらおいしいとはいえ、イタリアンばかりだとちょっと食傷気味で・・・久々に食べた酢豚がメッチャ美味かった。

 その後、ブラブラしながら宿に向かって歩いていたら、街角で、ギターっぽいエチオピアの民族楽器を弾いているおじさんを発見。興味シンシンで近づいてみたら、「弾いてみるか?」と言われ、楽器を触らせてもらったオイラとリンさん。後で、お金を請求されたりするのかな、とチラッと思ったりもしたのですが、笑顔が優しいおじさんは、そんなことを一言も口にださず。う~ん、エチオピア人がウザイっていうのはやっぱり噂にしか過ぎないのかな。なんか、いい人ばかりにしか遭遇しないんですけど・・・

 さて、夜。同じ宿に泊まっていて、今、とあるNGO団体で働いているという、藤村さんと一緒に飯を食べることに。リンさんとオイラと藤村さんとで、ピザが美味い店に繰り出す。

 藤村さんは、エチオピアのラリベラで、植林を行っているNGOで働いているという。で、そのNGO、立ち上げのエピソードを聞かせてもらったのだが・・・これが興味深くて。なんでも、もともと、旅人だった代表の方が、エチオピアを旅していたとき、ラリベラで子どもたちに虐められているフクロウの子どもを見かけたんだと。かわいそうに思った代表が、子どもたちからフクロウを譲り受け、自然に帰してあげようとしたのだが・・・帰すべき森が周囲になかったのがショックだったらしい。遠く離れた町まで行き、ようやくフクロウを帰すことができたとき、「ラリベラにフクロウが住めるような森を作ろう」って決心したと。藤村さんが言うには、その代表の方がそんな風に思い立ったのは、30代後半に世界を放浪していた時だったと。うむむ、オイラより若い年でそんなことを思い立ち、実行に移すとは・・・

 さらに、藤村さんは、エチオピアと日本との関係についても興味深い話を聞かせてくれた。世界大戦前、西欧諸国以外で、独立していた国というのは、世界で3つくらいしかなく、それが、日本とエチオピアとタイ。同じ独立国ということで、エチオピアと日本は仲いい関係だったらしく、日本がアフリカの国と友好条約を結んだ初めての国は、エチオピアだったとのこと。そんないい関係だった日本とエチオピアとの関係も、第二次世界大戦、日本がドイツ・イタリアと手を組み、三国同盟を結んだことで、途絶えてしまうことになる。イタリアに統治されていたことのあるエチオピアとしては、イタリアは憎き国となってしまっていたのだ。

 エチオピアといえばマラソンランナーのアベベくらいしか知らなかったオイラであったが、以前に、日本とそんな関係があったことを教えてもらい、ますます、エチオピアに興味がわいてきたのであった。