Traced back to historical relationship
音楽的側面からみた西アフリカとキューバとブラジルの関係

2012.5.15 / Senegal(Dakar(YOFF)) 本日 自転車0km走行 : Total 37574km走行
天気:曇 ネット:1
朝飯→フランスパン 昼飯→チェブジェン 夕飯→サンドイッチ / 宿→ViaVia(11200CFA)

(English)
 I stayed in Dakar, YOFF.



 ある一つのことに注目しながら旅を続けていると、突然世界のつながりが見えてくることがある。オイラの場合は、音楽だ。いや、もっと限定して言うならば<リズム>だ。

 世界は音楽で出来ている・・・とは、言いすぎだが、とりあえず、オイラの頭の中では、音楽を通じて世界を理解しようとしている。

 ゴレ島滞在日記で、西アフリカとキューバとブラジルがつながったと書いた。あの時は漠然と感覚的に、つながったと思っただけだったので、今日は、ネットで調べて、そのつながりを論理的に知ってみようかと。

 で、調べてみると、キューバ音楽もブラジル音楽も<ヨルバ>というキーワードにひっかかる。ヨルバとは、ナイジェリアやベナンに多く住んでいるヨルバ族のことだ。

 キューバにはサンテリアと呼ばれるアフロ宗教がある。そして、ブラジルにはカントンブレというアフロ宗教があった。これらは、ヨルバ族のルーツの多神教。ちなみに、あのブードゥ教もヨルバの宗教が源流とのこと。

 キューバを訪問した頃は、まだまだ無知だったので、サンテリアとか知らなくて。サンテリアの儀式とかを覗き見るなんて思いもしなかったため、サンテリアの音楽を耳にすることはなかったのですが(耳にしたのかもしれないけど、気づかず)、これ、ポリリズム満載の魅惑のリズム音楽。ああ、知ってれば絶対見に行ったのに。

 一方、カントンブレは、サルバドールに長期滞在していた時に、たまに儀式の様子を垣間見れた。アタバキというドラムで延々ポリリズムが奏でられる興味深い儀式。

 これらの源流のなるヨルバのリズムとはどんなもんじゃいな?と思って、iTunesで検索。いくつか視聴して、気に入ったソラ・アキンボラの<Routes to Roots - Yoruba Drums from Nigeria>ってやつをダウンロード購入して聴いてみた。これが、ご機嫌なリズムで。そして、なるほど、これは、同じく視聴してみたキューバのサンテリアのリズムに似ている。そして、このリズムは、相当オイラの好み。

 ちなみに、キューバには<アバクア>という秘密結社があって、そこでも太鼓とダンスが繰り広げられているとのこと。ビデオ<ルンバ・ヒストリー>にその辺のことが描かれていた。で、このアバクアも同じくナイジェリアの黒人がルーツなのだが、こちらは、ヨルバではなく、カラバリ族が源流になっているらしい。

 で、こういうサンテリアやアバクアが下地となり、キューバで産声を上げたのが、オイラの大好きなあの<ルンバ>。サロンミュージックなルンバではなく、リズムミュージックのルンバの方。そのルンバは、キューバで純粋培養されちゃって、アフリカリズムなんか目じゃないくらい複雑怪奇なリズム・ミュージックになっちゃってますが。でも、このルンバは、今でも十分にアフリカのカホリを残している。

 ちなみに、キューバと言えばサルサ、サルサと言えばキューバだと思っていたオイラ、サルサはキューバ生まれじゃなく、ニューヨーク生まれだったと知って驚き。ニューヨークにいた移民のプエルト・リコ人がジャズやファンクなどの音楽と、キューバの伝統音楽であるソン、をミックスしたのが始まりなんだそうで。ただ、このニューヨーク生まれのサルサは、すぐに本家キューバに逆輸入されて、これまた中で純粋培養されちゃったみたい。で、出来上がったのがキューバン・サルサ。サルサとは明確に区別するため、ティンバとも言われているこの音楽、ニューヨークや南米に広がったサルサとは違って、ルンバやサンテリアなどのリズムが融合して、ウネリのある強烈なリズムに乗せる独特のものに発展したとのこと。ちなみに、サロンミュージックとしてのマンボ、ルンバも、同じようにキューバのソンに発祥しながらも、キューバ以外で生まれて、キューバに逆輸入されたらしい。

 さてさて、キューバ音楽と西アフリカの関係は、その後さらに面白い展開を迎えることになる。キューバ革命の立役者のあのチェ・ゲバラ。彼はキューバ革命を成功させた後、さらに独立活動を支援すべく、アフリカの地へ渡る。旧ザイール(現コンゴ)にキューバの兵士とともに入ったのだ。で、このとき、人と一緒に、キューバのルンバが、コンゴに伝えられることになる(こちらは、サロンミュージックの方のルンバ。あ~、この同じ名称をもつルンバ、紛らわしい)。このルンバが、コンゴでこれまた独自発展して、スークース、日本ではリンガラ音楽と呼ばれる音楽を作り出していく。そして、このリンガラ音楽は、西アフリカ全体に広がり、ここセネガルにも影響を与え、ンバラを生み出すことになるのだ。

 世界は音楽で出来ている・・・ではなく、世界の動きが音楽を生み出していってるんだ。だから、逆説的に音楽を見ていったら、世界の変化やつながりが見えてくるってことなんですわ。

 さて、ブラジルの方でも、植民地時代の首都だったバイーアのサルバドールで、カントンブレやカポエイラのリズムを取り入れて新たな音楽形態が独自に生み出されていった。アフリカ系ブラジル人が結成したフィーリョス・ヂ・ガンヂーがアフォシェという形態を、イレ・アイエはブロコ・アフロという形態を作り出した。で、このブロコ・アフロのバンドであるオルドゥンが生み出したのが、あの<サンバヘギ>。オイラがサルバドールで散々練習したリズム。オイラがサルバドールに滞在して太鼓を教えてもらっていたナオヤさんが所属していたという<チンバラーダ>もブロコ・アフロの流れを汲んでいる。なるほどねぇ、あの時、ブラジル音楽に詳しいメンバーが<イレ・アイエ>や<オルドゥン>を絶賛していたけど、そういう流れで存在するグループだったワケか。

 それにしても、アフリカからキューバやブラジルに連れられていったアフリカ人は、ヨルバ族の人たちだけではなかったと思うのだが、なぜに、こんなにも、ヨルバの文化の影響だけが強く残った(と言われる)のだろうか?確かに、ヨルバのリズムは面白かったけど、他の部族も魅力的なリズム文化を持っているのに・・・