(English)
I stayed in Varanasi.
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今日は日曜日。今季2度目のタブラーレッスン休みの日だ。それにしても、前回の休みからもう1週間経つのか。時間の流れが相当速い。それだけ充実しているということなのだが・・・時間があっという間に過ぎていくことがちと寂しい。確実に上達はしているので、時間だけが過ぎていくという焦りはないのだが、ただ寂しい。たっぷり修行時間はとってあるので、まだまだ残り時間はあるものの、こんなにも楽しい時間がそのうちなくなってしまうということを思うと、ただただ寂しい。定期的にとるようにした休みはそういうことを感じさせてくれる。前回休みなくひたすら毎日レッスンをやっていた時には、こういう時間区切り感覚がなかった。一週間に一度休みを持つ。それだけで、こういう気持ちが芽生えるようになるというのが、面白い。
さて、これまでのオイラだったら、「休みなんだからタブラー練習もほどほどにして、他にやらねばならぬことをやろう」と思っていたところなのだが、今は違う。「休みなんだから、とことんタブラー練習をしよう」という気持ちなのだ。これは、いい意味でオイラが変わったこと。自分の中の優先順位をちゃんと<自分が一番やりたいことを今やる>ということに持っていけるようになったってことだ。
これまで、自分が一番やりたいことがあるにも関わらず、他にやらねばならないことがあるということで、それに時間を費やしていた。それは実は緊急性があるように見えて重要ではないことだったりしたのに。それが、一見緊急性はないようだが、重要なことを先にやれるようになったのだ。この意識改革はデカい。これができるようになるだけで、生活の充実度が一気に変わる。
日記書きは緊急度が高くて重要性も高いので、もちろんやる。が、その他のことは今、タブラー練習を差し置いてまでやらねばならないことか、というとそうでもないのだ。これまでは、それなのに、やっていた。実際カレー修行しなきゃとか、ビデオ編集しなきゃとか思っていたし。これらも、重要性は高いし、緊急度もそれなりにある。ケド、タブラーと比べるとどうなのか、ってことなのだ。
もちろん、これは、昨日の日記に書いたように、自己練習できる体になってきたというのも、デカい。今まで、タブラー練習から逃げていたのは、自己練習をやりたいとは思っても、やってもイマイチ面白くないというか、やる効果が見込めないっていうか、やることの面白さより、やらねば感にやらされる感じだった。それが、自己練習できる体になったら、練習とはいえ、やることが面白くなり、やらされている感が全くない。一日中やれちゃう感じなのだ。ご飯を食べる時間がもったいないと思うほどの勢いで。
ここまで気持ちが変化したら、独り立ちできるのだ。いつも、こうなる前に、修行を終えていたから身につかなかったのだ。今まで、いろんなところで太鼓修行をしてきて、いつも「よし、終わってから復習練習するぞ」と思うだけは思っていたのに、実際にこれっぽっちも出来ていなかったのは、こういう気持ちになるまで、自分を高めることができなかったからだった。
そして、実は、これが、意識高い系の人と、本当に意識高い人の違いなんだと、気づいた。これまでのオイラは意識高い系の人だったのだ。出来るようにならないのに、「修行やってま~す」とアピール。これじゃぁ、修行をやっている自分を見せたいだけの人、に見えてしまう。本当はちゃんと上手くなりたい気持ちがあるんですけど。でも、その後、身につけるための復習練習をしなくて、行動が伴わないし、やったことが身についてないから、修行をやっただけに見える。本人としては、現地で習っただけで終わらせたくないという気持ちがあり、ちゃんと身につけたいという気持ちがあるのだが、上に書いたように、自己練習できる体になる前に、現地修行を終えちゃっていたから、先が続かなかったのだ。先が続かないから、実態が伴わない。だから、<系>でしかなくなっちゃう。
そうではなく、自己練習できる体になるまで現地修行をし、休みの日でもただそれをやり続けている、という状態になれば、本当にそれをやろうとしているんだな、と傍から見ても思える。やり続けることで、いずれ、ちゃんとできるようになるだろう。そうすることで、<系>ではなくなることができるのだ。
タイのバンコクでお世話になっていたジュンちゃんのところで、「タブラー叩いて」と言われたのに、ちゃんと叩けなかったり、シンガポールのSKさんのところでも、同じような状況になったのにちゃんとは叩けなかった。「まだ習いはじめたばかりだからさ」という言い訳をした。実際習いはじめたばかりってのは本当ではあったのだが、あの時はこれまでと同じで、そのままでいてもいつまでも習いはじめた状態から脱せない男だった。ジュンちゃんもSKさんも「なんだ、できないんじゃん。習っただけの人か」って思ったに違いない。それはそれで、悔しかったけど、それでどうすることも出来ない自分にもまたもどかしさを覚えていた。だって、自己練習できる体じゃないから、それから頑張れないのだ。だから、モンモンとしていた。そう、これが、オイラの抱えていたモンモンの正体だった。
最近、ホリエモンの寿司職人の修行否定話題がネットで盛り上がっている。長年の修行なんて必要ない、なんて言うのは、才能があり、それで生きて行けている人の発言だ。擁護している人たちもそういう人たちばかりだろう。だが、世の中には、才能がないのに、それが好きでできるようになりたいと思う人たちもいる。長い時間をかけてやる修行とは、そういう人たちにとって必要な行程なのだ。これまでと違う自分にならないといけないから、時間がかかる。修行をやり終えたあとも、やり続けられる体にするために、やらねばならないことは、ただ技術を身につけるだけではないのだ。モチベーションを高めることであったり。ケシャヴ師匠の元でタブラ修行をしていて、つくづく思う。
現代社会は、こういう長い時間をかけてやる修行を否定する方向に行っていると思う。なんでも手軽に出来ちゃうからだ。そして、それなりにできれば、生きていけたりもする。でもそれが危険。オイラみたいに、本当にやりたいことが芽生えても、やり方が分からないから、ちゃんとできるようになれず、モンモンとした人生を送ってしまうことになってしまう落とし穴がある。
オイラがやるべきだったのは、自転車で世界一周するという面的な広がりで見聞を広めることではなく、一か所に留まって点的なアプローチで深堀りすることだったのかもしれない。今なら、タイでお坊さんに言われたことの意味が分かる。「世界一周するより、瞑想した方が、真実がわかりますよ」
もちろん、自転車で世界一周という体験を否定するワケじゃない。楽しいコトやためになるコトがたくさんあったのは事実。一番オイラにとってコアに近づくための体験はなんだったのか、というと、インドでのタブラー修行ってことになるだけだ。なによりも、ここに辿り着けたのは、自転車で世界一周というランダムウォークがあったからこそだし。
さて、自己練習できる体になったオイラが、本日やったことは・・・まずは、昨日習った新しいフレーズの反復。その後、二回目のレッスンに突入してから習ったことの総復習。その際、単にフレーズを覚え直すだけではなく、ちゃんと「どこを鍛えるためにやっているのか」ということを意識しながらやった。これはヨガで学んだ学習方法だ。そうすることで、練習がより効果的になる。例えば、手首の縦の動きのためのフレーズなのか、手首の回転の動きのためのフレーズなのか、それぞれフレーズによって、使う骨格や筋肉が違う。そこを意識して練習すると、やっていることの意味が分かり、練習がより面白くなる。こういうことが出来るようになるってのが、自己練習できる体になるってこと。
その後、昨日の夜に引き続き、第一回目の修行の時のビデオをひっぱりだし、そこで習っていたことの総復習。実は、第一回目でほとんど重要なテクニックはすでに習っていたことが判明。今やっていることは、本質的にはその時と同じことをやっているに過ぎない。だが、今は、その本質的なことを意識して、やれていることが大きな違い。一回目の時は、やっていることの意味なんて分からずただ、がむしゃらにやっていた。そして、同じことの繰り返しではあるが、意識してやれている二回目は、本人にとっては全然意味が違ったものになる。だから、まだ修行を続ける意味がある。「とりあえず、一通り習えればいいや」とこれまでなら思っていた。そういう考えだったら、タブラー修行は一回目だけで十分だった。でも、修行ってそういうもんじゃないってことが分かったのだ。むしろ、一通り習った後からの期間が重要。そこから先もしばらく師匠について、習うことで、ようやく自己練習できる体になれるのだ。それまで、修行を終えてはいけない。
さて、自己練習できる体になったのを実感するのは、夕飯後、ちょっと休憩時に、ネットでタブラーを調べていて(こういう時に、ニュースとかを見なくなったのも優先順位が変わったから。いい傾向だ)、まだ習っていないフレーズの練習パターンがあったりしたのだが、「これを練習してみよう」と思えるようになったってことだ。これまで、タブラーの譜面とか、意味不明だったのだが、今は見ても分かる。Youtubeで動画だったりすると、余計分かる。今やこういう練習素材がネットにゴロゴロ転がっているんだから、練習し放題じゃんって思えるようになったのだ。
ただし、こう思えるようになったのは、自己練習できる体になったから。これまでのオイラが、こういうネットコンテンツに出会って、仮にやりはじめたとしても、絶対途中で挫折していたはず。そうならなくなった。いやぁ、成長したなぁ。
結局、今日は、部屋から出たのは、昼飯時と夕飯時だけ。あとはずっと部屋に籠ってタブラーを叩いていた。それでも、まだ復習しつくせない。時間が足りない。う~む、レッスンは、週休二日制にすべきか?
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