This sorrow history become clear via Rhythm
太鼓修行の軌跡≒この悲しみの歴史

2012.4.23 / Senegal(~Dakar~Ile de Goree) 本日 自転車0km走行 : Total 37407km走行
天気:晴
朝飯→サンドイッチ 昼飯→チェブジェン 夕飯→チェブジェン / 宿→Maison d'education Mariama Baの隣の民宿(12500CFA)

(English)
 I arrived at Dakar. Soon, I went to Goree Island.



 朝6時、定刻どおりにダカールの港にフェリーが到着。フェリーから降りると、荷物降ろしに時間がかかるらしく、まずは、待合所に通されて、ここでしばらく待たされた。で、すっかり外が明るくなってから、荷物のピックアップ準備が完了したというので、倉庫に移動。乗客の皆さんが預けた荷物が、乱雑に置かれているその倉庫内。さて、オイラの自転車は、とキョロキョロ探したのだが・・・ファニーバニーがいない。まだ運び込まれていないのかと、しばらく待つも、やっぱり荷物は全部運び込まれた後のようで、もう何も運び込まれてこない。「自転車ありませんでした?」と、倉庫係のおじさんに聞くも、「さぁ」というつれない返事しか返ってこないし・・・さて、困った。うむむ、これはロストバゲージならぬ、ロストチャリか?だから自分で搬入搬出はやりたかったんだよぉ、なんて思って、倉庫の外に出てみたら・・・なんと、そこに空箱と一緒に置かれていたファニーバニーを発見。なんだよ、こんなところに、放置プレイとは。ふ~、とりあえず、無事でよかったよぉ。

 さて、ダカールに戻ってきたわけですし、このまま荷物を置かせてもらっている宿ViaViaに戻ってもいいのだが、このフェリー乗り場、隣を見てみると、ゴレ島行きのフェリーの発着場となっている。せっかくフェリー乗り場に来ているし・・・ゴレ島、後回しにすると、オイラの性格上、めんどくさくなっちゃったって、行かなくなる可能性もあるので、このまま勢いを借りて、ゴレ島へ行くことに。10時発でゴレ島行きのフェリーがでる(通常はもっと早くから便があるらしいのだが、今日は月曜日なので、便が少ないらしい)というので、しばし待ち、ゴレ島行きのフェリーに乗り込む。出航時刻直前に、欧米人の観光客がいっぱい乗り込んできた。ダカールにはこんなにも観光客がいたのか、とビックリさせられるくらいたくさんの欧米人が大集合。そんな皆さん、日帰りらしく、ナップザック一つで超軽装。オイラのように荷物バリバリに乗せた自転車で向かう人なんて一人もいなかった。ちなみに、今度のフェリーは、自転車代はタダ。ファニーバニーは、フェリーの後部にあるゴレ島に運び込む水や食料置き場の横に置かせてもらった。フランスパンと横並びにされているファニーバニーがなんだか、妙にシュール。さて、出航したフェリーはあっという間にゴレ島に到着。ゴレ島はダカール沖すぐのところにある。4kmくらいしか離れていないのだ。

 ゴレ島・・・ダカールに近いから結構都会な感じの島なんじゃないの?って思っていたのだが、全然違った。喧騒とは正反対のノンビリしたムード。島特有のゆったりした時間が流れている。ああ、島ってやっぱりこんな感じになるんですな。

 さて、ゴレ島に上陸したら・・・さすが、観光地、早速、ガイドらしき人につかまった。めんどくさいと思っていたのだが、彼が手にしているものに、興味が惹かれてしまったオイラ。そう、ガイドのミカが手にしていたのは、アサラトだった。この辺では、<ケセンケセン>って言うらしいこの楽器。ふふふ、実はですね、ゴレ島に訪れたのは、このアサラトが目的だったのですよ、オイラ。

 正直、観光地としてのゴレ島にはあまり興味が惹かれなくて、最初、わざわざ船でいかなきゃいけないなら行かなくてもいいか、なんて思っていたのです。が、ネットで調べてみたら、ゴレ島には、アーティストやミュージシャンが結構住んでいるっていうじゃないですか。これは、本土ではなかなか習えなかったアサラトや、ゴレ島のジャンベとかも聞けるかも、と、ここにもやっぱり音楽目的で訪れることにしたのです。

 で、到着早々、目的としていたアサラトに遭遇。そして、なにげなくアサラトを演奏している、ミカのプレイが、いやいや、実は、超絶技のオンパレードで。この人・・・めっちゃウマイ。「島の案内は俺にまかせな」というミカであったが、「島の案内はどうでもいいので、アサラトを教えて」と頼み込んで、アサラトを習うことに。とりあえず、安宿に連れていってもらって(いや、ゴレ島は宿が高いので、連れてきてもらったのは民家。ここでも民泊・・・だったのだが、なんだか造りがホテルみたいな家だった)、荷物を置いた後、海岸に出て、アサラトレッスン。「通常は、この基本パターンから始めてだな・・・」というミカであったが、結構なレッスン料をふっかけてきた。ジャンベを習っているので、この手のレッスン代の相場はだいたい分かっているオイラからみて、かなり高い。が、ミカの技はオイラが知りたいテクニックばかりで・・・こういうのは、惚れたほうが負けですな。別に教えてもらわなくてもいいんだ、って強気に出れれば、もっと値段交渉できるのだが、教えてくれオーラを放ちまくりのオイラには、相手が強気に出てくる。しょうがない、その値段でお願いします、と弟子入りしたのだが、これは短時間に必要なことだけを急いで吸収したいところ。アサラトのリズムはある程度マスターしつつあるオイラ、基本リズムはいいから、と、中級・上級レッスンをしてもらうことに。

 30分だけ、とお願いしたレッスン。なので、教えてもらったパターンをその場で、練習なんてしていたら、時間があっという間に終わってしまう。そこで、習うパターンは、とにかくビデオに収め、あとから自己復習して学ぶことに。このレッスン方法のおかげで、30分の短い間にもかかわらず、オイラの知らなかったリズムをいくつかと、アサラトだけではなく、胸や床などを駆使したアクロバットプレイも教えてもらえた。まぁ、結局時間はオーバーして1時間くらい教えてもらえたんだけど。で、8000CFAと、ちと、高かったレッスン料も、まぁ、これだけ教えてもらえれば、と、納得の内容。

 そして、レッスン後、レッスン中に使わせてもらったアサラトを購入することに。え?カフォンティンで予備用を買ったから、もう、いらないんじゃないの?とお思いでしょうが・・・ここのアサラトは今までのアサラトとはちと作りが違ったのですよ。まず、紐が違った。今までのアサラトの布をこよって作った紐ではなく、荷物止めに使うようなしっかりした紐で、木の実がつなげてある。そして、鳴りも違った。木の実の中には、ぎっしりと鳴り物を詰めてくれているようで、いい音がなるのだ。そんな、素敵なアサラト・・・なんと一個1000CFAだった。レッスン料は高かったケド、アサラトは安い。これ、弟子料金ってワケではなく、ゴレ島での通常価格らしい。え~、今までのよりいいアサラトが、今までより全然安いってどういうこと~、というか、これまでのアサラトの値段がめっちゃふっかけられていたってことなのか(涙)

 ま、ここで、いいアサラトを安くゲットできたから、いいか、と、自分を納得させる。さて、オイラからレッスン代をゲットして、今日の仕事は完了したらしいミカは、次のフェリーの便で、ダカールに戻り、明日のお客を見つけてくる、とのこと。ということで、明日また朝一のフェリーでゴレ島に来る、という、アサラト師匠のミカは、「ビデオを見て分からないことがあったら明日聞いてくれ。」と言ってくれた。まぁ、あれだけお金を払ったからね。アフターケアーもニコニコ顔で、約束してくれたってワケなんだろう。

 ミカと別れた後、オイラは、一人で、島探索。まず、砲台があるという丘へ。ここでは、ブラブラしていたら、土産売りのおじちゃんが勝手に案内をはじめてくれた。砲台の中にも案内してくれまして・・・おお、本当に、砲台の中は住居空間になっている。kuroさんが、ブログのコメント欄に書き込んでくれたとおりだ。で、その人が生活している砲台空間の奥からは、ドラムの音が聴こえてくるじゃないですか。土産売りのおじちゃんに「気になるから行ってみたい」とお願いして、連れて行ってもらったら・・・そこではバンド練習が行われていた。今度のボブ・マーリーの誕生日に行われるイベントに向けて練習しているというレゲエバンドが、練習なのに、ノリノリで踊りながらプレイしていた。しばらく見学させてもらいましたが、いやぁ、いいものをみせてもらった。やっぱ、いいミュージシャンがいるんだなぁ、ゴレ島。で、多分、自分ひとりでは入れなかった場所に案内してくれた、土産売りのおじちゃんにチップを払って砲台ゾーンを後に。

 その後、ゴレ島での一番のスポットという奴隷博物館<La Maison des Esclaves>へ。そうそう、今日は月曜日。実はロンプラに、月曜日は博物館は休みのところが多いのでご注意、って書いてあって、博物館巡りは明日でいいか、と思っていたのだが、とりあえず行ってみたら、開いていた。他の博物館も、月曜日なのに、普通に開いている。うむむ、月曜日にゴレ島に来るのは結構穴場ですぞ。博物館が閉まっているという誤情報からか、来島する観光客が少ないので、ノンビリできる。ちなみに、明日の火曜日に見たフェリー、今日とは比べ物にならないくらいの観光客を乗せていたのに、ビックリした。

 さて、奴隷博物館、ここは、思っていた以上に迫力がある空間だった。奴隷として船で運ばれる前に、入れられていたという部屋の無機質感が、悲しみをかもしだしている。そう、ゴレ島が、奴隷商の窓口だった。ここからアフリカ人が奴隷としてアメリカ大陸に運ばれていったのだ。ここに、無造作に置かれている説明パネルに載っていた地図が目に入る。その地図は、キューバを含むカリブ地域とブラジルに多く連れて行かれていることを説明していた。キューバとブラジル・・・オイラが太鼓修行をしてきた場所だ。

 この瞬間、オイラの中で、何かがはじけた。今ここセネガルで感じているジャンベのリズム。このリズムが、奴隷という悲しい歴史を通じて、キューバやブラジルに渡り、ルンバやサルサ、サンバという形で、新しい音楽文化を形成していった、というこの事実。ただ陽気なリズムとしてカラダに刻み込んだこれらのリズムが、急に悲哀を持ったものに感じられるようになってしまった。オイラ的には、この悲しい歴史が、音楽を通じてつながってしまったようだ。

 なんだか、考えさせられます。

 人の移動が文化を伝える。伝えられた地では、その文化は独自に発展して新しい文化を生んでいく。素敵なことだ。だが、ルンバやサルサ、サンバは、伝えられ方が<負>であった。<奴隷>として無理やり運び込まれた結果、生まれたもの。一方で、こんな伝えられ方をしたからこそ、その地では、音楽だけでもポジティブでありたいという想いから、ルンバやサルサ、サンバが、妙に陽気なものとして発展したのかもしれない、とも思う。あのリズムの楽しさは、この負の要素が根底にあるからこその、モノなのだ、と。

 そんなことを思いながら、海岸沿いを歩いていたら、ジャンベの音が聴こえてきた。いつもと感じ方がなんか違う。最初は、ゴレ島のジャンベがちょっと違うのか?と思ったのだが、どうやら、そうではないようだ。オイラ自身の受け止め方が変わった模様。リズムが分かる、音楽が分かるってこういうことなのかも。単に楽器を練習するだけではなく、その音楽の背景を知る、知識として知るだけでなく、体験として知る。これによって、身につけたリズムや音楽が、自分の中でなにか変化するのだ。

 ダカールの街に沈む夕日の風景と、聴こえてくるジャンベの音が妙にシンクロして、しみじみしてしまった。

 さて、夕日をもっと高台から見ようと、再び砲台のある丘の方へ行ってみたら、そこには先客として、女の子二人がいた。で、その女の子たち、日本語を話しているじゃないですか。思わず「日本の方ですか?」と話しかけるオイラ。トモコさんとユキエさんという女の子のお二人、トモコさんは、協力隊としてカオラック州で働いているらしく、ユキエさんは、トモコさんを訪ねて、セネガルに旅行に来たという。そんなユキエさんは、初の海外旅行とのこと。おおお、初の海外旅行がこの時期のセネガルとは、さぞかし大変だったのでは、と思ったら「楽しいことばかりですよ、セネガル」と、かなり満喫した様子。そんな言葉を聞いて、セネガル好きなオイラまで、なんだか嬉しくなった。不思議なものでね・・・自分が気に入った国のことを、「好きですよ」って言ってくれると嬉しくなる反面、「いや、特に」とか「嫌いです、あんな国」って言われると、なんだか悲しくなるものでして。母国じゃないのにね。これも郷土愛の一つのカタチなのか?

 さてさて、そんなお二人、ムサというゴレ島のお土産屋のお兄ちゃんに付きまとわれていた。っていうか、付きまとってくるムサを、うまくあしらって、ガイドをしてもらっている感じ。いや、たくましいな、女の子は、って言ったら、「女の子の旅は大変なんですよ。いろいろ意地悪されて」っていう、トモコさん。ふむむ、まぁ、セクハラ攻撃とかもあるんだろうし・・・それでも、ムサとのやりとりを見ていたら、それを含めて楽しんでいるお二人が、ある意味うらやましく見えたりして。

 で、話が弾んだので、そんなムサをガイドにしたお二人と、しばらく一緒に歩くことに。辿り着いたのが、オイラが泊まっている宿の裏にあった<Maison d'education Mariama Ba>という施設。そうそう、この施設、ちょっと異彩を放っていたので、なんだろうって、宿に到着した時から気になっていたんですけど・・・なんでも、ここ、セネガルの14ある州の各州から、優秀な女の子二人づつ選び出して入学させ、中学高校と6年間、英才教育をする、全寮制女子校とのこと。つ~ことは、今ここに、セネガルで一番賢い女の子が168人集まっているってことか。そんな女の子たちには、ぜひ会ってみたい。が、ここは部外者完全立ち入り禁止とのこと。う~ん、残念って思っていたら、オイラたちの横を6人くらいの女の子が通り、門の中に入っていった。「お~、あれが、セネガルの才女たちかぁ・・・」と、思わず顔を見合わせるオイラたち。この学校の生徒だ、と思って見ると、賢そうに見えるから不思議です。一見普通のセネガルのイケイケなオネエチャンなのですが。

 アフリカにも、こんな場所があるんだねぇ、と感心したところだが、アフリカでは、国がこんなことをやってはくれない。この学校は、マリアマ・バという女性の私立学校。一人の女性の熱き思いが、実現させた場所のようです。ちなみに、マリアマ・バさんは、もう亡くなってしまったとのこと。才女であったマリアマ・バさんは、たくさんの本を書き、資産を残した模様。今は彼女の財団が運営しているのかな?そんなマリアマ・バさんの意思を継ぐここの卒業生たちは、大学へ進んだあと、多くは海外に出てしまうようです・・・って、フランス語とウォルフ語が普通に話せるトモコさんが、ムサにいろいろ聞いて、説明してくれた。

 いや、こんな話、一人じゃ知りえなかったな。トモコさんとユキエさんに出会えてよかった。そして、そんな二人にあしらわれているムサも・・・ね。