(English)
I stayed in Varanasi.
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ようやくなんとなく落ち着いてきたのでブログを久々に更新することに。う~む、まだブログではリシケシだ。ヨガについていろいろ思っていたことを書いていたら長くなってしまい、午前中が終わってしまった。11時になったので、慌ててレッスンへ。
今日は、昨日と別バージョンの定型フレーズ。同じティンタルの16ビートパターンなのだが、ちょっと違う。昨日のパターンと組み合わせたりすることで、さらに演奏に幅を作ることが出来るってワケだ。
しかし、このパターンが妙に難しい。今まで習ってきた叩き方の組み合わせをやっているだけでしかないのに、なぜか上手く叩けない。一つ一つの叩き方は知っていても、組み合わせが新しいから難しいのだ。
と思っていたら、実は一つ一つの叩き方も、ちゃんと出来ていなかったってことが判明。師匠にまた基礎的な<ナ>と<ティン>の叩き方から教わり直す。ふおお、また振り出しに戻りかい。それにしても、叩けるようになったと思っていたのに・・・そもそも叩き方が間違っていたと、指摘されへこむ。
どんだけ間違ってやっているってことですわ。正しい型を身につけるセンスがどんだけないのかってことですわ。
センスのある人は、一度言われたらちゃんとできるようになるんだろうけど、オイラの場合は、直されてばかり。師匠は「直すためにオレがいるんだ」と言ってくれるけど・・・こんなに直されてばかりなの生徒は、そうそう居ないんじゃないですか?
なんかねぇ、タブラーをもって南インドを旅していた頃は、結構有頂天になっていたんですよ。前回習っていたことを繰り返しているだけだから、だんだん上達してきた気がしてて。それっぽく叩けるようにもなっていたから。
でも、師匠の所に戻ってきて、再び習いはじめたら、出来ない自分に舞い戻り。自信を砕かれるっていうか・・・道はまだまだ遠いってことを自覚させられるっていうか・・・凹みますわ。
まぁ、この凹みがあるからこそ、次の成長ができるんだと思ってがんばりますよ。
しかし、テンション的には凹むなぁ、ホント・・・
今日も、夜はコンサートを見に行ったのだが、師匠の息子サンディが叩くフレーズ、分かるようになってきたからこそ、あんな風にはできねぇよ、と分かってしまう自分にまた凹むようになってきたりして。さらに、今日のゲストミュージシャンである韓国人とロシア人のシタール奏者たちが、6年もやってようやくステージに上がれるようになったって話を聞き、まだまだ先が長いことを思い知らされて、これまた凹む。
焦っているワケではないんだけどさ。先があまりにも遠いって思うと・・・もう若くはないんで、なんか凹んじゃうんですよねぇ。もっと若い頃に今の境地に立っていたら、また全然違う感覚になれたんだろうなぁ、なんて思っちゃったりもして。
そんなこと今更考えてもしょうがないんだけどね。今はただ、師匠に教わっていることを淡々とやり続けるしかないんだけどね。でも・・・なんだか最近、7年間の時間の使い方について、いろいろ考えるようになってきちゃった。いや、7年間の旅を後悔するワケじゃない。この7年間あってこその今だとは思ってはいる。でも、7年間あったら、実は、いろんなことが出来たんだなぁ、とも思って。一か所での太鼓修行に7年間使うなんて考えてことなかったけど、実際にはそこまでやらなきゃいけないし、やっている人は結構いるってことを知って。
そう、まずは知るってことから始まるのだ。ただ、知ることで<可能性>に気づいてしまい、その可能性と自分の現実とのギャップに悩みが始まるのが、人の煩悩ってやつなのですよ。今はその煩悩に悩まされ始めたところ。ヨガをやって、心をスッキリさせたはずなのになぁ。
というか、旅をしたこと自体はよかったのだ。問題は時間の使い方だった。太鼓修行をする時間はいくらでもあったのに、それに時間を使ってこなかった自分を責めたい。これまでのオイラは、ちょっとやればできるって思っていた勘違い野郎だったんだよね。それが一番の問題だった。まぁ、その勘違い野郎が、これまでの人生は勘違いだったって気づけただけでも、この旅の意味があったと思いたい。うん、そうなのだ、やっぱり7年間があったからこそ、勘違いを正せて、今、タブラーに真摯に打ち込めるオイラになったってことで。そう思うことで、旅の7年を正当化させることにして、煩悩から逃れることにしようっと。
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