Chinois attack from children
子供達の悪気は無いシノワ攻撃は地味に効く

2013.2.22 / Senegal(Abene~Baila) 本日 自転車50km走行 : Total 43431km走行
天気:晴
朝飯→パン 昼飯→サンドイッチ 夕飯→サンドイッチ / 宿→Campament Lambita(3000CFA)

(English)
 I left from Abene. I stopped at Baila.



 さて、満喫しちゃったアベネの村。素敵な村だったけど・・・夕刻、外の食堂は全部しまっちゃって飯が食えないとか、ここは、ちょっと田舎すぎて生活しづらいのが、ちょっとツライ。贅沢旅行者なら、宿で夕食を食べるっていうチョイスがあり、快適に過ごせそうだけど・・・他にチョイスがないってことで、意外と高いんですよ、宿の飯。う~ん、カフォンティンくらいの田舎過ぎない田舎な度合いが、オイラにとっては、ちょうどよかったんだな、と改めて、カフォンティンの過ごしやすさを実感。

 ということで、オイラにしては珍しく短い滞在でアベネを脱出。さてさて、準備したファニーバニー・・・今日の装備は、これまでとちょっと違う。ふふふ、久々に秘密兵器超魚眼カメラGoProを引っ張りだし、走り途中の様子を撮影することにしたんですよ。

 せっかく買ったGoProなんですが、実際使ってみると、なかなか使い勝手が難しい。いい画が撮れるのは撮れるのだが、撮り方が難しくって。ついつい取り出す機会が減ってしまい・・・文字通り秘密兵器になっちゃってまして。

 いや、それじゃもったいないだろう、ということで、気軽に撮りたくなれる撮り方を研究することにしたんです。これまでは、一脚にカメラをつけて、自転車の後ろにその一脚を立て、後方から走っている様子を撮影するっていう使い方をしていたんだけど、この映像、後で見返してもイマイチ面白みがない。さらに、後方に装備しているため、カメラの状態を確認できず、固定していた一脚がいつまにかずれて、全然意味のない方向の画を延々撮っていた、なんてことも、しばしば起こってたし。

 とにかく、この撮り方では、記録映像としては意味があるんだけど、映像として、面白いものが撮れているかといわれると、ビミョーだったんです。そこで、今回、アベネから走り出した後、どうやってGoProカメラを扱えば、撮っている自分も楽しく、かつ面白い画が撮れるのか、ということをいろいろ撮り方を変えながら、試してみたのですよ。その結果・・・カメラを取り付けた一脚は、固定するより動かした方が面白いということに気付きまして。一脚を手に持って動かしながら撮影することにしたところ・・・これが、なかなか面白い。

 そんなことをやりながら、バイラの村に到着。ジガンショール~カフォンティン間は、一日で走りきるのは大変なので、毎回立ち寄るこの村。今回、ちょうど、村のお祭りをやる日だったようで。宿の広い敷地内に、次から次へと村人達が集まってきた。

 で、村人の中には当然子供達がたくさんいるわけですよ。好奇心旺盛な子供達は、見慣れるアジア人であるオイラを見かけると、遠巻きに寄ってくる。そして、口々に「シノワ(中国人)」って言うのです。

 いや、決して悪意があって言っているワケじゃないと思うのですよ。こんな、チャリダーくらいしか寄らないであろう村に、外国人は珍しい。そして、彼らからすれば、アジア人は皆、アフリカに入り込んでいる中国人(シノワ)に見えるわけで。だから、その珍しい存在に興味を向けて「シノワ」って言っているだけだと思うんです。が、オイラは中国人ではないんで・・・誤解はちゃんと解いておかないと、と、「ノン、ノン、シノワ。ジュ・スイ・ジャポネ(中国人じゃないよ、日本人だよ)」と、子供達からの無邪気なシノワ攻撃を食らう度に反論していたのだが、なにぶん、村中のものすごい数の子供達が集まってくるわけでして。その子供達が、皆、「シノワ」って言ってくる。次第に、反論するのに疲れ果ててしまうのですよ。もう、終いには、「シノワ」って言われても「ウィウィ(ハイハイ)」っていい加減な返事しか返さなくなるオイラ・・・

 この無邪気なシノワ攻撃、ボディーブローのように地味に効いてきまして・・・

 いつもなら子供達の元気な姿を写真に収めるオイラなのだが、このシノワ攻撃にゲンナリしてしまったオイラは、写真を撮る気がうせてしまい、本日の祭りの前半は全然写真なし。

 ここの子供達、ホントはかわいいヤツラなんですけどねぇ。歩いていたら、手とかつないでくるし。ちょっぴり寂しがり屋で好奇心が旺盛な彼ら、「シノワ、シノワ」って言ってくるのは、かまって欲しいだけなんですよ。なので、悪意がないのは分かっているのだが・・・なんでなんだろう、心が折れてしまうのは。

 さてさて、その後、暗くなってから、太鼓の音が鳴り始めたら、オイラを取り巻いていた子供達は、皆一斉に、太鼓のするほうへ行ってしまった。そして、太鼓の周りに輪が出来て村人全員で踊り始めた。ご機嫌な太鼓の音を聞き、心を復活させたオイラが、その輪に近づくと、アベネの時同様、「ほら、あんたも中に入って踊りなさい」と、おばちゃんに手を引かれ、輪の中に引きづりこまれた・・・

 ああ、もう、この展開慣れっこになってきたよ。そして・・・これまで、音楽は好きだけど、自分で<踊る>とか<歌う>ってのは、こっぱずかしくて、苦手だったオイラが・・・ここに居ると、<踊る>とか<歌う>ってことは、<しゃべる>のと同レベルのことのように思うようになってきて・・・当たり前のように<踊ったり><歌ったり>している。

 自分でも驚きの、この変化。実は、これが、セネガルで掴んだ一番大切なことかも、とも思うのです。太鼓の叩き方を習うってことも重要なことなんだけど・・・<踊る>ことや<歌う>ことが当たり前になってきたってことの方が、ずっとずっと、オイラの音楽ライフに大きな糧になっている気がするんですよ、ハイ。