(English)
I stayed in Varanasi.
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さて、今日も11時レッスン。昨日習った2つのフレーズから。これは問題なし。日々、習ったことはちゃんと次の日にはできるようになってきた。前回は習っても、出来るようになるまで数日かかり、それなのに毎日新しいフレーズを教えてもらっていたので、後半戦は覚えきれずにパンクしてたんだけど、今回はそんなことはなさそうだ。
と思っていたのに、師匠がノートを見返して、「数日前にやったこのフレーズをやってみろ」と突然言ってきた。その時にはちゃんとできるようにしたフレーズ。できるはずだと思って叩いたのだが、出来ない。ふおお、なぜ?「このフレーズは大事だから毎日練習しろと言っただろ」と師匠。「ええ、確かに・・・」「じゃぁ、なんでできなくなっているんだ?」ということで、今日はそのフレーズの復習練習。
本当は、次のコンポジションに進むはずだったのに・・・まぁ、師匠がなぜか次のコンポジションを思い浮かばなかったので、それをごまかすために前のフレーズをやらせたことで、出来ていないことが発覚。怪我の功名っていうか、今のオイラは新しいフレーズをどんどんやるより、前のフレーズが出来ていないことを指摘してくれたほうが、いい状況なのだ 。
これまでずっと<新しいこと>を追い求めてきた。それが退屈を吹き飛ばしてくれる刺激になっていたからだろう。が、それは単なる刺激であって、オイラ自身を変化させてくれるものではない。オイラ自身を変えてくれるのは、習慣。実は、同じことをやり続けるということ。太鼓に限らず、頭に入れたい思考であったり、語学であったり。自分を変えるのは、新しい刺激ではなく、前から知っていることを繰り返すことって、矛盾するようだが、これが真実。一見正しいと思うことが実は正しくなく、正しいのはその逆のことだったっていうことに気づくことが最近多い。
自分では出来ているつもりでも、体が覚えていないものなのだ。体に覚え込ませないといけないのが、楽器演奏修行。だから時間がかかる。
一応、本日も新フレーズには突入できた。師匠が、昨日習ったフレーズを発展させて新しいフレーズを教えてくれたのだ。人差し指から叩き始めるタのフレーズで、手首の回転を使うヤツ。
レッスン後、前回以上に猛練習をしたら、ようやくできるようになってきた。っていうか、やっぱり、前回の状態では、できるようにはなっていなかったのだ。これは<ナ>の音の時と一緒。その時はできたと思っても、実はまだまだ出来ていない。ただ、今までの<ナ>の音の時と違って、今回は、出来ていないことに気づくのが早いのと、じゃぁ、できるようにするにはどうしたらいいのか、ということが自分で修正を見通せるようになったってこと。
これを感じれるようになったから、ようやく基礎編が終わったって感じかな。今回はたまたま師匠がやってみろと言ったから、発覚したけど、これからは、<出来ない>ってことを、自分で気づけるようになり、修正方法も自分でできるようにならなきゃいけない。
さて、夜、同じ宿に泊まっている日本人の旅人さんとようやく話をした。実は、オイラが泊まっているジョティカフェには、もう一人日本人が部屋を借りて住んでまして。今までは顔を見るが、特に話をすることはなかったのだ。そんな旅人さん、昔はアジアを中心にいろいろ旅をしていたとのことだが、今はインドばかり来ているとのこと。インド訪問はもう数えきれないくらいだそうだ。以前タブラーをやっていたことがあるというので、インド音楽話で盛り上がる。映画も教えてもらった。
で、インドでのレイプ事件の話とか、地方に行くと怖かったという話とか、バラナシでもムスリムとヒンドゥーの対立があり、殺人や暴動なども実はある、と言う話を聞いて・・・自分が、いかにそういう話に疎かったかということに気づかされた。世界は平和だ、旅をしていても穏やかな毎日ばかり、と思っているのは、そういう事実から目を背けているから。実は、そういうことも起こってはいるのだ。
ただ・・・その時、タイでの暴動の話になったのだが、広場で暴動がおこり、警官隊が出動し、大変なことになっているが、そこから1km離れると、普通に屋台で食べ物が売られ、それを穏やかな顔で食べている人たちがいる、という日常が並行してあったりする。キビシイところにあえて顔をつっこまなければ、隣には穏やかな日常が展開されているものなのだ。オイラは、その穏やかな日常に入り続ける旅をしているのだろう。
さらに・・・こうした、緩やかな日常に漬かり、嫌になったら次に行くという旅生活を送っていても、幸せにはなれない。これまで、オイラが、旅に満足してこれなかったことからも分かるように。満足するには、自分のコアに向き合って、それを実現する努力から逃げてはいけないのだ。タブラー修行をして、出来ない自分をできるようにしてようやく、旅に満足できた。旅がエンターテイメントで楽しいというのは、それだけでは、楽しさに逃げているだけでしかない。
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