(English)
I stayed in Varanasi.
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昨日やったフレーズがなかなか体に馴染まなかったので、朝から馴染ませ練習。こういうのは、自然にできるようになるまでやりこまねばならないのだ。これが修行なのだ。そう考えると、今までのは、修行といいつつ、修行ではなかった。それは、この<自然に出来るようになるまでやりこむ>という過程をおろそかにしていたから。技を教わって頭で理解した時点で、終了、としてしまっていたのだ。実は、そんなことでは、いつまでたってもできるようになんてならない。頭で理解した次の段階として、それを意識せずとも出てくるくらい体に叩き込まないと、いけなかったのだ。そうすることで、初めてそれが、自分の武器として使えるようになる。自分の武器として使いたいのに、やったはずのものが出来ない。オイラの中に、ずっと抱えていた歯がゆい思いは、単にオイラ自身がちゃんとやっていなかったことが起因する思いだったのだ。
そんなことに気づかせてくれたのがタブラ修行。意識せずとも出てくるまで体に叩き込むという練習をやらされることで、その大事さに気づかされた。このことは、口で言われて教わったり、本で読んで教わっても、いつまでたってもわからなかっただろう。そうではなく、実際に行為を通して教わったからこそ、オイラ自身がようやくその大事さに気づけたのだ。
そんな思いをいだきながら、今日も11時からレッスン。昨日のレッスン後、出来なかったフレーズを何度もやったおかげで、昨日習ったフレーズはなんとかできるようになっていた。
さてさて、今日はティンタル伴奏のゆっくりの別フレーズを習った。といっても、実は前回習っていたフレーズと同じモノだった。あれ、このフレーズやりましたよ、と言おうと思ったら、「これは、これまで教えた叩き方と違うぞ」と師匠。これまでは手をスライドさせ、あえて手首の回転は使わない叩き方を教わってきたのだが、今回は手首を回転させる叩き方を教わった。実は手首を回転させるというのはあまりやらない動き。なにげにやってみると難しいのだ。
「手首が固すぎる。問題だ」
とまた師匠から指摘を受け、へこむ。初めてやるとどうしても力が入っちゃうんですよ。しばらくやり続け、自分の体の動きになったら、ようやく力が抜けるっていうことが分かってきたけど・・・最初から力を抜くのは無理っす。
今日は、この叩き方に悪戦苦闘してしまい、この手首を回転させることを強化する練習フレーズをもう一つ習ったところで、今日の教えは終了。今までのオイラだったら、「前に習ったのと同じフレーズだけでは今日のレッスンの意味はないじゃないですか。新しいフレーズを教えてください」?ってことで、無理やり次のステージに進もうともがくところなのだが、今は、これだけで十分。新しいフレーズに突入しなくてよかった、とむしろホッとするくらい。いやぁ、取り組み方が、すっかり変わってしまった。っていうか、やっと、ケシャヴ師匠流の教え方が、オイラの中でわかってきたのかも。師匠は最初からそういう教え方をしてくれていたのだ。オイラが勝手に、自分が出来るって勘違いしてたし、また、焦っていただけだったのだ。
そして、明日は日曜日。明日はレッスンを休日休みにしてもらった。これまでなら、「通常なら日曜日は休みにするが、やるか?」と師匠に言われた時、「いや、新しいフレーズを習いたいので、レッスンをやってください」と言って無理やりレッスンを入れてもらっていたところだったのに。短期つめこみで休みなしってのがこれまでのオイラのスタイルだったからね。それが、今や、ちゃんと立ち止まることを覚えたってワケだ。
さて、そのまま14時頃まで練習し、その後、近くにあるそこそこ有名なインドカレー屋である<ケサリ>にインドカレーを食べに。ここのカレー、前回来た時、そんなに美味いとは思えなかったのだが・・・インドカレーを食べ周ってきてもう一度来たら、それなりに美味く感じれるようになっていた。やっぱり現地的な味付けのカレーを美味しく感じるには、食べ慣れが必要なのかも。前回、甘いということで違和感を抱いていた<ケサリ>のパニールカレー。これが、パンジャブ流だとか分かって、この甘いカレーも美味しいと、思えるようになってきたり。いろんなところで食べてきた効果が実感できるようになってきた。
そして、夕刻まで部屋で手首回転練習をした後、コンサートへ。だいぶインド古典音楽の楽しみ方も分かってきた。やはり、まず、知り、理解するっていうのは大事だな。それがあるから、楽しめるようになる。そして楽しくなると、自分の身の中に入ってくる。この流れが学習するっていうことなのだ。
言語とかもそうなんだよね。知ろうとしないから、いつまでたっても言葉を覚えないだけで。まず、知ることをちょっと努力すれば、分かるようになり楽しくなる。そうすれば、どんどん自分の身の中に入ってくるようになるのに。でも、なかなか最初の知るっていうことができない、のだ。
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