(English)
I stayed in Hyderabad.
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食べてばかりで観光もしていないの?という疑問が起こる毎日。ええ、観光は全くしていません。街をブラブラ歩いたりはしているけれども、それは、美味しそうな食べ物の店を探すためであって、何か特別に見たいモノがあるワケじゃない。
が、食べてばかりってワケでもないんですよ。じゃぁ何をやっているかというと、いろいろ修行。特に、打楽器修行に励んでまして。打楽器修行は旅当初からの課題で、ずっとやらねば、と思っていた。が、思っているだけで全くできなかった。一応キューバ、ブラジル、セネガル、トルコ、ブルキナファソ、ガーナと、師匠を見つけては習ってきたのだが、習っただけ。それが<できる>ようになるまで、練習を続けるってことが出来なかった。
なぜできなかったのか?それ以外に楽しいことがいっぱいあったから、というのが大きな要因のようだが、実はそれだけではない。新たな技はたくさん習ってきたのだが、<そもそも太鼓とはどうやって叩くものなのか>という根本の部分を誰からも教わってはこなかったのだ。
実は、これが一番大事。よく基礎が大事っていうじゃないですか。でも、その<基礎>っていうのが一体なんなのかってことが分からないと、何を大事にしていいか分からないのだ。で、この<基礎>である<そもそも太鼓とはどうやって叩くものなのか>ってことを、タブラー修行で習えたんですわ。
これが大きかった。で、これを習得することによって、あらゆることに対して<基礎>が間違っていたことに気づけた。そして、あらゆることに対して、<基礎>を改めて設定し直して身につけることを始めたおかげで、あらゆることが、変わってしまい、旅が大きく変わった。っていうか、生き方、そして、見えてくるものが違ったものになってしまった。
タブラー修行以前とタブラー修行以降のオイラは、たぶん、別人。
ちなみに、基礎をちゃんと設定して、物事を進めると、ちゃんと上達できる。これまでいくらやっても上達できなかったのは、練習不足ではなく、基礎をちゃんと設定できなかったから。基礎だと思っていたことが基礎ではなかったのだ。この勘違いは、ホント無駄だった。早く誰かに、「それは違っているよ」と教えてもらいたかった。このボタンの掛け違いが、オイラが抱えていた全てのモヤモヤの原因だったのだ。
停滞感や閉塞感はこのボタンの掛け違いから生じる。
今やっているのは、左手強化。毎日左手がどんどん動くようになってきているのを実感できるのが楽しい。そして<基礎>をちゃんと身につけることで、新たに創造が生まれることに気づいた。そうか、創造とはこうして生まれるものなのか。ずっと自分で創造することができなかったオイラは、ようやく<創造とはどこから生まれるのか>という答えに到達することができた。
このように、最近は、完全に自分の興味のインナー世界へと入り込んでしまっている。というか、もともとオイラはインナーの世界に興味がある人だったのだ。世界一周ということで、外の世界を見ているようだが、実は、世界を旅しながらも、インナーの世界しか見ていない。いろんなことを体験した結果<自分の気持ちがどう動いたのか>という点にしか、興味がなかったのだ。自分好きというか、<自分を被検体にして、人間心理を探求する>ことが好きなのだ。
以前、ペルーで出会ったチャリダーひろさんに「ヨシさんは、話を聞いても、なんで世界を旅しているかイマイチワカラナイんだよなぁ。しかもチャリでって。そういう趣味の人じゃないでしょ」と言われたことがあった。今考えると、一番オイラのことを見抜いていた人なのかもしれない。そう、オイラは<世界を知るコト>に興味がある人ではないのだ。<自分の中のことを知りたい>だけの、自分大好き、インナー世界の人なのだ。<世界>は<自分を知るため>の実験場にすぎない。その実験場は<世界>でなくてもいいのだ。たまたま<世界>をチョイスしただけの話。
だから、<旅を目的にしている>人とは、根本的に違う。実はオイラはもう「旅を終えてもいいや」という心境に至っている。正確にいうと、カレーと餃子とタブラー修行をやるのとアンコールワットを見たいという欲望があるので、そのために旅をもうちょっとやり続けねばとは思っているが、それさえ終われば、この世界旅に未練はない。だって、世界旅にでた要因であるモヤモヤはきれいさっぱりなくなり、目の前がパッと晴れ渡って道が見えてきたからだ。
そう、以前、旅を始めた時<これが楽しそう>と思ったのと同じような<これが楽しそう>と思うものがオイラの中にまだ沸々と浮かんできたのだ。今は、その<これが楽しそう>と思っているものをどうやって実現していこうか、と考えるのが楽しくてしょうがない。世界旅を思い立ってワクワクしていたあの頃と同じ気持ちだ。
以前の仕事を辞めた時と同じで、別にやっていたことが嫌いになったワケではない。ただ、今やっていることよりも楽しそうなものが、見つかった、見えてきちゃったっていう話なのだ。
こういう感情が浮かんできた時は、素直に従った方がいいってのが、オイラの経験則。新しいことを始めるのに不安はないのかって?不安よりワクワクの方が大きい。そして、やってみれば、なんでもどうにかなるもんだ。正しくやってさえすれば。また正しいやり方が最初はわからなくても、いずれ正しいやり方は見えてくるもの。
「もっと味わえばいいのに」とホワンくんが言っていた言葉、今ならすごく実感できる。昨年の目標にもっと味わうことなんて書いたけど、あの時は、味わうとはなんなのか、分かっていなかった。だからこそ、オイラがやっていることは他人から見れば「味わっているようには見えな」かったんだし。
でも、基礎をちゃんと身につける努力をすることを覚えたおかげで、物事の見方が変わり、味わうってことも分かってきた。
ここで、最後の一年の課題を挙げておくとするか。次は<自分、自分>から脱却し、<世界>と溶け込むことにする。やっと<自分>の正体に気づけたのだ。次のフェーズは、そこから解放されること。味わうっていう体験は、自分という意識を広げるということでもある。序章は始まっている。
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