Enter to Dogon Country
さぁ、ドゴン・カントリーへ

2013.4.9 / Mali(Djenne~Mopti) 本日 自転車131km走行 : Total 44300km走行
天気:晴 自転車折りたたみ:1 ネット:1
朝飯→サンドイッチ+ぶっかけ飯 昼飯→魚+パン 夕飯→クスクス / 宿→Hotel Ya pas de Probleme(ドミ5000CFA)

(English)
 I arrived at Mopti.



 さて、ジェンネを出発。雰囲気いい町だったから、もうちょっとユックリしていきたい気持ちもあったのだが、なにせ・・・暑いんで。延泊しても、ただ「暑い~」っつて、一日が終わると思うんで、だったら走ったほうがマシだ、ということで。

 さて、広場に出てみると、一晩ジェンネで過ごした人たちが帰り支度中。売れ残りの品物なのか、それとも新たに購入した品物なのかは分からないが、とにかく大量の品物を、トラックに詰め込んでいた。

 さて、オイラはとりあえず朝飯を食べることにして、広場の脇にあったカフェレストランへ。いや、カフェレストラン・・・っていうほど立派なものではない簡易食堂、ここでオムレツを作ってくれるというので、チャリを店前に停めて、中へ入ることにしたのだが・・・あっという間に、ファニーバニーは、マリのタリベくんたちに囲まれてしまった。見慣れないチャリの珍しさっていうより、お金をもってそうなトゥバブ(外国人:本当は白人を指す)が居るので、とりあえず、なんか奢ってくれるかも、ということで、群がってきているのだ。

 そう、一昨日の夜、オイラがジェンネに入って彷徨っていた時に絡んできたのが、彼らだった。セネガルでよく遭遇していたこのタリベくんたち、マリにも各地にいるんですよ。基本的に孤児たちのようで、食事は、誰かの余りモノなどをもらって生活をしている彼ら。<恵んでもらう>ということがあたりまえ、という生き方をしているため、オイラたちのような<一見金をもってそうな外国人旅人>を見ると、「当然、なんかくれるんでしょ」という顔で近寄ってくるのだ。

 セネガル人やマリ人の、タリベくんたちへの接し方を見ていたら・・・食べ残した食事を分け与えたり、小銭(コイン)をあげたりしていた。ごく自然な感じで。そして、その代償として、水を汲ませたり、パンを買ってこさせたりと、タリベくんたちをパシリに使っていた。貧しく仕事がない者も、なんとか食っていけるように、社会が支える仕組みができあがっているのだ。

 そういえば・・・日本も、貧しく仕事がない者に対して、<生活保護>なる制度によって、最低限の生活を行えるように保証する制度があるじゃないですか。が、海外から日本のニュースを見ていると、この制度、最近いろいろ問題になっているそうで。本来もらうべきじゃない人がもらえているとか・・・

 これは、<貧しく仕事がない人たち>の姿を見えなくしちゃっているから問題が起こるんですよ。見られていないから、隠れて不正をしようとする輩が出てくる。また、見えないから、不正が行われても、バレにくくなっている。そういえば、日本でも以前はみかけることがあった、浮浪者や路上生活者って、今も日本には存在しているんですかね?本来ならば、そういう人たちもいるはずなのに、見えないっていうのは、隠れている、隠されているってことなんですよ。

 「不快に感ずるものは目の届かない場所へ」ってやっていると、結局社会はどこか歪んでくる。

 その点、どこへ行ってもタリベくんたちを見かけるセネガルやマリは、ある意味明確。貧しい者が存在し、その者へ施しをしたい者が施しをする、という単純な構図。

 施し・・・日本人は、貧しいものへの施しの習慣がないから、タリベくんたちへの接し方が分からない、なんて思ったりもしたけど、いやいや、税金を納めている日本人であれば、福祉税を払うことで、<貧しい人たちへの施し>をやっているんですよ。それは税金という自動徴収システム(サラリーマンであれば特に)によって、払っているから、意識が薄いだけで。

 キリスト教やイスラム教のような宗教的な<施し>の感覚がない日本は、社会システムとして施しを補完しているのだ。

 ボロボロの服を着て、もらったものを入れるための小さな空き缶やバケツをぶら下げているタリベくんたちを見て、アフリカには貧困がある、なんて思うのはちょっと違う。日本にも、本来は、こういう人たちがいるはずなのだ。それは<見せられないよう社会が覆ってしまっているだけ>。

 いや、別に日本の制度を批判しているワケじゃないんですよ。ただ、日本の制度にはこういう側面があるってことをちゃんと考えるってことが大事なんだと思うんです。

 ちなみに、こういうのは、中からは、なかなか気付けない。外国へ出て、日本と違う違和感を感じることで、ようやく気付きに到達するものなのだ。

 そんなことを考えながら、出来上がったオムレツサンドをほおばるオイラ。ちなみに、サンドイッチを作るのに余ったパンを、店のおじちゃんが、タリベくんたちにあげていた。

 さて、飯を食べ終わったところで、ジェンネを出発・・・と、ここで、サリフが登場。見送ってくれるとのこと。実は、昨日も何度がサリフに会っていたんですよ。いいやつだったんで、できればガイドとか頼みたかったんだけど・・・ジェンネはガイドをつけるまでもない町だったんで、結局頼まず終い。そんなオイラを、わざわざ見送ってくれるとは・・・いやぁ、サリフホントいいやつだった。

 さて、サリフに見送られ、ジェンネの町を出たところで・・・再び、川渡しの船に乗らなければならない。とりあえず、こちら側は、ちゃんと岸に着いてくれるので、問題なく乗船できたのだが・・・問題は向こう岸。一昨日のように、岸手前で船は停まっちゃうんだろうなぁ、と思っていたら、なんと、今日は、ちゃんと岸に停船してくれたじゃないですか。なんだよ、岸までこれるんじゃないか。だったら、一昨日もちゃんと岸まで来て欲しかったよ・・・

 まぁ、ともかく、今回は、何の問題もなく、川渡り完了。ここからは、ひたすら道が続くので、モプティ目指してひた走り。

 さて、途中、道路脇で、木製楽器をシャカシャカと鳴らしている少年達を発見。タリベくんたちとも、なんかちょっと違う感じの少年達。ダボダボの服を着て、何者なんだろうって思っていたのだが・・・後からドゴンのガイドに教えてもらったところ、彼らは、割礼を終わらせたばかりの少年たちとのこと(イスラム教は、ほとんどすべての幼児男性が、割礼をするらしい)。で、おちんちんがこすれないように、ダボダボの服を着ているらしい。そんな彼らがなんで道端で楽器を鳴らしているのかは、謎のままですが・・・

 さてさて、モプティの手前のSomadougouという村に到着したところ、<DOGON>と書かれた立て看板を発見。うむむ、いよいよ、ドゴン・カントリーに突入だ。

 ドゴン・カントリー・・・巨大な断崖が聳えるバンデァガラ地方を指す。11世紀から12世紀の間にバマコ南方のマンデ地方からイスラム教への改宗を嫌い、この閉ざされた地に来たドゴンの人々が、生活している場所。天地創造の神話など、独特の壮大な宇宙観、世界観をもち、いまだに神話の世界に生き続けているらしい。神話に登場する神などは抽象的な仮面として表わされ、ドゴンの人たちが、なにかある時に踊る<ドゴンダンス>は、その仮面をかぶって行われるという。

 もちろん、オイラの目的は<ドゴンダンス>を見ること。

 Somadougouを通過したら、風景も徐々に変わってきた。これまではただ、平坦な荒野が広がっていたのだが、Somadougouから先は、ところどころ隆起した土地が見られるようになってきた。

 で、Sevareという町に到着。Sevareの分岐道を右に行けば、ドゴンの村々に辿り着くのだが・・・実は左に行くと、この辺で一番大きな街モプティに辿り着く。モプティに行くとなると、ドゴンの村に行くためには、またこのSevareに戻ってこなきゃいけないので、よさげな宿がありそうなSevareで泊まっちゃおうかとも考えたのだが・・・なんとなく流れでモプティまで走りきっちゃったオイラ。このモプティ、なかなか雰囲気ある町で・・・来てよかった。泊まった宿も、めっちゃいい感じだし。そもそも、マリの観光といえば、ドゴン。そんなドゴンへ行く時の入り口の街となるモプティは、海外ツーリスト向けに、ちょっと小奇麗な感じに作られているようだ。と言っても、今のマリには、観光客はほぼ皆無。居心地よい、素敵な宿なのに・・・泊まっているのは、オイラ一人。












































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