(English)
I stayed in Varanasi.
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バラナシ生活では、ずっと8時に起きるようになっちゃっているのだが、もうちょっと時間を有効に使いたいと思い、7時に起きることにした。が、昨日から肩を中心に柔軟を強化する作戦を開始したので、朝のヨガ時間が増え、結局、一日のスケジュールは何も変わらない。1時間使える時間を増やした分、新しいことをしようと思ったのに。まぁ、バラナシ生活では、タブラに関係あるコトだけに集中したほうがいいかも。実際、今はそれだけで手一杯だ。
さて11時からレッスン。今日からパソコンを持ち込んでLaharaに合わせて叩くことに。合奏の本格練習の開始だ。普通の8小節フレーズとか16小節フレーズを叩くのであれば、メトロノームでも十分練習できる。が、Laharaというミニマルな小曲に合わせて叩くのには、ワケがある。チャクラダールのような、小節無視のフレーズを叩くと、小節の頭がどこか分からなくなってしまうのだ。その点、Laharaはメロディーというかうねりがあるので、今何小節目の何拍目なのか、ってのが、聞いているだけで分かるのだ。まぁ、その<何小節目の何拍目を叩いているのか分かる>ようになるのがこの練習のポイント。それを掴むことで、実際に楽器と合わせた時にも、ズレることなく叩けるようになるってワケなのだ。
まぁ、単純に、機械的なメトロノームと合わせるより、音楽的なLaharaと合わせるほうが、やっていて楽しいってのがある。
で、これまで教わったトゥクラやチャクラダールをひたすらLaharaと合わせる。いちおう教わったフレーズはちゃんと復習練習しているので、叩ける。師匠のダメだしが出ることなく、次々とフレーズをこなしていったのだが・・・
後半、あるフレーズで、師匠からダメ出しをくらった。フレーズが叩けないとか、リズムがズレるとかではない。また叩き方の問題だ。しばらくやっていなかったデラデラパターン、このデラデラの叩き方がなっていないと。そう、結局いつまでたっても指摘されるのは、叩き方なんす。まだまだ基本が出来てないんすよ。最初に正しい叩き方を教わったはずなのだから、その通りに叩けていれば、なんら問題ないはずなんだけど、時間が経つとどうも、その正しい叩き方から外れてしまっている。自己流に崩しちゃっている。こっちのほうが叩きやすいからと思って崩しているのだが、実はそれは叩きやすくはない。正しい型がやはり一番叩きやすいのだ。じゃぁ、なぜ崩してしまうんだろうか?結局分かっていなかったから、それっぽくやっていただけ、ってのが一つの理由。一度習っただけでは、理解できないのだ。時間をかけて他のこともやりながら経験を積むことで、ようやく理解できる心の状態になれる。その時に言われれば、ようやく「なるほど」と納得して型ができるようになるってワケだ。
結局、人間ってそういうものなんだと思う。最初は、自分自身の思い込みとかいろんなものがあり、正しいものが見えない。それがやっていくうちに、失敗とかしながら、正しくないものに気づいていき、言われていたことの正しさにやっと気づけるってワケ。オイラの場合、正しいものが見えない状態が長すぎた。それは、失敗を避けてきたし、正しいものを教えてくれる人や本と出会っても、一回の付き合いでおさらばするようなやり方をやってしまっていたからだ。ホント、人生を無駄にしてきたよ。
大事なのは、正しいものを教えてくれる人や本とは、何度も何度でも付き合うってことだったのだ。だって、一度では見えないものだから。それなのに、見えたつもりになっていたのが、大間違いだった。
この、何度も何度でも付き合う、ということを教わったのが、タブラ修行の一番のポイントだ。自転車旅では、これは体験できない。移動型の旅は、結局、<逃れる>ものだからだ。自転車旅は、ランダムウォークでしかない。より多くのものを見る、自分の知らなかったことに出会う、そういうことをするにはいいのだが、人生の本質を見極めたり自分のコアを満たしたり出来るものではない。それは、逃げずに何度も何度でも付き合う深堀りが必要なのだ。コツコツ続ける10000時間の法則、これを合わせてやらねば、旅をしてても、いつまでたっても、どこにも辿り着けない。
話を戻して、レッスン話。今日指摘されたのは、デラデラパターンだけでなく、左手も。昨日から調子に乗って左手の指強化を始めたのだが、それを使う叩き方をやっていたら「左手は手首で叩くものだ。教えたはずだろ」と、師匠からまた基本の指摘。はい、そうでした、ということで、左手の手首で叩く練習もやることになり、Lahara合わせは一端終了。今日は、デラデラパターンの練習と、左手手首練習となり、続きは明日へ持ち越し。
「教えたことがちゃんと出来るようになっているか、総復習だ」と師匠が言う。そうなのだ、そういう時間が必要なのだ。ついついお金を払っているのだから、新しいことを教えてもらわなきゃ損損、なんて経済合理的には考えちゃうんだけど、そういうことじゃない。お金云々ではなく<修行>として意味があることがやってもらえることの方が大事なのだ。
前に教わった時にちゃんと出来るようになっていれば、こんな足踏みをすることないのに・・・と嘆く必要はない。人間、一回教わったくらいで、ちゃんと出来なんてしないのだ。それなのに、一回教われば十分って思っちゃうことが問題なのだ。そうじゃなくて、大事なことは何度でも、繰り返し教わることが、大事。自分で分かっているつもりでも、分かってなんていないのだ。それは、<ナ>の音がもう何十回も叩けるようになったと思っても実は叩けるようになっていなかったことで、分かる。
結局、今日は16時まで、そのままアシュラムで個人練習。その後宿へ戻ろうとしたら、師匠とが居て、しばしカレー談義。ケサリのカレーが好きだという師匠。あそこのカレー、甘いですよね、と言ったら、あれはカシューナッツの甘さだ、と。なるほど、そういうことだったのか、砂糖じゃなかったのか、ってことが新発見。こうやって、話を聞きながら、カレーについて知っていくのも勉強だ。それにしても、やはり現地に来て、食べまくるというのは、絶大な効果がある。食べ周っただけで、今までとは違うカレー感が自分の中に出来上がった。
さて、夜、今日もストレッチについて勉強。ストレッチって縮んでしまった筋肉を伸ばすためにやるもんだったんすな。そんなことも知らなかったオイラ。実は、なんにも知らないってことに、気づいた。こういうことに気づけるようになったのも、タブラ修行効果。タブラ修行で高い山に登っていると、下界のいろんな山が見えるようになってくる。これが、今まで気づけなかったことへの気づきとなっているのだ。
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