Can't stop lesson
叩きたかった方法を教えてもらい、それが叩けるようになる喜び(ダラブッカ修行9日目)

2013.1.30 / Turkey(Istanbul) 本日 自転車0km走行 : Total 43244km走行
天気:曇 ネット:1
朝飯→パン 昼飯→メネメン 夕飯→茄子の煮出し+刺身+出汁巻き卵(納豆入り) / 宿→Tree of Life(ドミ8ユーロ)

(English)
 I stayed in Istanbul.



 さてさて、そろそろ次の場所へと移動したい気持ちも沸いてきている今日この頃なのですが、ダラブッカ修行が佳境へと突入してしまい、終わるに終われない状況となってきてまして・・・

 昨日の装飾音フレーズに引き続き、今日は、ダラブッカ特有のミュート高音の鳴らし方を教わった。

 この音をアクセントで入れることで、リズムに豊かな表情が生まれてくる。あ、もちろん、上手なナイル師匠が叩いたらってことだけど。上手く叩けないオイラがやっても、豊かな表情にはならない・・・単音だけなら、それなりの音が出せるようにはなったんだけど、リズムの中でコンビネーションとして使おうとすると、全然ダメ。

 でも、繰り返しやっていると、なんとなく、形にはなってくる。自分が上達しているのをふと、感じちゃったりする。

 叩きたかった叩き方を教えてくれる師匠がいる。そして、次々と、叩けるようになっている自分がいる。いやはや、どんどん面白くなっていくダラブッカ修行・・・

 さてさて、本日、宿に戻って、今日習ったミュート高音の叩き方の復習しながら、宿に泊まっているダイスケくんと話をしてたら、「ヨシさん、そのフレーズ、延々繰り返してますね・・・そういえば、音楽とか呪文とか鍛錬とか、あちらの世界へ辿り着こうとする方法はいろいろありますけど、それらの方法には<繰り返し>という共通点があると思うんですよ」という話になり、興味深い話へと展開していった。ふむふむ、確かに、呪術的アフリカ音楽は、ミニマルフレーズの繰り返しだし、この間見た旋舞はひたすらクルクル回っていた。なるほど・・・<繰り返し>によって、変化がなくなることで、<変化に対応すべき思考>が停止し、思考の停止による頭が真っ白になった状態が、あちらの世界である<無>な境地へと導いてくれるってことなのだろうか?