(English)
I did Vipassana Meditation all day long.
|
|
朝4時起床。これは意外と苦ではない。目覚めもちゃんとしているし。そして、生活パターンは昨日とまるで一緒。4時半から瞑想が始まって、朝飯、昼飯、夜のお茶・・・全てがタイムテーブル通りに進んでいく。メディテイターは生活に惑わされることなく、ただ、瞑想に集中すればいいのだ。
ちなみに、10日間の瞑想期間中は、携帯電話はもちろん、カメラも没収されてしまうので、新しい写真は撮れない。ということで、日記の写真は到着当日、カメラ没収前に撮った写真を繰り返し使うことになりますので、あしからず。
さて、今日はひたすら鼻付近の三角地帯に意識を集中させての呼吸観察に没頭。といっても、これが集中できているのかどうかという自覚はない。雑念というか、いろんな思いは相変わらず頭の中に浮かびまくるし。ただ、呼吸観察に本当に没頭できる瞬間があって、その時は頭の中に他の考えや感情が浮かんでこないなぁ、くらいのことは思っていた。
それにしても、実は頭の中に浮かんでくる思考や感情よりも、呼吸観察を邪魔するのは、座り方問題。すぐに足が痛くなって、意識が腰や足の痛みの方ばかりに行ってしまうのだ。正座ではなく、胡坐をかいて座っていたとしても、長時間座り続けていると、腰が痛くなる。足も痛くなってくる。ということで、体勢を変えてみたり、足を伸ばしてみたりと、体を動かしたくなってしまうのだ。ヴィパサナ的には、そういうのは、思考や感情の一種であり、いずれ消えていくものだから、放っておけということなのだが、修行が足らないからなのか、放っておくと腰や足の痛みは増すばかり。一応体の体勢を崩すことは許されているので、たびたび休憩をかねて、体勢を変えてみる。しかし・・・この種の痛みは増すばかり。そもそも、痛みってカラダを守るための危険信号なので、放っておくのはよくないことなんじゃないんですかね?
のちに自覚できたのだが、この種の痛みは、体勢に無理があるから起きる軋みみたいなものだった。だから、基本的に体制を無理ないものにしない限り消えることはない。普段の生活で感じている慢性的な頭痛や肩こりと同じだ。そして、これらは、逆に感じれなくなるほど耐えてしまうと危険みたい。オイラの肩問題や左手問題のように、それが要因で太鼓が思うように叩けないなどの弊害を生むことになるのだ。
逆に言うと、そういうことに敏感になり、それに気づくのがヴィパサナ瞑想の効果だったりする。普段意識しない<カラダ>に強制的に意識が向くようになってくるのだ。
まぁ、2日目ではそこまで自覚は出来ておらず、なんで前に座っている上級者たちは、ずっと動かずに耐えられるのだろうとひたすら疑問に思っていた。で、そういう人たちは決まって姿勢が綺麗。無理ない姿勢だったのだ。それに比べてオイラは、後から気づくのだが、体が右に曲がったりしていた。そりゃ、体がきしんでくるわけだ。
さて、夜の講話を楽しみにしていたのだが・・・日本語のテープの調子がおかしいということで、急遽英語で講話を聞くことに。英語での講話は、意味を理解するのがなかなか厳しかった。単語を知らない専門用語が多かったからかなぁ・・・と思っていたのだが、後日、オイラの場合、英語が分からないワケじゃない、英語だからということで、話に集中できないことが問題だったのだと分かった。これは、英語を学習しはじめた頃ついてしまった悪い癖。集中さえしつづけていれば、英語といえども話は分かる。その証拠に、集中している旅中の英会話はなんとかなっているじゃないか。
ただ、内容に集中できなかったものの、ビデオの中で話をしてくれている人の話し方はなんとなく魅力的なものを感じていた。後から分かるのだが、ビデオでとくとくとヴィパサナの効果についてお話している人は、ヴィパサナのお偉いさん、グエンカ・グルジーだった。後にオイラの「旅で出会ってよかった人リスト」に入ってくるお方だ(グエンカ・グルジーは、ビデオを通して知っただけで、実際にはお会いしていないのだが)。
さて、今日も、講話の後、30分ほど瞑想し、一日が終了。9時過ぎに部屋に戻る。今日も寝つきがよく、そのまま就寝。
|
|

|