(English)
I stayed in Bali Island.
|
|
寝起きがよく快便で朝からやる気が湧いてくる。やらねばならないことをきちんとこなせる充実した一日。
ようやく理想としていた生活に辿り着けた気がする。旅生活というより、こういう<生きる充実感>を味わいたいとずっと思っていたのだ。もちろん今まででも、こういう状況になったことはあった。が、それは偶然そういう状況になれただけだったのだ。今のように、論理的に理解して、いつでも再現可能な状況だったワケじゃない。
習慣化がようやく実現できたのだ。いままで習慣化を挑んできたが、ことごとく失敗してきた。が、インドでのタブラ修行での日々がキッカケになり、ようやく習慣化ができるようになったのだ。
それにしても、ここまで来るのに長い年月がかかりすぎた。物事をちゃんと習得する術を早い段階で身につけておけば、こんなに長い時間がかからなかっただろうに。インドでのタブラ修行、そして解剖学によるヨガ体験をもっと早くに体験していれば、その後の旅生活がより充実していただろうに。
・・・いや、もしアジアを先に行くルートにしていたとしても、どのみち、気づくのはこの時期になっていたんだと思う。これまでの経験があったからこそ、気づけたのだ。悶々としたものを抱えていたからこそ、それに出会えた時に反応できたのだ。
きっとこのオイラにとって大切だと思っている気づきも、悶々としたものを抱えていない人や、そこに意識がない人には伝わらないんだと思う。オイラはチャリ旅が史上最強のエンターテイメントだと思うのに、それに感化される人が少ないのと同じように。
3次元アリの話や、杜子春の話で語られている教訓だ。
実は目の前に答えがあるのに、本人が気づけない。散々悩んで、痛い目にあってようやく、その答えが意識できるようになるのだ。かつてのオイラ自身がそうであったように。
・・・と思うことにしよう。実はみんな早い段階で気づいていることだよ、なんて思ったら、自分がかわいそうになってくるからさ。
しかし、みんなこういうことっていつ気づくもんなんだろうか?ひょっとしてこの歳になるまで気づかないアホってオイラくらいなのかも、と思うと、悲しくなってくる。
こういうことって、どういうことかと言うと・・・ただ好きでハマるってことじゃない。その先にある真理にどれだけ近づけるかってことだ。ただ好きで太鼓を叩くレベルではなく、太鼓の真髄にどこまで迫れているのか、ってこと。ただ好きでチャリに乗っているレベルではなく、チャリ走りの真髄にどこまで迫れているのか、ってこと。ただ好きで旅をしているレベルではなく、旅の真髄にどこまで迫れているのか、ってこと。
しかし、まぁ、オイラ自身のことを振り返ると、チャリ旅に出会い、走り始めた時に、これぞ真理だ、とはあの時は思っていたんだよね。でも、しばらくして、更に上の真理を求めるようになっていた。きっと真理はきりがない。今、ようやく辿り着いたように見える真理にも、上があり、しばらくしたら、また新たな悶々が始まってしまうのだろう。
ひと時の心の平穏。とりあえず今はそれをじっくり楽しんでおくとするか。
夜、ワヤンさん宅にお邪魔して、男たちがガムラン練習している姿を見ながら、そんなことを考えていたのでした、ハイ。
|
|

|