At Hounde
一ヶ月ぶりだし荷物も増えて

2013.5.17 / BurkinaFaso(Bobo-Dioulasso~Hounde) 本日 自転車106km走行 : Total 45053km走行
天気:晴
朝飯→サンドイッチ 昼飯→ぶっかけ飯 夕飯→チキン / 宿→ヨウさん宅

(English)
 I left from Bobo Dioulasso.



 ここボボでは、いつも、すっかり明るくなる7時半まで寝ているオイラ。が、今日はまだ明るくなる前の5時半に起床。いよいよ、今日こそボボを出発するか、と。

 いやぁ、結局1ヶ月滞在しちゃったボボ。バラフォン修行が思っていた以上に面白く、当初の予定から延長して、3週間以上やっちゃったからなんだけど・・・長居できちゃったのは、ボボの町が居心地よかったからなんですよ。日記にはバラフォン修行を中心に記述したし、ボボの町の風景写真もあまり掲載しなかったんだけど(町写真はあまり撮っていないので)、とにかく、いい町でした、ボボ・デュラッソ。

 緑が溢れているし、日差しは強いんだけど、木陰に入れば涼しい風が体をクールダウンしてくれる。町の規模はそれなりには大きいんだけど、自転車で巡ると程よいサイズ。道端には、露商のおばちゃんたちが、食べ物を広げていて、お腹が減ったら手軽につまみ食い。市場には、時期だからか、マンゴーやアボガドがズラリと並べられていて、ウハウハ。そして、なによりも、この町を魅力的にしているのが・・・<音楽>だった。

 ボボ・デュラッソは、噂どおりの音楽の町でした。ライブ演奏をするレストランやカフェが溢れており、夜になると、毎日のように、どこかで生演奏がされている。そして、週末には、町を歩いているだけで、そこら辺で繰り広げられている誰かの結婚式のための野外ダンスパーティーに遭遇できる。まぁ、ここは町なんで、カフォンティンみたいに、夕刻になると、そこらじゅうで誰かが楽器を演奏しているってな自由な音楽ってな雰囲気ではないんだけど、町ならではの音楽演奏を楽しむのなら、このボボの町は、今まで訪れた西アフリカの町としては屈指のめっちゃご機嫌な場所でしたわ。

 さて、そんなボボをついに出発。とりあえず、購入したバラフォンは、チャリに載せて運ぶことにしまして。フル装備にしてみたら、思っていたほど違和感がなく収納することができたバラフォン。ええ、今日から、バラフォンチャリダーです、ハイ。う~ん、ジャンベチャリダーになった時よりテンションがあがらないのはなぜなんでしょ?あの頃は、荷物が増えるってことにあんまり抵抗がなかったからかなぁ・・・軽量チャリダーを目指しているはずの今のオイラにとって、バラフォンの増量は、心理的にちょいと負担。ま、しばらくは復習のために個人練習しなくちゃいけないから、旅のお供にしなくっちゃなんないんでね。「しばらく触らなくても、もう忘れない」ってな状態になったら、日本に送るとするかな。

 いつもは、朝の挨拶している、宿のオネエサン、オバチャンたちに、今日はお別れの挨拶。人懐っこいニコやかな4人のオネエサン、オバチャンたちには、いつも、和ませてもらってました。そして、そんなオバチャンから、オイラの出発を聞いたオーナーが、寝ぼけ眼で登場。ここのオーナーは、オイラのバラフォン修行に好意的にしてくれて・・・下手くそな楽器ってある意味、暴力ですからね。そんな状態の演奏を一日中宿でやっている客なんて、迷惑といえば、迷惑なハズなんですが・・・優しいオーナーは、むしろ、応援してくれてまして。ホント、この宿だから、バラフォン修行を満喫できたようなもの。オーナーに感謝感謝です、ハイ。

 さてさて、皆さんに手を振られて見送られる中、ファニーバニーのペダルを踏み、走り始めたオイラ。いやぁ、一応、ボボでは、チャリは毎日のように乗ってはいたんですけど、フル装備のファニーバニーは、1ヶ月ぶり。こぎはじめてフラつくオイラ・・・うむむ、久々にこぐとフラつくのはいつものことなのだが・・・今回のこのフラつきは、いつもの<久しぶりだから>っていう理由ではないはず。バラフォンの分、重量が増えてますから。確実に、以前より、重い。今回のフラつきは、このせいだ、きっと。

 そんなこんなで、フラつきながらも、ボボの町中を走りぬけ、ボボの町の外れまで一気に出た。で、ここで見えてきた風景が・・・眼下に広がる緑の大地だったのですよ。うむむ、ボボって結構標高が高いところにあったのねん。だから吹く風とかが涼しかったのか、と地図を改めて見たところ、ミシュランの地図表記では、460mとなっていた。

 なるほどなぁ、ボボに向かう時、微妙なアップダウンに苦しめられて、結局ギブアップしちゃったんだけど、あれ、やっぱり、基本的には、アップだったんですな、と、1ヶ月前バスに乗っちゃった要因が、本日ようやく、判明。

 ということで、ボボから先は、下りメインで楽になるのかいな、と思ったのだが、それはちと甘かった。一応下りメインっぽいのだが、何千メートルもある山々のアップダウンってワケではないので、下りの後は、緩やかな上りが待っている。これがねぇ、なかなかシンドイのですよ。いや、たぶん、毎日走りまくっているチャリ旅モードの最中ならば、これくらいのアップダウンは大したことなく、クリアできると思うのですが、なにせ、フル装備チャリ旅は1ヶ月ぶり。なまった体にこのアップダウンは・・・キツイ。

 幸い、ここいら辺は緑が豊かにあるので、疲れた時に休憩できる木陰スポットには困らない。ということで、たびたび木陰に入って休んでいたんですけど・・・

 休んでいると、オイラを見つけた小学生くらいの少年少女が近寄ってくる。まぁ、これは、西アフリカではどこでもあることなんで、いつものように「やぁ」と手を振って応えたところ・・・さらに近寄ってきた少年少女たちは、「ボンソワ・ムッシュー」と言いながら、右手を差し伸べてくるではないですか。しかも、その右手の手首を左手で握った状態で。こんな丁寧な握手を求められたのは、初めてだったので、ちょっと感激してしまった。なんて礼儀正しいんだ・・・っていうか、この子供たちの握手で、ブルキナファソが改めて好きになってしまったオイラ。

 うむむ、これは、非常に素敵な習慣だ。後から聞いた話なのだが、ここらへんでは、目上の人に挨拶する時には、こういう風にやるよう子供達は躾られているらしい。ちなみに、フランス語で「ボンソワ」という挨拶は、こんばんわを意味する夜の挨拶言葉なのだが、この辺の人たちは、昼過ぎに会っても、「ボンソワ」って言ってくる。はじめは、「フランス語を間違えて覚えちゃっているのかな、この人たち?」って思っていたのだが、どうやら、そうではなく、この辺の人たちの感覚では、14時くらいから、もう、<ボンソワ>なタイムゾーンなのだそうだ。

 そんな子供達との挨拶が心地よい今日のブルキナ道ですが、丁寧な挨拶をしてくれるのは、小学生くらいの少年少女以上のお年頃から。それ以下になると、オイラのことを怖がってあまり近寄ってきてくれないってことも多い。今日の昼飯に立ち寄った、屋台飯屋前にいた、小さなガキンチョは、オイラの姿を見て、泣き出して逃げていってしまった。それを見て、周囲の大人たちは、笑っていたけど。

 さてさて、久々のチャリ走り、荷物が増え、しかも、灼熱のアップダウン道でってことで、疲れ果てながら、ようやく、本日の目的地、ウンデという村に到着。

 実は、ボボからはもう、バスに乗って移動するつもりだったんですよ。今回の西アフリカ走りは、ボボに行くってのが目的だったので、ボボから以降は、もうあんまり走る気がなくて。暑いし。しかし、とりあえず、ボボからまたチャリで走りはじめたってのには・・・このウンデって村で、ある人に会うためでして。

 というのも、ボボでメールチェックしていた時に、久々にブラジルの弓場農場で一緒だったマミちゃんと連絡がつきまして。で、僕がブルキナファソに居るということが知って、彼女が、ちょうど、今、海外青年協力隊として、ブルキナファソに赴任している知り合いがいるから紹介しようか?ってな流れになりまして。で、紹介してもらったのが、ヨウさん。そして、そのヨウさんが、このウンデという村に住んでいるというので、立ち寄ることにしたんです。

 さて、ウンデの村に到着し、ヨウさんを探すことにしたのですが・・・ウンデの村が思っていた以上にデカイ。マミちゃんから転送してもらったメールには、「ウンデの中心部にきて日本人をきいてまわっても僕を見つけられると思います」と書いてあったので、まぁ、みんながヨウさんのことを知っているくらいのこじんまりした村なんだろうな。行けばなんとかなるか程度にしか考えていなかったんですけど・・・

 とりあえず、「エスク・ブ・コノセ・ヨウ?(ヨウさんを知りませんか?)ジャポネ、モナミ(日本人で、友達なんです)」と、相変わらずカタコトなフランス語で、その辺の地元の人に聞いてみたのだが、オイラの聞き方が悪いのか、知らないという返事ばかり。たまに「ジャポネ?ああ、知ってる知ってる」というおじさんもいたのだが、よくよく聞いてみたら、適当に返事してくれていただけだったというオチだったりして。

 「偶然、ヨウさんが通りがかって、奇跡の遭遇なんてことにならないかなぁ」なんて淡い期待をしてみたりもしたのだが、そんなことは起こらず。

 うむむ、やっぱり詳細なアポなし状態で旅先で誰かと出会うのは難しいもんだ。

 せっかく会いに来たのに、会えないってのはナシ。ということで、最後の手段、電話連絡をしてみることに。一応、ヨウさんの携帯電話の番号を教えてもらってはいたんですよ。が、オイラは電話を持っていない。そこで、電話を持ってそうな現地の人に、「友達を探しているんだけど、見つからなくて。ただ、電話番号は分かっているんでかけたいんですが」と、お願いしてみることに。アフリカの人って、携帯電話はみんな持ってますから。っていうか、電話を持っていないっていうと、「なんで?」って怪訝な顔をされるくらい、持っているのが当然なアフリカの携帯電話事情。で、最初にお願いしたお兄ちゃんが、快く携帯電話を使わせてくれまして。無事、ヨウさんと連絡がつき、大通り沿いのガソリンスタンドで待ち合わせ。

 いやぁ、まぁ、こんな感じで、知らない人へのアポなし(メールで一応行くことは伝えておいたけど、いつ行くとかは知らせておらず)でも、がんばれば、なんとか、会えるようになるものです。

 で、チャリに乗ってやってきたヨウさんと初対面。早速、ヨウさん宅へとお邪魔させてもらうことに。そして、そのまま、宿なんてない小さな村なんで、今晩は、ここに泊まらせてもらうことに。いやぁ、ありがたい。

 青年海外協力隊の人には、アフリカで何人か会ったけど、実際に赴任地でお会いしたのは初めて。日本から政府機関を通じて赴任してきている人なんだから、アフリカ赴任といっても、住むところとかは、アフリカの民家とは違ってちゃんとしたところに住んでいるんだろうなぁなんて、勝手にイメージしていたんだけど・・・ヨウさんが、住んでいるところは、よくあるアフリカの村の一軒家だった。水道はないので、水は汲み置きだし、トイレは、アフリカ式のボットン。うむむ、青年海外協力隊の人たちも、村赴任の人は、こういうところで生活をしていかなきゃいけないのか。なるほど・・・オイラは、アフリカ旅が長いので、こういう家生活も、まぁ、普通に受け入れられるんですけど・・・日本から、いきなりやってくると、このギャップはなかなかショックなのではないかと、なんて思ってみる。

 ヨウさんは、元バックパッカーで世界を旅した経験があるので、この辺のことは飄々と受け入れているみたいだった(本心は分からないけどね)。まぁ、村の生活が厳しくても、それなりの町であるボボが近いし、気晴らしをしようと思えばできますしね、とオイラが言ったところ、「いや、実は、赴任して3ヶ月はこの村から出ちゃいけないんですよ」とヨウさん。実はヨウさんはまだ協力隊として赴任してきたばかり。そして、協力隊のキマリで、最初の3ヶ月は、村に慣れるためなのか、赴任先に軟禁状態になるとのことなのだ。

 ひえぇ~このインターネットカフェもないウンデの村から出ることなく3ヶ月過ごさなきゃなんないんですか・・・

 それは、ちと厳しいかも。で、ヨウさん、気分を紛らわすためにと、ジャンベを買っていた。「せっかく西アフリカに赴任してきたからね。ジャンベくらいは習っておこうかと思って」と。

 おお、それは素晴らしいです。っていうか、なるほど、協力隊として2年の任期があるワケだから、その間、ずっとジャンベをやっていられるんだよなぁ・・・それはかなりうらやましい。

 と、音楽談義で盛り上がったりもしたのですが、肝心のヨウさんのお仕事が気になる。ということで、ここで何をやっているのか聞いてみたところ・・・ここウンデの村で美味しいお米を取るための稲作手法を確立させるためにやってきたとのこと。日本で農家で働いていたこともあり、その経験を生かしての仕事を、ここでやることになったらしい。

 ちなみに、本格的な仕事は雨季に入ってから始まるので、今は、まだ様子見状態らしい。しかし、早くも、時間にルーズなアフリカ人気質なるものに、直面していて、大変ですよ、といった話もしてくれた。

 さて、とりあえず、夕飯でもってことで、近所の屋台で炭火焼きチキンを買って、それを持ち込んでバーで飲むことに。と、そこに、同じくウンデで協力隊として働いている北田さんが、仕事を終えた後、かけつけてきてくれまして。3人でチキンをつっつきつつ、アフリカ話で盛り上がる。

 うむむ、やっぱりアフリカで働くってことは、いろいろ大変そう。気楽な旅という立場で「西アフリカ好き!」って言っているのとは、違うレベルでの悩みや葛藤があるようで・・・
























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