Lo que sea, será
この旅で抱いている最大の謎

2013.10.26 / Moldova→Romania(Chişinău~Husi付近) 本日 自転車88km走行 : Total 49832km走行
天気:曇のち晴 自転車折りたたみ:1
朝飯→パン 昼飯→お菓子 夕飯→ラーメン / 宿→野宿

(English)
 I left from Moldova and enter to Romania.



 今日こそは出発するぞ、と、朝早めに起きて、窓の外を見ると、一面モヤがかっているじゃないですか・・・これは、今日も走るなってことなのかな・・・と思ったのだが、一応天気予報によると、本日は晴れ。たぶん、このモヤ風景も、朝のうちだけなんだろう、ということで、ようやく重い腰を上げ、キシナウを出発。

 しばらくは、深い霧に包まれる道を走っていくことになったのだが、2時間くらい走っていたら、ようやく、空に青空が見えてきた。

 見通しがよくなってきた道で、前方に、人影を発見。男の人と女の人と・・・おばちゃん。そして、男の人は、カメラを構えて、オイラのことを写している。こういうファンには、サービスしてあげたくなっちゃうのが、オイラ。立ち止まって、ポーズを決めてあげる。

 「どこから来たの?ベトナム?」と、写真を撮った後、男の人が聞いてきた。「いや、ジャパンからだよ」「おお、ジャパニーズ。ぜひ一緒に写真を撮ってくれ」と、撮影大会が始まった。オイラと男の人と、女の人で大はしゃぎで、パシャパシャ。それをみていたおばちゃん。最初は、なんだか、オイラに対して警戒心をもっていた素振りだったのだが・・・最終的には、一番テンションがあがってて、オイラの両手を握り締め、なにやら、いろいろ話してくれた。残念ながら、モルドバ語だったんで、何を言われているのか分からなかったんだけど・・・でも、きっと、いい旅になるように、って願ってくれていたんだと思う。

 いやぁ、やっぱりモルドバはいいなぁ。そして、モルドバは、チャリ走りするのがいい。出会いは、路上で起きるのだ。街に留まるだけじゃぁ、モルドバの魅力はわからないよ。現に、キシナウでは特にこれといった出会いはなかったもんなぁ・・・(ま、出会いがなかったのは、後半2日、ほぼ宿に篭っていたからなのだが)。

 さて、そんなモルドバ道も、もう少しで最後。ルーマニアとの国境まで、あと20kmというところで、道端に一人の男性が立っているのが見えた。フレンドリーな人たちで溢れるモルドバでは、道を歩く人たちは、オイラをみかけると、手を振ってくれたり、声をかけたりしてくれる。中南米やアフリカではよく見られたこの光景。

 こういう声援をされたら、応えなきゃと思わされる。道行く人たちが、なにかアクションしてくれた時には、必ずリアクションを返すってのが、オイラのスタイルとなった。そしていつしか、こういう雰囲気の場所では、オイラの方から、挨拶することも多くなった。フレンドリーな人が多い場所では、挨拶したら、必ず返してくれる。見ず知らずの人でもすれ違った時に、ちょっとした関係が築けるのが心地よかった。

 が、ヨーロッパに入ったら、走りながら挨拶するのが減ってしまった。接してみたら、皆さんフレンドリーだったりするんだけど、ヨーロッパでは、スペインとかイタリア南部以外では、見ず知らずの人に、ニッコリと微笑むことはめったにない。反応してくれる人もいないことはないのだが、反応してくれる人が、ほんのたまにしかいなくなっちゃうもんだから、オイラの方から、挨拶するのはやめてしまった。

 そんな挨拶スタイルが、モルドバで、久々に復活。ここ、モルドバでは、挨拶したら、必ずにこやかに返してくれる。中南米のあの感じ。これが、ラテン気質ってやつなのか。そういえば、スペインやイタリア人は、ラテンの人々。そして、中南米は、そんなラテン気質のスペイン人の多くが渡って住み着いた地。

 で、ここでみかけた男性。ちょっといかついお兄さんだったのだが、いつものように、ニッコリ手を振って挨拶したら、お兄ちゃんも、ビミョウな笑顔をして、手を振り返してくれた。ま、これは単なる挨拶なので、いつも、これくらいのやり取りで終了。特に振り返るようなこともなく、そのまま走り抜ける。で、今回も、そのお兄さんとの挨拶後、そのまま走っていたのだが・・・

 そこから2kmほど走ったところで、上り坂になったので、チャリを降りて押していたら、後ろから、人が走ってくる足音が聞こえた。振り返ってみると、さっきのお兄ちゃんが走って近づいてきているじゃないですか。なにか、落し物でもしちゃったのを拾ってくれたのかな?なんて、思ったところ、追いついてきたお兄ちゃんが、息をゼイゼイさせながら、50モルドバレイ札(400円くらい)を一枚差し出してきた。

 お金なんて落とした覚えはない。

 「何ですかこれ?」と聞いたら

 「お金」とお兄さん言う。

 「いや、そうじゃなくて、どうしてコレを僕に?」と聞き返したら

 「これで、なんか食べてもらいたくて」と、お兄さん。

 ・・・それで、2kmもオイラを走って追ってきたんですか!?

 これが、ラテン気質。

 ラテンの人は、どうして、初対面の人に対して、そこまでできるのか?

 オイラがこの旅に出て抱いている一番デカイ疑問は、実は、これ。

 ラテンの人たちと触れ合うたびに、どうして、こんな接し方ができるのだろうか、と疑問が沸きおこってばかり。こんな人たちが、この世に存在するっていうことが、オイラにとって、青天の霹靂だった。旅にでて、何よりも驚かされたことだった。

 大阪人はラテンに近いとは言うけれども・・・基本的には日本人とは大きく異なるラテン気質。日本に息苦しさを感じていたオイラにとって、ラテンの人たちの生き方は、疑問であると同時に癒しとなった。

 舞台作家・演出家の鴻上尚史さんが、エッセイ<ドンキホーテのピアス>の中で、こんなことを書いていたのを思い出す。

 あまりにも息苦しいのなら、この国を出ることを勧めたりします。

 語学で苦しむことを前提に、淋しさにのたうち回ることが分かっていても、それでも、この国の息苦しさに耐えられないなら、とっとと海外に出たらと言います。

 それは、海外で生活する日本人の多くが、この国を脱出して『淋しいけれど、出てよかった』と語るからです。僕は、海外に出るたび、そういう日本人にたくさん会いました。

 動機は、ほぼ、みんな同じです。

 『日本という国が息苦しいから』

 これだけです。

 鴻上さんは、日本の息苦しさを、テレビショッピングの女性が語る「今日は、~を紹介させていただきます」という「過剰なへりくだり」を例に挙げて説明していた。演出家らしく、言葉に敏感な鴻上さんは、そういった言い回しは、根拠のない恐怖からきているんだと、解説する。この「根拠のない恐怖」とは、日本的に言うと「世間体」。

 都市化が進み、地域共同体による世間体が崩壊しつつある日本であっても、世間体という極めて日本的な特質は消えてしまうことはない。ツイッターなどで、つぶやいたことが、反感を食らい「炎上」するっていう最近の流れは、代わりとして<ネット上に世間体>が生まれてきたことを象徴する現象のような気がする。

 周囲の顔色をうかがうのではなく、出会った人は皆アミーゴ。自分がやりたいことを、やっちゃうぜ、ま、なんとかなるさ、という、ラテン、もしくは、アフリカ的な生き方は、息苦しい世間からはかけ離れている。もちろん、彼らは生きていくために、周囲の人たちとつながって、共同体を形成はするのだが、そこにあまり息苦しさを感じない。

 いや、そりゃ、旅行者で表面的にしか見てないからだよ。暮らしてみれば、分かるさ。そうすれば、そこにも閉じた世界があるってことが分かる、と突っ込む方もいるとは思う。

 オイラは、鴻上さんと違って、「やっぱり日本がいい」と言う日本人たちにも、海外で多く出会ってきた。だから、鴻上さんほど、強い感じで、海外を勧めたりはしません。でも、もし、日本で、なんか得たいの知れないモヤモヤ感を抱いて、息苦しさを感じているのなら、ラテン、もしくは、アフリカな国に、数ヶ月、できれば半年くらいのスパンで、行ってみればいい、とは思うのです。

 旅人としてでいい。いや、むしろ、旅人だからこそ感じれるものを感じて欲しい。

 あ、できればチャリ旅で。

 だって、出会いは路上で起きるものだから。

 こんな生き方もありなんだ、と思えたら、それだけで大成功。この思いは、その後の自分を大きく支えてくれるものになるはずです、ハイ。

 さてさて、モルドバの人たちから、支えになる思いをたくさんもらったオイラは、名残惜しくは思いつつ、モルドバを出国。さぁ、ようやくルーマニア。モルドバ同様ラテンな国、ルーマニアでは、どんなラテンな出会いが待っているのやら・・・期待しすぎるのはよくないって分かっちゃいるけど、期待しちゃうよ。いやぁ、ラテンな国は、楽しいぜ、ケセラセラ。








































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