(English)
I stayed in Bobo Dioulasso.
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今日も<ピース>のフレーズ特訓。なんどお手本フレーズを見せても、なかなか叩けるようにならないオイラに「なぜ出来ないのかが、分からない」と師匠。
「・・・」
出来る人は皆、こう言う。特に天然で出来る人は、こう言うのだ。
これは言っちゃいけない台詞。出来ないものとしては、こういわれてもどうしようもない。だって、できないものはできないのだから。なぜ出来ないのか一番分からないのは、やっている本人なのだから。
いや、実はやっている本人は、なぜ出来ないのかは分かっている。
オイラ自身、この<ピース>にてこずる理由は分かっている。それは、<ピース>がシンコペーションを多用する曲であるため、師匠が始めるフレーズの頭が、小節の頭なのか、それとも、前小節の尻なのか、混乱するのだ。そして、シンコペを取り間違えて、なんだかワケの分からないフレーズを叩いたりしちゃっているだけなのだ。
もっとフレーズを細かく分解して教えてくれれば、理解もしやすいものなのだが、あいにく、天然の人たちは、フレーズを一つのまとまりとして捉えているため、分解というものが出来ない。これまでの師匠達の中では、キューバのマリー師匠や、ジンバブエのトゥナシがそうだった。
分解して教えてくださいと言って、たとえ分解してくれたとしても、それは小節で区切られたものではない。拍の裏から始まることもあれば、小節途中の頭から始まることもある。彼らからすれば、それが一つの塊なのだが・・・そして、それは、そう捉えるのが正解なのかもしれないのだが・・・どうしても小節の流れで捉えてしまう癖が抜けないオイラは、小節頭がどこなのか分からなくなり、余計に出来なくなっちゃうのだ。
そして、こういう人に共通しているのは、「なぜ出来ないのかが、分からない」状態になると、めっちゃ不機嫌になるということだ。普段は、温厚な師匠なのに、出来ないということに対しては、なぜか、異様に厳しくなる。
トゥグマニ師匠もそのパターンだった。普段や、オイラが順調に教えてくれるフレーズをマスターしていっている時には、めっちゃ温厚なおじさんで、褒めて伸ばしてくれるタイプなのに、フレーズにてこずり始めると、声が荒立ってくる。みるみる、不機嫌になっていく。
う~ん、出来ないときこそ、優しく教えて欲しいのになぁ・・・
その点、セネガルのディザン師匠や、トルコのナイル師匠は、天然なのに、ちゃんとできないフレーズは、分解してできるようにして教えてくれた。う~む、そうか、これは、たぶん、今までにどれだけの人に教えてきたかっていうことに関係してくるのかもしれない。ディザン師匠は、多くの弟子を持っていたし、ナイル師匠は、子供達の打楽器先生だったんですよ。
まぁ、ともかく、今日、なんとか、<ピース>のフレーズを叩けるようにはなりまして。叩けるようになれば、機嫌が戻る、トゥグマニ師匠、「今日も、いいレッスンだったな。じゃ、また明日」と、バイクでご機嫌に去っていった。
さて、今日も、気分転換にと、<Institute Fransais>で行われるというライブを見に行くことに。今日は、ジャズ・プログラムと題して、いくつかのジャズバンドがステージ演奏するらしい。ジャズ・・・といっても、アフリカでのジャズは、いわゆるアメリカやヨーロッパのジャズとはちと違う。楽器はアフリカの伝統楽器を使っているし、メロディはアフリカ流なので、奏でる曲は、ジャズのカホリがちょっとするアフリカの曲って感じ。
今日は二番目のバンドがめっちゃかっこよかった。ジャズというより、プログレフュージョンっぽい曲を演奏するバンドで・・・で、よくよく見たら、このバンドのベーシスト、おとといトゥグマニ師匠のバンドでベースを弾いていたトーマスだった。ふおお、なにげに、あの時もベーシスト、上手いなぁ、と思っていのだが・・・今日のバリバリの技巧曲ライブを難なくこなす姿は、さらにかっこよかったよ、ウン。
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