(English)
I stayed in Varanasi.
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朝の時間は、ヨガに鼻呼吸だけでなく、喉呼吸のトレーニングも加えることにした。今回の風邪で鼻に影響がなかったのは、ヨガの鼻呼吸のおかげだったに違いない、と思いまして。喉もヨガでやれば、風邪にかからなくなるのではないかということで、鼻呼吸の要領を応用して、喉呼吸も始めてみました。果たして効果のやらはどうなることか。
それにしても最近、いろんなものに、目がいくようになった。というか、これまでの視野が狭すぎたのだ。猪突猛進型のオイラは、興味があることにはとことん行くが、興味のないことは全く見なかった。それが今や、めっちゃ興味が広がってきて、いろんなものが見れるようになってきた。いろいろ知ると、世の中面白く感じれるようになるし、生き方も楽になる。なのに、どうして、狭い見聞しか持てなかったのだろう。一か所で平穏に暮らしていると、それ以上知ろうという欲求が沸かないのかも。元来めんどくさがり屋ですから、オイラ。他をやらなくていいのであれば、めんどくさいことはやりたくない。
そんなオイラが旅にでようなんて思っちゃったのは、単純に面白そうだったからってことなんだけど、旅に出ても、めんどくさがり体質は変わらず。実はなるべく動きたくない(笑)。だから、沈没地が増えるし、沈没していた方が、落ち着く。それでも旅して移動はしているから、新しい情報は入ってきて、自分の頭の中の検索ワードが変わったりするので、それなりには見聞が広がってはきた。ケド、本質的なところで、ものぐさだから、せっかく世界に出ている割には、世界のことを知らない。最初は、テンションが高かったし、承認欲求もあったし、人に負けたくないってのもあったから、見栄みたいなものに突き動かされて、いろんなところには行ったけど。後半、そういう見栄みたいなものがなくなってきたら、食べ物と太鼓以外に目が向かなくなってしまった。
で、カレー修行を終え、太鼓修行も、タブラ修行のおかげで、だいぶ満足度が高くなってきたところで・・・興味の枠が広がってきまして。要は、オイラの中で、ずっと気になっていたことがあったんすな。カレーであり太鼓であり。それをやらねばって思っていたから、自然と意識がそれだけに向かうようになっていたんですわ。で、それが自分の中で大成されてきたから、心に余裕が出来てきた。だから、他に目が向くようになったのかも。
今までずっと、興味が狭かったのは、長い間太鼓とカレーを中途半端な状態で放っておいたからだったんだろう。これをさっさと極めれば、もっと世の中のことに気を向けることができたんだと思う。
つまり、何かを達成しないと、常に自分自分となってしまいがちになる。逆にそれを達成してしまえば、心が外に向かうってことだ。大人になるってそういうことなのかも。そして、これが通過儀礼なのかも。
今までのオイラは、ホント、自分自分だった。他に目を向ける余裕がなかった。ネパールの地震も、フランスのテロ事件も、正直、なにもできなかった。それは、自分で精いっぱいだったから。でも、今は、それらのことに心を配れる。なぜなら心に余裕が出来たから。
旅に出たから、外に目が向くようになるかというと、実はそうでもない。自分の中に解決すべき問題を抱えたままだと、結局自分の中に籠ってしまうことになる。それを解決してくれるのは、たぶん旅じゃない。ヒントは旅に転がっているかもしれないが。解決してくれるモノを見つけたら、それにまい進すべし。そうすれば、心が広くなる。
さて、ミクロに見てみると、タブラ修行もそう。ずっと懸念していた叩き方。これが、ようやくほぼほぼ正しい型になってきたのだ。と、思っているのは、またオイラだけで、師匠はまだまだ直しまくるんだろうけども(笑)でも、とりあえず、自分の中でだいぶ納得感が出来てきた。そしたら、やっぱり心に余裕が出来てきた。今まで放っておいた、フレーズとかに気が行くようになった。<音を出すだけで精いっぱい>だった状態から、<ノリのあるリズムを叩こう><スピードアップする練習をしよう><フレーズを組み合わせてみよう>とか、次のフェーズに心が向けるようになってきた。
いや、レッスン的には、もうその応用編フェーズに突入しているんですけど・・・師匠はもう、そういうことを教えてくれているんですけど・・・やっぱり、オイラのほうがついて行けてなかったんですわ。いつもそう。教えてもらっている時にはワカラナイ。分かるようになるのは、ずいぶん経ってからなのだ。毎日新しいフレーズを習っちゃっているから、教えてもらっている時は、前に教えてもらったことで精いっぱいだからだ。
だから、インドの教育法では、タブラを教える時には、出来るまで次を教えないのだ、ということにやっと気づいた。前のモノに心が行っている状態で次をやっても、前のものに心が捉えられたままか、前のモノを忘れてしまうかのどちらかだからだ。
オイラの場合、次々と新しいものをやって、前に取り入れたものも次々と忘れ去っていたってのがこれまでだった。で、結局、気になっていたことが解決されないから、ずっとそのことに囚われていて、一応、その情報を集め続ける。でも、前に集めたものは忘れ続けているから、いくら集めてもきりがないという、悪循環に陥っていたのだ。
どこかで、ガッチリと、自分に折り合いをつけなければいけないのだ。いつまでも自由に逃げていても、影はずっと追ってくる。
さて、今日のレッスンは、昨日のフレーズの応用。<ダーダーデテテテ、ダゲテテ・・・>フレーズだ。今日のも、個々のフレーズは叩けるのに、組み合わせると叩けなくなる。「まずは、歌え。歌えないから叩けないんだ」と師匠。ええ、歌います。今までは、自分で歌うことは興味外だったんですが、最近は歌うことにもめっちゃ興味が出てきてますんで。いい傾向だ。
そして、師匠は、最近、「速く!もっと速く!」と速度を要求するようになってきた。「いや、オイラはもっと、ゆっくりとちゃんと叩きたいのだが。速く叩くと型が崩れちゃうんですよ」って思うのだが。う~む、それにしても、この現象、以前と逆だな。以前は、オイラが速さを求めて、師匠はゆっくり叩くことを指示していたのに。
11時からレッスンをして、昼飯ごちそうになって、15時まで練習。その後、16時半から18時まで宿で練習。一日中タブラ練習をやっているような気になっているのだが、練習時間を実際にカウントすると、一日5時間程度しかやっていない。う~ん。
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