(English)
I went to Auschwitz.
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クラクフに到着してからずっと「美女だ、美女だ」と騒いでますが・・・クラクフでは浮き足立ってばかりはいられない。というのも、そもそも、クラクフへは、あの<20世紀最大の悲劇>と形容される<アウシュビッツ強制収容所>に行くために、訪れたんですよ。ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所・・・人類の負の遺産、アウシュビッツ。
ただ、正直なところ、アウシュビッツに行くのは気が進まなかった。行くだけで気分が重くなるであろうことは、行く前から十分予想できるんで、わざわざ気分を重くするために、行くってのもなんだな、と思いまして。美女だ、美女だと騒いでいたほうが、楽しいじゃないですか。それに、アウシュビッツ自体は、小さい頃からその存在を知らされ、歴史その他で、関連する情報に触れる機会はいっぱいあって、もう知ったつもりだったし。だから、改めて行く必要ないのでは、なんて考えたりもした。NHKの<映像の世紀>とかで、当時の様子を生々しい映像で追体験したりもしてたし。
でも、やっぱり、ここまで来たんだから、という思いに後押しされ、行ってみることに。
アウシュビッツは、クラクフから西に向かって行ったところにあるオシフィエンチムという田舎町にあるという。チャリで行くにはビミョウに離れている場所だし、これから向かおうと思っている方向とは逆方向になるので、バスで行くことに。クラクフから片道1時間。バスは、アウシュビッツの建物横に到着した。
アウシュビッツ施設内は、朝10時以降は、個人ではブラブラさせてくれない。1時間に1~2グループあるガイドツアーに参加するカタチで、施設内を巡らないといけないのだ。なので、施設入場料自体はタダなのだが、ガイドツアー参加代金として、40ズウォテを支払って入ることになる。
30人くらいの大所帯英語ガイドツアーに加わり、アウシュビッツ施設内へ。一人一人にヘッドフォンが手渡された。ガイドさんの声は無線を通じて、ヘッドフォンから聞こえてくるシステムだ。これがあれば、大所帯であっても、ガイドさんの説明を聞き逃すことはない。
さてさて、今日は、昨日のドンヨリした天気から一転、青空が広がる気持ちいい天気になっていた。ポカポカ陽気だし、施設内には、オイラたち以外にも、たくさんのガイドツアーグループ客がいて、賑やかなムードが漂っている。
なんか、イメージが違う。重苦しさが感じられない。かろうじて、施設周囲に張り巡らされた金網や鉄条網が閉塞感をかもし出してくれてはいるが・・・
とても、ここで、残虐なホロコーストが行われていた、とは思えない、穏やかで陽気さを感じる雰囲気だった。
予想していたものとは違った雰囲気にまごつきながら、今は資料館になっている当時実際に捕虜を収容するための施設に入ったところ・・・中は中で、ヤッパリって感じだった。ここに飾られている写真は、どこかで見たことがあるものだったし、見るもの全てが予想通り。オイラが今まで知識として知りえたアウシュビッツ以上のものはなく、なんだか、全然、ココにわざわざ来た意味を見出せず、アウシュビッツに今居ることを、をリアルに感じられなかった。
そんなオイラのボンヤリした気持ちが・・・ツアー後半、一つの建物に入って、目にした『モノ』によって、一変した。
そこに無造作に詰め込まれるようにして展示されていた、大量の<メガネ><食器><かばん><靴>という『モノ』が、それまでの、のどかなアウシュビッツイメージを、一気にひっくり返してくれたのだ。急激に引き込まれてしまった。<悲劇の場所アウシュビッツ>の世界に。これらは、収容した捕虜が持っていたものを没収したもの、とのこと。着の身着のままで連れてこられて人たちは、この建物でさらに、身包みはがされ、家畜以下の扱いで、収容されたという。
その事実を・・・ガイドさんの説明以上に、『モノ』が語りかけてきた。
『モノ』、しかも、数え切れないくらいの物量ってやつは、その存在感が、人の心を圧倒する。その圧倒感が、写真では感じ得なかった、当時の<悲惨なリアル>を生々しく、ダイレクトに、心に訴えてくる。
そして・・・さらにリアルを感じさせてくれる『モノ』が、奥の部屋にあった。それは、おびただしい数の<切り取られた髪の毛>(写真撮影禁止)。収容された人たちは、男女問わず丸坊主にされたという。髪の毛はそれ自体はいつまでたっても腐らないため、当時、刈られた人たちの髪の毛が、長い廊下の壁の壁面に設置されたガラス窓の奥に、ものすごい数、ぎっしりと詰め込まれていた。
クラクラする。気持ち悪くなった。
来る前まで、アウシュビッツに関しては、もういろいろ知っているから、行っても、「ああ、やっぱり知っていたとおりだ」って再確認するだけでしょ、って思っていたのだが、それは、大間違いだった。<知識>以上のものがココにはあった。ココには、『モノ』が語りかける<リアル>が詰まっていた。リアルなモノからの直接的な語りかけによって、感情がモロに揺さぶられる。この直接的な語りかけは、残念ながら、映像や写真を介してでは伝わらない。ココに来て、対面しなきゃワカラナイ。
負の遺産・・・訪れる人たちを、気持ち悪くさせたり、気分が重くさせたりするために、ココは存在する。その負の気持ちが「こんなこと、二度と起こしてはいけないのだ」と思わせるのだ。ココでは、負のパワーは強ければ強いほど、意味を持つ。残された『モノ』の圧倒的な負のパワー・・・コレがあるからこそ、アウシュビッツ強制収容所が、ココにそのまま残されていることに意味がある、とオイラは思う。
ワニとネズミの脳がある限り、人間世界から争いごとをなくすことは不可能だと、個人的には思う。しかし、同じ過ちを繰り返さないように努力することは可能。その努力の姿勢を少しでも多くの人たちが持つってことが、大切なのだ。
そんなアウシュビッツ強制収容所の後、第二収容所として機能していた<ビルケナウ強制収容所>へ移動。こちらは、もっと郊外のだだっぴろい空間に作られた収容所で、今日のような晴れの日に訪れると、不謹慎ながら、ちょっとしたピクニック気分にもなりかねない、のどかな場所だった。
が、ここでも、オイラのそんなピクニック気分をぶち破いて、<重苦しい歴史のリアル>感じさせてくれたものがあった。ここでは、それは、『モノ』ではなく・・・『ヒト』だった。
オイラたちが、ビルケナウの中を歩いていた時、ちょうど、軍服らしきものを着た集団が、敷地内を行進しているのを見かけた。彼らが持っている国旗を知らなければ、ただの催し物と思って見過ごしていたかもしれない。が、オイラはそれが、どこの国の国旗なのか、知っていた。<イスラエル>の国旗だった。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に収容され大量虐殺された人たちの多くは、ユダヤ人だった。そのユダヤ人の国家<イスラエル>。彼らが、イスラエルの国旗をかざして、ココを行進する意味。考えれば考えるほど、重い。
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