I understand
今度こそわかった(かも)<ナ>の音の叩き方/タブラ修行82日目

2015.11.4 / India(Varanasi) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:晴 ネット:1
朝飯→サンドイッチ 昼飯→マサラドーサ&タリー 夕飯→エッグフライドライス / 宿→Joti Cafe(ダブル300ルピー)

(English)
I stayed in Varanasi.



 今日も11時からレッスン。ダーティンナパターンの応用バージョンをまずちゃんとできるようになったか、ということで師匠の前で叩いたのだが、相変わらず、通常のティンタルリズムとテンポが変わって叩いてしまう。Laharaに合わせて練習したのに・・・まだテンポ感が身についていないってことだ。引き続き練習あるのみ。

 さて、今日はいきなりまた叩き方を直された。ええ、いまだに叩き方を直されているんです。まだまだ基礎すら出来ていないってことなんです。で、直されたのは<ナ>の音。え?一回目の修行の時に「分かったぞ<ナ>の音の叩き方!」と何度も言ってたじゃない、とおっしゃる方、さすが、ちゃんと日記を読んでいらっしゃる。ええ、あの時は分かったって思ったんですよ。でも、実は分かってなんていなかったんです。まだ間違った状態、というか分かったつもりの状態だったってことなんです。

 師匠が教えてくれていることは、最初から変わらない。<ナ>の音を叩く時は、薬指と小指の位置をココに置いて、手の角度はこうで、手首はちょっと下げて、叩く時は指だけを使う。そして、人差し指と中指をふり、人差し指だけタブラーの端のこの位置にぶつけて音を出す、と正しいやり方を、ずっと言ってくれていたんですよ。今回も同じことを言われているだけ。

 何度も言われているのに、オイラは出来てこなかった。というか、なんか勝手に叩きやすいやり方に崩してしまっていたのだ。師匠が目の前で実践してくれ、さらにオイラの手の上で叩いてくれたりして、事細かく教えてくれて「分かった?」と言ってくれる度に「わかった」と答えていたのだが・・・わかってなんていなかったんですよねぇ。だから、勝手に型を崩しちゃう。

 で、今度こそようやく<分かった>んですわ。師匠の言う正しい型が、なぜ正しいのか、ようやくちゃんと理解したんです。これまでは、師匠の言う型の意味を理解するまで踏み込めず、ただ、師匠のやる正しい型を真似ようとしていたんです。それで、真似れたら<分かった>って言ってたんです。が、ホントの意味で分かってなんていなかった。意味が分からないから、型が崩れる。師匠にしてみれば、「分かってないじゃんか」ってなワケなのですよ。

 が、ケシャヴ師匠がいいのは、分かるまで根気よく教えてくれること。同じことでも正しいことは何度でも言ってくれること。いつの日か、気づけるんですよ。それまで辛抱強く教えてくれるのが、いい師匠なんです。

 今回は、第二回のタブラー修行で、毎日次々と<正しい型>が発覚していく流れがあったので、その流れで、直してもらった<ナ>の音の正しい型がようやくわかった感がある。他ので<正しい型>の作り方が見えてきたから、それを<ナ>の型にも応用して考えてみたら、突然<正しさ>を理解できたって感じ。

 理解、そう、やっと真似ではなく、正しさを理解できたんですよ。なぜ薬指と小指をここに置くのか、手の角度、手首の角度はなぜこうなのか、それらが<いい音>を出すためには、そうしなきゃいけないってことが分かったんです。

 物事を習得するには、見様見真似をすることから始まる。でも、それだけで<正しい型>に辿り着けることは実は難しい。出来たって自分で思っていても、それは<正しい型>ではなかったりするのだ。それをどうやれば<正しい型>なのか、ってことを<ちゃんと理解する>必要がある。で、この<ちゃんと理解する>ために必要なのが修行なのだ。やり方、理屈を知るだけでは、不十分。ただ<知る>ことでは、分かったことにはならない。何度もやり、何度も直され、他のモノも含めいろんな積み重ねを重ねた上で、ようやく<理解できる>ようになる。そこではじめて、分かったってことになるのだ。

 といっても、二週間後には、「あの時の<ナ>の叩き方が分かったってのは、まだ分かってなんていなかった。今度こそ、分かったのだ」なんて、言っているかもしれない。続ければ続けるほど、本当に分かる、ってことに近づくのが、修行。真実は、まだまだ先にある。

 「分かった」って思いながらも、まだ分かってなんていないのだ。ただ、分かったって勝手に思っているのは、山登りで言うなら、何合目まで登っているか確認している作業と同じ。

 さて、今日は、<ナ>の音の出し方が大事だったってのもあり、新しいフレーズは一つだけ。ティンタルパターンの最後に付け加えるフィルイン的なフレーズなのだが、これが、今までと違って、3小節目の最後から突入する5小節フレーズなのだ。

 師匠が言うには、「これは5拍子の曲用のフレーズだが、こうすれば、ティンタルの16ビート曲にも使えるんだ」とのこと。なるほど、そうか、結局どうやって埋め込むかということがポイントであって、フレーズ自体に、5拍子フレーズとか8拍子フレーズってのがあるワケじゃないんだ。目から鱗だった。拍子が違うフレーズも何回かくりかえし、拍数あわせることで、使えるってのは、一回目に教わったのだが、そういうこと。あの時は、その話はピンとこなくて、とにかくフレーズを覚えることだけで精一杯だったけど、今なら、その拍合わせの方に興味がいく。以前習った時にないがしろにしていた、拍を合わせた叩き方、もう一度復習してみよう。

 そう、これもそうだ。前に同じことを習っていたのに、その時には、ピンとこなかったのに、ようやく今になって<分かる>。結局、時間をかけなきゃ、ダメなのだ。それなのに、何事も時短でやってきた、これまでのやり方、生き方。ダメだったよなぁ。ホワン君に言われた「なんでなんでも急いでこなそうとするの?」という言葉。あれが、当時のオイラのダメっぷりを見事に表していたよ。

 さて、今日は、昼飯に前から気になっていた、地元の人たちで賑わっているカレー食堂へ寄ってみた。そこそこ美味い。やはり、人が集まるところは美味いんだな。インドでも同じだ。










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