(English)
I stayed in Varanasi.
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さぁ、タブラー修行第三週目に突入だ。一週目は叩き方の再確認、二週目はタブラ&インド音楽に関する知識吸収ってのがテーマになった。しかし、結局それらは復習っていうか、まだ基礎編って内容。二回目ならではのレッスンには未だ突入していない。まぁ、一応少しづつ応用事項を習っているのだが・・・第三週こそ、本格的に応用編に突入か!?
昨日たっぷり復習する時間があったので、先週末に習ったフレーズは、ちゃんとできるようになっていた。と思ったら、叩く分にはちゃんと出来ていたのだが、フレーズを歌うことが出来ていなかった。師匠に歌を指摘され続ける。ちゃんとフレーズを歌えないとちゃんと叩けないぞ、と。確かに、その通りだと、最近ようやく実感できるようになり、歌もちゃんと歌うようにするようにしている。
先週末教わったのは8小節パターンだったのだが、今日はそれに8小節追加して、16小節パターンに。ただの繰り返しだ。つまり、新しいことは何も教わっていない。フレーズ的には物足りない感じなのだが・・・今日はこれで十分。というのも、ディンナケナパターンの叩き方を指摘され、それを修正するのに精一杯になったからだ。昨日、復習時に、手首の回転を使いながらやるよう、心掛けてやってはいたのだが、不十分だった。というか、叩く時の手の位置とか、ディンナのナの音の叩き方とか、いろいろ間違っていたのだ。それを師匠に指摘され、修正。毎回、3歩進んで2歩下がっている。
しかし、手首回転を意識するようになって、相当叩きやすくなった。というか、これまでの自己流の叩き方を止め、手首などを使うちゃんとした叩き方をするようになって、ようやく、太鼓を叩ける体になってきた感じ。
ギターを弾きたかったのに指が動かず断念し、代わりに、叩くだけでそれっぽく演奏できるから、という理由で始めた太鼓。太鼓は、まぁ、最初からそれなりに叩けちゃったワケなんですよ。これが、いけなかった。ギターが弾けるようになるには、指が動くようにしなければならなかったように、結局、ドラムも、本当は、ちゃんと叩くためには、叩けるようになる体にしなくちゃいけなかったのだ。なのに、それなりに叩けちゃったから、そのまま自己流を押し通してしまった。だからやり始めてしばらくたってから、壁にぶつかって、ずっとモンモンとする羽目に。
太鼓を叩ける体とは・・・結局指や手首をちゃんと動かせるようにすること。ギターやピアノと同じなのだ。ドラムだから簡単ってワケじゃない。実は楽器は何をやっても指や手首が重要なのだ。以前、イスタンブールでナイル師匠が言っていた「前にピアニストがダラブッカを習いに来たんだけど、彼女は、あっという間にダラブッカをマスターしちゃったよ。指の動きの基本が出来ていたからね」と。
オイラが今まで太鼓をちゃんと叩けなかったのは、テクニックを知らなかったからとかそういうことじゃない。太鼓を叩ける体、太鼓を叩ける手ではなかったからだ。ドラムを自己練習していた頃、村上ポンタさんの教則ビデオを見たことがあった。その時、冒頭で、「最初、スティックを握らせてもらえなかった。だから、まず、スティックなしでできることから始めたんだ。それは、ドラムを叩く体を作るということ。手の動きを筋肉とか意識して動かすことから始めて、ドラムを叩く体を作っていったんだ。これが大事」と言っていたのだ。が、当時、オイラはその言葉の意味が全然分かっていなかった。また、高校の時、ブラスバンド部の太鼓隊の人たちが、毎日ずっとスティックコントロールの練習ばかりをしていて「そんなことに貴重な青春の時間を使っちゃって」なんて思っていたのだが、実は、大事な青春の時間を無駄に使っていたのはオイラの方。こういうことをやることこそが、高校の部活として大事なことだったのだ。あれで、体を作ることの意味、基礎の大事さを彼らは実感していたのだろう。今オイラが感じているようなことを、高校の時にすでに分かっていたに違いない。一方のオイラと言えば・・・高校の時、柔道をやっていたのだが、顧問も出てこないような部活だった。つまり、ちゃんと教えてくれる人がいなかったのだ。楽しかったが、そういう部活ではダメだったんだ、と今、思う。中学、高校の時に、ちゃんとこういうことを指導してくれる師匠に出会う、これ、大事。
一回できる人に高みに連れて行ってもらう必要がある。そうすれば、後の人生自分でやっていける。が、そういう人に巡り会えないと、高みを知らないもんだから、いつまでたっても山に登れないのだ。ただ、山に登る時はちゃんと、オイラのところに降りてきて一緒に上ってくれる人じゃないとダメ。高い位置からあれこれ言うだけの人では、結局、そこまでの登り方が分からない。
ケシャヴ師匠は、ちゃんと降りてきて一緒に上ってくれる人だった。この人と一緒に上って、基礎編の山に登りきれたことで、ようやく、太鼓の世界を見渡せるようになった。そして、基礎編を登り切ったことで、太鼓道の登り方が、分かった。
次の山が見える。面白い。見える世界が変わった。全然違う世界が見えるようになった。あ~、早くこの世界に来たかったな。
そして、ようやく、<どうしたらいいのか>っていうことが分かってきた。太鼓の体はまだ出来上がっていない。ケド、どうやったら完成体ができるのかってことは分かってきた。後はそれをやるだけだ。自分でできるよ・・・と今までは、そう思った時点で修行を止めていた。が、それは大きな間違いだったのだ。修行は、そこからが本番。分かってきたって、思っても、それは分かったつもりでしかないのだ。そして、修行は実はそこからが面白くなる。分かったと思っても、修正されまくる。そして、それを乗り越えたら、ようやく基礎が出来上がる。基礎ができると、師匠の言っていることが分かるようになる。見える世界が変わる・・・ってワケだ。まぁ、面白くなるかどうかは師匠次第なのだが。ケシャヴ師匠だからそういうことが言えるんだと思う。
たぶん、また師匠に直されまくることになるとは思うのだが、太鼓体になるために、左手強化を始めた。太鼓体になってくると、太鼓がスムーズに叩けるようになる。左手に違和感を感じまくるのは、太鼓体になっていないからなのだ。上手い人が叩くのを見ていると、体の動きが美しい。それは太鼓体になっているから、なのだ。
宿に戻ってからもひたすら、練習。練習するのが苦ではなくなってきた。というか、時間が全然足りない。あと一日20時間くらい練習時間が欲しい。
3週目に入ったので、ちょっと生活に変化を加えようと、ジャンベを始めた。昨日、ネットで太鼓を調べていたら、ちょうどいいレッスンビデオをYouTubeで見つけたからだ。本当はカレー作りに突入したいんだけど、そっちはなかなか入れない。まぁ、今は太鼓以外に意識がいかないから、ジャンベに手を伸ばすくらいが精一杯かも。で、ジャンベを叩いて、太鼓体が作られていることを実感。今まで、ジャンベって叩いていても、しっくりこなかったんだけど、めっちゃしっくりくるようになっているじゃないですか。あ~、この状態で、西アフリカに行ってジャンベ修行をやりたかったよ。やっぱり、西廻りで旅すべきだったかな~。
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