India Music ≒ Jazz?
インド音楽の楽しみ方はジャズと同じ/タブラ修行80日目

2015.11.2 / India(Varanasi) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:晴 ネット:1
朝飯→サンドイッチ 昼飯→ドーサ&かき揚げ蕎麦 夕飯→スパニッシュオムレツ / 宿→Joti Cafe(ダブル300ルピー)

(English)
I stayed in Varansi.



 朝から復習をして11時にレッスンへ。が、いきなりダメだしをされた。ダテテパターンのテテの音の出し方がなっていないというのだ。師匠が言うにはアクセントが違うらしい。オイラの叩き方はダにアクセントがかかっているのだが、このフレーズはテテの最初のテにアクセントがあるというのだ。なんですと~、だったら、それはこのフレーズを教えてくれた土曜日の時点で強調しておいてくださいよ。間違ったアクセントのまま土日、練習しちゃったじゃないですか。いや、ま、こういうのはいつものことです。習った事は最初からできるワケじゃない。日々修正を加えることで、少しづつ完成に近づいていくんですわ。

 習っただけで、分かったような気になるのが、これまでだったけど、何かを体得するってそういうもんじゃない、ってことがわかってきた今日このごろ。何日も何日も同じことを繰り返し、その度に、違うって言って直され、そうやって、長い時間かけて、ようやく一つの完成された型に辿り着く。それこそが、修行の正しい取り組みなのだ。ああ、ホント、これまで、この過程を無視して、やってきてしまったから、やることなすこと全て、何も身につかなかったんですわ。それでも子供の頃は繰り返してやることをやっていたはずなんだけどなぁ・・・どこで、間違えちゃったんだろ。

 いつからか、そこまで突き詰めなくてもやれてしまっていたのが問題だったんだと思う。そう、意外と物事ってやつは突き詰めなくてもやれてしまうんですよ。人に怒られずに、仕事としてお金をもらって、なんとなく生きていくのは、それでも可能な世の中なんです。特に今は、いろんなものが技術的にサポートしてくれたりするから、余計になんとなく物事が手軽にできるようになってしまっている。

 適当でいいや、って思うものに対しては、それでいいと思うんです。でも、自分の中で極めたいって思っていることに対しても、そういう態度じゃダメってことなんです。極めたいって思っていることに対しては、突き詰めていかなきゃいけないんですよ。で、その突き詰めるやり方が、修行。

 世界に出て太鼓修行をして、そのことを体得できたのが、旅で得た一番大きなものだと思う。特にタブラ修行に専念しているココでの体験は、何事にも変えられないですわ。自分の子供ができたら、小さいうちにケシャヴ師匠のところに、1年くらい預けて、タブラー修行をさせたい。太鼓ができるようになる云々以上に、人生での頑張り方を叩きこんでもらいたいのだ。・・・って、まぁ、オイラは太鼓を極めたいって思っていたからこそ、この境地に至れたような気もするので、何に興味を持つかワカラナイ子供に、ここに入れたからといって、掴めるかどうかは分からないんだけれども。

 さて、とりあえず、ダテテパターンはまた個人練習しなおすとして、新しいフレーズとしてティンタルパターンのビランビットで使う最後のバリエーションパターンを2パターン教えてもらった。といっても、二つ目のやつは、やはり、前回のタブラー修行の時にフレーズ的には教えてもらっていたパターン。が、やっぱりこれも、違う叩き方でやらされることになり、てこずることに。そうなんすよ、同じフレーズでも叩き方が違う。修行を積んで、新しい叩き方ができるようになると、フレーズもそれに合わせて、進化していくもんなんす。

 それにしても、今回は、毎日新しいフレーズを覚えていくのが、キツイ。以前は、とにかく新しいフレーズを教えてもらうことに情熱を燃やしていたのだが、それは、<ちゃんと覚える>気がなかったから。ちゃんと覚えるつもりで、取り組んでいたら、まだ未消化なフレーズがあるのに、新しいフレーズが詰め込まれるのは、結構ストレスとなってしまうのだ。

 「本来なら一つのフレーズができるようになるまで、次には進まない」という師匠。本来の進め方が修行としての理にかなったものなのだろう。半年で詰め込もうというのが無茶な話なのだ。そして、その分、頑張らねば、ならないのだ。

 レッスンが終わって、宿で練習。ダテテパターン、最初は全然テにアクセントがつかなかったのだが、ひたすら叩き続けていたら、なんとかアクセントがつくようになってきた。そう、できるようになるまで、ひたすら叩き続けるしかないのだ。そのうちできるようになるさ、なんて構えていても、いつまでたってもできるようになんてならない。愚直に叩き続けることで、ようやくいつの日にかできるようになっていくものなのだ。そう、ひたすら頑張らねば、ならないのだ。

 さて、練習の合間、休憩時間も音楽漬け。タブラーのレッスンが、他の楽器との合わせ方モードに突入してきて、リズムと旋律との関係について、ようやくちょっと知識がついてきたら、俄然、深いところまで知りたくなってきちゃいまして。

 今日もラーガという旋律のことを勉強するためCDを一枚買った。

 インド音楽というのは、慣れないと全部同じに聞こえる。それは、数千もあると言われているラーガそれぞれの違いが細かいっていうことと、いつも同じ楽器を使っているということと、基本的に転調せず、変化はリズムや音階変化のみっていうことにある。

 変化が分かりやすく、キャッチ―なポップス音楽とは楽しみ方が違うのだ。細かい変化や違いを見出して楽しむのが、インド古典音楽。その楽しみ方は、ジャズと似ている。ある定型があり、それをプレイヤーが生演奏中にインプロビゼーション的に崩していく。その崩し方に面白さを見出す的なものだ。

 つまり、ある程度、型を知っていないと、楽しめない。感性だけではなく、知識も総動員しなくちゃ、楽しめない。それが、インド古典音楽なのだ。




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