Ethnic cleansing
一瞬だけ通過したボスニア・ヘルツェゴビナで民族浄化について考えてみる

2012.12.22 / Croatia→Bosnia i Hercegovina→Croatia(Dubrovnik~Ploce付近) 本日 自転車100km走行 : Total 42685km走行
天気:晴 自転車折りたたみ:1
朝飯→パン 昼飯→弁当チャーハン 夕飯→パン / 宿→野宿

(English)
 I left from Dubrovnik. Today I run through Bosnia i Hercegovina.



 朝起きたら、天気予報どおりにいい天気となっていた。ということで、ドゥブロヴニクを出発。船が並ぶ雰囲気ある新市街を抜けて、一山上り、つり橋を渡る。ここからも、引き続き、ずっと海岸沿いの道を走る。海岸特有のアップダウンが続く道で、ドゥブロブニクに入る時みたいに激しいアップダウンが待ち受けているかと、覚悟していたのだが、ここから先の道は、そんなに大変ではなかった。いや、これは、アップダウンに慣れたから、そんなに大変ではないと思えるようになっただけかもしれない。

 とにかく、心地よく海岸道を満喫しながら走ることができた。そんな道をしばらく走っていたら、目の前に検問所が見えてきた。一応、<国境>だ。今走っているクロアチアと、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナとの国境。どういう経緯でこんな国境線が引かれることになったのか、よく分からないのだが、この海岸線の国境線、ちと、おかしなことになっている。地図を見てもらえば一目瞭然なのだが、10kmだけ、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土が海岸線にまで占めることになっており、結果的に、クロアチアの領土が分断されるようなことになっているのだ。なので、ここから先は、海を渡らない限り、どうしても、ボスニア・ヘルツェゴビナを通っていかねばならないってことになる。

 ただ、この道を通り抜けるのは、おそらくほとんどの人は、クロアチア人なんだろう。首都ザグレブや大きな港町スプリットから、ドゥブロブニク方面に遊びに行く人が通るためにつながっているような道路だからだ。そんな道だからか、ここの検問所、一応国境なのだが、パスポートに、クロアチアの出国スタンプが押されるワケでもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナの入国スタンプが押されることもなく、見せるだけだった。一応、「スタンプは?」と聞いてみたのだが、「ここでは押さない」とのこと。うむむ、オイラも、この道は、通り抜けるだけだからいいのだが、もし、ここからボスニア・ヘルツェゴビナに入国してグルリと周遊する予定の人はどうするのだろうか?

 さて、そんなちょっとした疑問を胸に抱きながら、とりあえず入国することになったボスニア・ヘルツェゴビナ。一応国境をまたいだのだから、雰囲気は変わるのかいな、とちょっと期待してみたのだが、雰囲気は全然変わらなかった。そもそも、クロアチアと、ボスニア・ヘルツェゴビナは似ているらしい。旧ユーゴ・スラビアとして、もともとは一つの国だったし、同じような経緯でユーゴから独立を果たしているし。

 そうそう、オイラくらいの年代の人にとっては、この旧ユーゴ地域は「大丈夫なの?」と思ってしまう危険地域というイメージじゃないでしょうか?というのも、ここは、ほんの20年前である1990年代に、ユーゴ解体の内戦で激しい争いが繰り広げられていた場所。世界情勢に興味を持ち始めた高校・大学生だった頃のオイラが、触れたのが、そうういう時代のユーゴだったから、オイラの中では、バルカン半島の国々=危険、というイメージがついてしまっていた。

 特に、ボスニア・ヘルツェゴビナは、泥沼の内戦地域というイメージが深く刻み込まれていた。が、実際訪れてみると、のどかなものだった。今回訪れるのは、海岸部だけではあるので、内陸部の方がどうなっているのかは、分からないところなのだが、少なくとも、海岸沿いは、普通の町になっている。

 20年前の内戦で荒廃した旧ユーゴ国も、今やすっかり落ち着きを取り戻しているようだ。戦火でボロボロになったというクロアチアの沿岸部も、オイラが撮った写真が示すように、見事な観光地として復興していたし。道ですれ違う人々も、陽気な人たちが多い。少なくとも内戦の悲壮感はすでに、ない。ということで、オイラの頭の中では、旧ユーゴ諸国のイメージを、大幅に書きかえ作業。

 過去の知識でイメージした<世界>は、今の<世界>とは違っている。

 そう、世界は常に一定ではないのだ。この旧ユーゴのように、少し前まで内戦状態だった地域がこうして復興していたり、西アフリカの優等生国家と言われていたマリが、内戦に突入して退避勧告地域になっちゃっていたり。

 ところで、話はちょっと変わるが、そもそも、旧ユーゴ解体のキッカケとなり、第二次大戦後のヨーロッパで最悪とまで言われた紛争の火種となった<民族浄化>なるものは、一体どういうものなのだろうか。一応単一民族国家とされている、日本人には、民族独立運動なるものは、観念的にイメージしづらい。

 そもそも、ボシュニク人とクロアチア人とセルビア人が共生していた、旧ユーゴのクロアチア&ボスニア・ヘルツェゴビナ地区。コソボ問題をきっかけにして、ユーゴとは別の道を歩みたくなったクロアチアに住む、クロアチア人とボシュニク人が、独立を宣言。その後、同じく、ボスニア・ヘルツェゴビナも、同じく独立を宣言する。これで困ったのは、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに住むセルビア人たち。独立に反対するユーゴ政府の支援を受け、セルビア人が、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナで武力行使を始める。当初は優位であったユーゴ側のセルビア人勢力であったが、東側勢力を削ごうと画策するアメリカが、クロアチア人・ボシュニク人側への支援を始め、事態は泥沼へ。

 歴史の流れを表層的に追うと、こんな感じなのだが・・・ここで、なぜ、それまで同じ国で大きな争い事をすることもなく混ざり合って暮らしてきたはずの人たちが、いきなり、なになに人だから、という<民族>の区切りで争いごとを起こしていくことに疑問が起こる。

 うまくいえないのだが、人間には、他人と共生したいという願望がある反面、自分とは違った他者を、排除しようとする性質があると思う。これは、人間の性質である以上、他者といがみ合うのはしょうがない。本当に意見の合わない同士が衝突するのはやむをえないことなのだ。が、<民族運動>なるものが、分かりづらいのは、本当は自分とは違っていない他人なのに、自分とは違う他者だと思い込んでしまう、論理のすり替えが隠れているからなのだ。

 自分とは違った他者とは、イデオロギーが違い意思疎通ができない対象を指す。が、イデオロギーの違いというのは、実は分かりづらい。実際にコミュニケーションしてみないと表層化しないからだ。一方で、肌の色が違うから、話す言葉が違うから、生活習慣が違うから、と、目に見える違いは、分かりやすい。なので、自分とは違った他者を<民族の違い>という一くくりに置き換えると、分かりやすくなるのだ。さらに、この<民族の違い>というのは分かりやすい分、強力だ。異なった民族でも、隣に住んでいた時には、話してみるといいヤツで、仲良く意思疎通ができたはずなのに、<民族の違い>というイデオロギーの代替概念が立ち上がった瞬間、個々人の関係は無残にも消し去られ、分け隔てられてしまう不条理パワーがある。そして、この似非イデオロギーによって他者としてしまった相手なら、冷酷になれてしまうのが、人間の恐ろしいところ。この似非イデオロギーが大きな流れとなってしまい、<民族浄化>という名の下、平気でジェノサイドなどが行われてしまったのだ。

 そんなことを考えながら、今や平和になった(ように見える)ボスニア・ヘルツェゴビナの町を駆け抜けた。10kmの道のりはあっという間。再びクロアチアに。

 ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチア両国の旗が立っているこの国境にも、一応、検問所があった。だが、ここでも、先ほどと同じく、パスポートは見せるだけ。う~ん、結局、ボスニア・ヘルツェゴビナって、クロアチアとほぼ同じって印象なんだけど・・・ま、余裕があったら、ボスニア・ヘルツェゴビナの内陸の方も走ってみることにしよう。こういうのは、ホント、行って見ないと分からない。

 さて、再びクロアチアに入って、海岸線からちょっと内陸方面へ。広大な田園風景が広がる盆地みたいなところを通過したところで、16時が過ぎ、日が暮れ始めてきた。冬至が近いこの時期は、ホント、日が落ちるのが早い。17時には、もう真っ暗になるので、走れなくなっちゃう。

 なので、そろそろ宿を探さなきゃと思い、道脇をキョロキョロしていたところ、通り沿いに宿が併設されているっぽい一軒のレストランを発見。自転車を止め、レストランに入り、泊まれるかどうか聞いてみたところ・・・泊まれるとのことだったのだが、一泊30ユーロとのことで、お高い。「もうちょっと安くなりませんか」というオイラのお願いに、「この先ちょっと行ったところに20ユーロくらいの宿があるよ。そっちへ行ってみたら?」と、店のおじさんが教えてくれたので、もうちょっと走ってみるか、と次の宿を探して走り始める。が、ぜんぜん、宿らしきものが見つからない・・・うむむ、おじさん、この先ちょっと行ったところって・・・ひょっとして車の感覚で教えてくれたのかも。車でのちょっと行ったところと、チャリでのちょっと行ったところでは、大きく違うんだよなぁ・・・

 結局、宿は見つけられないまま、日が暮れ、周囲が、真っ暗になってしまったので・・・宿探しは断念。ちょうど道を走る車から隠れられそうなわき道を発見したので、そこに入ってテントを張って寝ることに。う~、しかし、寒いよぉ・・・宿に泊まりたかったよぉ・・・