(English)
Today was second day in Simien Mountains.
|
|
昨日、夜はさっさとテントに入って寝てしまったためか、朝早く目が覚めてしまった。せっかくだから日の出を見ようと、テントを出て、周囲をぶらぶら。ナイスなポイントを発見して、日の出を待つ。が、日の光が山々にあたる前に、食事の時間になってしまった。時間にルーズになれない日本人的感覚が、オイラをキャンプ地へ戻させる。ティディが用意してくれたコーヒーを飲みながら、朝飯のオムレツをパクついていたら、遅れてやってきたブライアンがこう言った「日の出を見てきた。メッチャきれいだったよ」と。ああ、朝食なんて、遅れてもよかったから、オイラも日が出るところまでねばればよかったよ。
さて、朝食の後、オイラはテントをたたんで、荷物をまとめる。テント道具は、今日もまた運んでいってくれるとのことなので、テントと寝袋とマットとサンダルを詰め込んだオルトリーブのバックを、アンやブライアンたちのテントの横に置いておく。今日は車では入れない場所にあるキャンプ地へと行くことになるのだが、料理道具などと一緒に、ミュールで運んでくれるらしい。ということで、昨日とおなじように、フリースとジャンバー、そして水と、昼飯のランチボックス(銀紙に包まれたハンバーガーとバナナ)をつめたナップザックだけで出発。荷物が軽いと心も軽い。ツアーだとホント楽だ、と今日も実感。ああ、このトレッキングとは対照的で、自分で何もかも運んでいたパイネトレッキングが思い出される。
歩き始めたシミエン二日目。今日も絶景続き。というか、昨日よりも眼下に見えるうねりがゴツゴツしてきて、いい感じ。テンションも昨日よりさらにあがる。
そうそう、ここの隆起は、地殻変動といった地球のうねりが作り上げたものらしい。ということで、広大なパノラミック風景が見れると言う点では、グランドキャニオンと似ているとも言えるのだが、ここは、グランドキャニオンなどの川が大地を削って作り上げた<渓谷>とは作りが違うのだ。ここは、あくまで、<山>。そう、ここで眼下に見える風景は、どちらかというと、オイラがアルゼンチンで見てきた、キハーダス国立公園での風景と似ている。あの辺の妙なウネリも、アンデスが出来上がった時の地殻変動の影響というか、そういうので出来上がったんじゃなかったっけ?
あまりにもテンションの上がってしまい、ここは、例のガッツポーズ写真を撮らないと気がすまなくなってきた。いつもなら、なんとかセルフタイマーで撮影するのだが、今回、ツアーってことで、撮ってくれる人たちが周囲にいる。ということで、ガイドのジョナスにお願いして、写真を撮ってもらうことに。オイラが崖の縁に立ち、上から見下ろす感じで、何枚か撮ってもらったのだが・・・なんかイマイチ。イメージが違うっていうか、この壮大なる風景を表していないっていうか・・・なんか違うので、横から撮ってもらうことにした。ダイブ離れた場所の崖までオイラが走って登り、ガッツポーズをしているところをジョナスに撮ってもらう。うんうん、これだ。この写真はオイラの感激具合をよく表している。
と、まぁ、スムーズに撮れたような写真なのですが、これが、実は、いつものセルフ写真以上に大変だったのですよ。そもそも、アフリカ人に写真を頼むと、<人の顔>を撮ろうとする。人物を真ん中に入れ、ズームで寄ってくる。「圧倒的な風景の中に、人物がポツリ」といったワビ・サビな写真を撮ってくれないのだ。「アナタがここに来たっていう証拠写真でしょ。だから、アナタを撮るよ」と言った感覚で撮るので、オイラがドーンと真ん中に写って、風景の雄大さなんてこれっぽっちも感じない写真となってしまう。「いや、オイラが主人公じゃなくて、シミエンの風景が主人公ってことで撮ってほしいのよ。オイラの存在なんてあくまで脇役。添え物のグリーンペッパーくらいの感じで(ちなみに、エチオピア料理には大抵激辛のグリーンペッパーが添えてある。ピーマンかと思って勢いよく食べると、口の中が大変なことになる)」とお願いしても、なんかオイラが中途半端な大きさで写った写真になっちゃたりして。「グリーンペッパーはピリリと辛くて、存在感あるでしょ」なんてワケのわからない説明をされ、これはひょっとしてワザとやっているのか、なんて思いながら、何度も何度もこの崖を往復し、そのつど、撮ってほしい構図を事細かに説明して、撮り直してもらい、ようやくたどり着いたのが、この構図なんです、ハイ。
そんな様子を眺めながら待っていたアンとマティアスとブライアンの3人は、「日本人がカメラ好きって噂はホントなのね、やっぱり」って思ったに違いない。
ちなみに、旅をしていると、日本文化に興味がある欧米人からよく突っ込まれることになる「ワビ・サビ」なんですが・・・
ワビとは、<侘び>。室町時代の茶文化から発生した言葉。もともと貴族の遊びであった茶。これが一般に浸透していったのだが、一般の人は貴族ほど立派な道具を揃えることなんてできない。本当は立派な茶道具を揃えてもてなしをしたいのだけれど、とりあえず、今はこんな粗末な道具しかない、あなたに申し訳ない、といった詫びる心を持ちつつ、その代わりに、道具の取りあわせや茶の湯の段取りには、とことん心を配る、という茶道の心意気から生まれた言葉。つまり、<侘び>とは、単に質素なものをさす言葉ではなく、<心配りの自信に裏づけされた質素さ>を言い表す言葉なのだ。ちなみに、この<ワビ>の茶道を究極までに高めていったのが、あの有名な千利休。
そして、サビとは、<寂び>。これまた室町時代に出来た言葉で、これは連歌文化から発生した言葉。当時大いに流行った連歌。春や秋の美しさといった、誰もが感じるありきたりのテーマでは飽き足らなくなったプロの連歌師、心敬という人が、究極的に突き詰めて読み上げた、冷たくて凍てついた冬ざれの風物をこそ美しいと感じる美意識。<庭の草花がすっかりなくなった光景>や<枯れ木が澄んだ空気の中で林立している光景>が、めったにない美しさだという美意識。これに共感した人たちが、すべてのものが枯れ果てたモノクロームの風物の中に日本の極上の美があるということを見出していったという。この<冷えさびしい>という感覚が<サビ>という言葉になったらしいのですよ。
と、分かっても、こんな難しい言葉の由来、英語でなんて説明できないのが、困ったものです。
さて、途中まで、眼下に広がるパノラミックな風景を堪能しながら歩く、崖沿いの道だったのだが、いつの間にやら、周囲が峰峰に囲まれた山の中に突入していた。ああ、もっとパノラミックな風景を楽しみたかったなぁ、なんて思っていたら、目の前にゴソゴソと動く怪しい物体が・・・なんと、ここで、バブーンに遭遇。いや、ゲラダヒヒと呼ばれるサルだ。モサモサとした毛と、赤く染まった胸元が特徴。とんがった牙をもっており、口をあけて威嚇してくると、ちょっと怖い。
そんなゲラダヒヒを横に見ながら、山道を歩いていく。途中、絶景ポイントをいくつも経ながら、水が流れている場所にたどり着いた。今日はここで昼飯休憩。さぁ、お弁当、と飯を広げる前に、まず、ここで、靴下を洗う。昨日のキャンプ地では水場がなくて、昨日の靴下をそのまま履いている本日。いやぁ、パンツとかTシャツは4日くらいなら、同じものをそのまま着ていられるんですけどね・・・靴下は無理です。二日が限度です。足のアブラでパリパリになってくるし、なんといっても臭い。次第に普通に歩いていても靴から匂ってくるくらい臭くなる。できればそうなる前に、洗ったものに履き替えたい。ということで、川の水で靴下を洗濯。日差しが強いので、日向においておけば、すぐ乾く。昼飯のハンバーガーを食っている間に、もう乾いてしまった。さすが、サンパワー・・・っていうか、日差しはそれくらい強いってことです、ココ。高原特有の冷たい風が吹かなかったら、うだってしまい、トレッキングどころじゃありません。
さて、その昼飯後に、歩き始めた道は、午前中の風景とはぜんぜん違ってきた。乾いた大地というか、なんというか・・・ここは、アンデスの山の中に雰囲気が似ている。
うむむ、シミエンを歩いてて、南北アメリカ大陸で見てきた風景とのデジャブ感に襲われるとは。そういえば、なんかで、<地球の横断の旅は、文化の移り変わりを感じる旅となるが、地球縦断の旅は、自然の移り変わりを感じる旅となる>という言葉を聞いたのを思い出した。地球の北極と南極を軸として縦の方向に、自然は変化していくという。一方で、横の方向にはあまり自然は変化はせず、そこに住む人たちの文化の違いが大いに目につくことになるという。ということで、縦の旅を折り返している今は、最初の縦の旅の自然の変化をリバース体験しているということになるのだろうか。アメリカ大陸とアフリカ大陸という大陸間の違いがあるものの、そこで形成される自然というのは、縦の流れで見ていけば似たようなものになるということなのだろうか。地球は縦に相似形ということか?
そんなことを考えながら歩いていたら、こんな山の中にある村、ギッチェに到着した。そして、この村周辺に生える、奇妙な高山植物を発見。これ、どこかで見たことが・・・そうだ、ペルーのワラスだ。あのアンデスの山奥でも、同じような植物を見た。やっぱり地球は縦に相似形なのだ。
さて、自分的にはそんな大発見に興奮しながら、訪れたギッチェの村。こんな山の中にも生活をしている人たちがいるなんて。で、ここで、コーヒーをご馳走になることに。もちろん、「歩いてきて疲れたでしょ。もてなしますよ、サービスです」なんてものではない。商売だ。お金が取られる。しかも、高い。完全に観光客価格。一人50ブルって・・・いくらセレモニーからやってくれるとはいえ、ちと高すぎですよ。ダナキルに行った時、途中で寄ったブラレで飲んだコーヒーセレモニーつきのコーヒーは、15ブルだったというのに。しかも、美味ければまだ許せるのだが・・・このコーヒー、全然、おいしくないときた。
そんなコーヒーを淹れていただいて飲んでいると・・・体にハエがブンブンたかってきた。この村は、ハエが多い。ここまでハエに襲われることはかつてなかったっていうくらい、ハエが多い。どのくらい多いかっていうと、ここで生活している子供たちの顔一面にハエがたかって、ただでさえ黒い黒人の子供の顔が真っ黒になる(ハエの黒さで)っていういるくらい、ハエが多いのだ。オイラたちはまとわりついてくるハエを、払うからここまではならないんだけど、もはや、ハエがいることが日常となってしまった、ここでは、子供たちは、ハエをはらうことをやめてしまったのだろう。顔にハエをつけたまま、生活している。いつもなら、気になる風景は写真に収めるオイラなのだが、この子供たちは、オカルト過ぎて、写真に撮れなかった。コーヒー代としてお金をいっぱい払っているオイラたちは、この村で誰にカメラを向けても、なにも言われない立場ではあったにもかかわらずだ。
なぜこうもハエが発生するのか・・・それは外へでるとすぐわかる。家畜の糞がいたるところに落ちているのだ。ひょっとしたら人糞も混じっているのかもしれない。水が貴重なここでは当然水洗トイレなんてない。ならばせめてボットン便所を作ればいいのに。糞はそこに集めればいいのに。まぁ、ボットン便所は、用を足すとウジ虫が寄ってたかってアッという間に糞を処理するという、非常にエコな合理的システムであるがゆえ、結局ハエが発生してしまうことには変わりないのだが・・・それにしても、水が貴重だということで、お風呂にも入らない子供たち。肌はホコリまみれ。黒人なのに、茶色だ。顔はハエで真っ黒、体はホコリで茶色・・・こういうところで生活している人たちの姿を見ると、エチオピア、最貧国なんだなってことを実感する。
さて、村を出ると、キャンプ地までもう少し。で、ちょっと歩いてキャンプ地に到着。昨日と同じようにテントをはって、ティータイム。コーヒーも入れてくれたのだが、コーヒーはさっき飲んだばかりなので、今日は4人ともティー。コーヒーがまったく減らない。
そんな感じで、しばらくくつろいでいたら、「ちょっと歩いたところから、夕日がきれいにみえる」とジョナスが言うので、みんなで、夕日を見に行くことに。ちょっとと言っていたのに、結構歩かされた。キャンプ地で一緒になり、オイラたちと一緒に夕日を見ることにしたイギリス人のおばちゃん(おばあちゃん)は「まだなの?まだなの?」と、言いながら、なんとかついてきている。そんなこんなで、辿り着いた高台。ここからの風景は抜群だった。素敵な夕日風景が広がっていた。そんな風景を眺めていたら、オイラの横にあった岩に、一羽のトンビ(?鷹?)が止まった。夕日をバックに凛々しい姿。そして、次の瞬間、バサッという音とともに、翼を広げ、眼前に広がるうねりの大地へと飛び去っていった。ああ、なんて神々しい光景だ・・・
日が暮れたので、キャンプ地に戻る。今日も日が暮れたら一気に寒くなった。とても外では飯を食べられる状況ではない。ということで、夕飯は、キッチン内で食べることに。ここだと風がさえぎられているし、調理している火があり、暖かい。
さて、今日の夕飯時の話題は、<今日の、一番のテンション上がりポイントと、一番のテンション下がりポイント>となった。三人がそれぞれしゃべりだすのだが、ああ、今日も、三人の喋りが早口すぎて、三人が何に感動したのか、よくわかんなかった・・・あ、でも、失望したのは、三人とも、ギッチェの村で飲んだ、高くてまずかったコーヒーだったってことはよく分かったぞ。そこはオイラも同じ想いだったからな。
|
|
|