(English)
I stayed at Dakar.
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「今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか?テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ、漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべてこなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短い、と嘆く。もっと言えば、まともに生活することもままならない人間が多すぎる。彼らは無料の娯楽で毎日を過ごす。テレビとインターネットだ。豊富な情報と、単調な生活から生まれてくるのは、短絡的な発想や憎悪だけだ。」
これ、伊坂幸太郎の<魔王>の中で、登場人物の犬養が語る言葉。文脈に関係なく、心にズシッとくる言葉だった。<この国の国民>というのは、今オイラがいるセネガルのことではなく、もう、3年半以上も離れている日本のこと。もちろん、この言葉は極論を言っているとは思うのだが、オイラは日本にいた時には、ずっとこんなようなことを感じていたような気がする。そうではない人生を送りたくて、世界に自転車で飛び出すことにしたのだ。本の中では、犬養は、政治家として、<この国の国民の生活>を変えようとする。中から変えようと努力しようとするのだ。一方、オイラは、外へ飛び出した。もう、中から変えようとは思わなかった。自分の生活パターンにしろ、組織のあり方にしろ、中から変えるのは大変。生活習慣は変えようとしても変わらなかったし、硬直した組織を中から変えることが、いかに困難なことなのか、11年日本の組織で働いて、嫌というほど実感させられたし。
自分が違和感を感じる場所にいるのであれば、そこを変えるという方法もあるし、そこから逃れるという方法もある。どちらも、アリだとオイラは思う。その違和感を押し殺し、耐えようとすることだけは、止めておいたほうがいい。
寝る前に読んだ<魔王>に、そんなことを考えさせられつつも、昨日、Kafountine情報を聞いて、コース変更することにしたオイラ。早速、ルート検討しまして。カザマンス地方に行くには、途中、セネガルを分断するように存在するガンビアを通るのが手っ取り早い。っていうか、セネガルの南に行くのに、他国を一旦またがないといけないって、どうなの?う~ん、なんで、こんなところに、国が入り込んでいるのだ???・・・と思って調べてみると、これは、フランスとイギリスの領土の取り合いから生じたアフリカ分断の歴史の遺物らしい。アフリカの西側に港を持っておきたいイギリスが、わがままに領土を維持した結果の国、ガンビア。ま、そんな国を見ておくのも悪くないか、と、ガンビアも走ることにしたのですが・・・ガンビアに入るにはビザがいるらしい。ということで、本日、ガンビアビザをゲットするため、ガンビア・ハイ・コミッションという、ダカールの中心街の真ん中にある建物に行くことに。
ファニーバニーにまたがって、到着したガンビア・ハイ・コミッション。受付で「ガンビアビザを取得したいのですが」とお願いすると、「値段が上がったんだけどいい?」と聞いてきた。で、受付のおばちゃんが、張り紙を指差すので、見てみると・・・なんと3/12から、めっちゃビザ代が値上げされちゃっているじゃないですか。一ヶ月のシングルビザが35,000CFA。ええ~、ネットの情報では、ぜんぜん安かったのに・・・しまった、もうちょっと早く来るんだった。う~む、これは、迷うところだ。通ってみるのも悪くないとは思ったものの、ガンビアの国自体には大して興味はなく、ある意味通過するだけのつもりなのに・・・そうか、通過するだけだったら、トランジットビザっていう手もあるな、と思ってトランジットビザの値段を見たのだが、30,000CFAとあんまり変わらない。いやぁ・・・まぁ・・・ジャンベのためだ、しょうがない、と、35,000CFAを払って、ビザ申請。必要書類二枚に同じ内容を記載して、証明写真を二枚添付して、お願いする。出来上がりは明日とのこと。
今日は、おとなしく宿に帰って、本の続きを読もうと、しばらく自転車を走らせていたら・・・なんと前輪がパンクした。なんてこった・・・今日は、パンク修理セットを持ってきていない。そして、ここから宿まで13kmくらいあるんですけど・・・しょうがないから押していくことにしたものの、炎天下の昼間に、この仕打ちはキツイ。しまったなぁ、前輪、負担が少ないから、マラソンレーサーを履かせていたんですよ。やっぱり、タイヤは、マラソンプラスに限る。あれはホントにパンクしない。
途中、騙し騙しこぎながら、行きは1時間で行けた道を2時間かけて戻る。宿で、一休みがてら<ODA 援助の現実>を読み始めた。そして、そこに、援助というのは、助け合いの心以外に、経済的側面、政治的側面がどうしても付きまとうものなのだと書かれていた。そうだ、オイラが、援助に対して胡散臭さを感じていたのは、経済的側面、政治的側面が見え隠れしていたからなのだ、と気づかされた。人助けを否定していたのではなかったのだ。<援助>とか<義援>という名をかざした組織による経済的な利害関係、政治的な駆け引きなどなど、助け合いの心以外のファクターが、入り込んでくることに違和感があったのだ。いや、組織で動く以上、そういった側面が発生するのはしょうがない。しょうがないのだが、嫌な感じがするのは、そのファクターが、本来の意味である助け合いの心を忘れた立ち振る舞いをする場合があるってことなのだ。地元の人が欲しがってもいないモノを提供し続けるとか、立ち退かされた人たちのことや周囲の環境への影響を考えずに造り始めるダム建設とか。これらには、助け合いの心なんてない。ただ、経済的、政治的理由で、作業がなされているだけじゃないか、と。もちろん、きちんと、助け合いの心に基づいた援助もなされている。この本でもそれはそれで、きっちり取り上げているのだが・・・
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