(English)
I did Vipassana Meditation all day long.
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ヴィパサナ瞑想5日目。昨日、集中力をコントロールできるようになり、俄然面白くなった。ひたすら体の中を集中力を動かし戯れる。いや、戯れるんじゃない、体中に集中力を巡らせながら、観察し、体内で発生しているセンセーションに気づき、さらにそれを観察する。これが、ヴィパサナの実践法。
これ、病院でCTスキャンをやるのを自分でやっているようなもの。体内を自分でスキャンして見る?そんなことが可能なのか?なんて思うかもしれないが、見るとはいかないが、感じることは出来ちゃうのだ。体の痛みやしびれを感じることは誰でもできるでしょ。それが集中力を上げることで、より精度よく感じれるようになるので、自分の体の詳細が自分で分かってくるようになるってワケ。
そうか、たぶん、<レイキ>とかいうのは、こういうことを自己ヒーリングにつなげているんだな。この集中力玉は、そういう応用もたぶん、可能なのだ。
さてさて、まず、今の課題は体内をただ観察し続け、センセーションに気づくこと。要は、鼻呼吸の要領を、体全部に展開しているってワケだ。ただ、呼吸は感じやすいのだが、体の他の部分のセンセーションは感じにくい。集中力を高めれば、微細な動きも感じれるようになる、とは言われるのだが、オイラの集中力はまだそこまで高めれないのか、なかなか感じにくい。
ただ、肉体的なセンセーションではなく、意識的なセンセーションはバンバン感じれる。相変わらず妄想思考は止まらないのだ。集中力を体に巡らせている間も、ちょっと気を緩めると妄想が始まる。ただ、ヴィパサナ的にはこれはあり。この、妄想が想起するってのも、体内で起こるセンセーションの一つと捉えるのだ。ただ一つのことだけに集中しろと言われるサマタ系の瞑想とヴィパサナが明確に違うのはこれ。ヴィパサナは完全に集中はしない。集中していないところで起こったことも、受け入れるというのが、ヴィパサナ特有のものであり特徴なのだ。
で、この妄想ってやつは放っておくと、肥大に膨れ上がる。が、この妄想のセンセーションに気づき、そこで、「これは妄想」とラベリングしてしまうことで、その妄想を消すことができる。これが、ヴィパサナテクニックの素晴らしいところ。今まで、妄想を妄想としてラベリングすることはなかったし、それを止める術を知らなかった。ただ、ラベリングするだけで消えるだなんて・・・コロンブスの卵っていうか、目から鱗の大発見。
で、これが、心を綺麗にするということにつながる。そもそも、心ってのは、この妄想が発生するのと同じメカニズム。思考やら感情やら、肉体と同じように起こるセンセーションの一つなのだ。それを意識して、ラベリングして消してやらないと、次から次へと発生した思考や感情、さらにそれらが肥大するので、心が溢れてしまうのだ。
メモ魔なオイラがやってきたことは、結局心の浄化だったんだと、気づいた。忘れないようにメモしていたワケじゃなく、忘れるためにメモしていたんだ、と。メモとはラベリング。これをやることで、頭の中に占めていた妄想が一旦終わる。それに薄々気づいていたんですよ。そのことを明確にさせてくれているのが、今のヴィパサナ実践。
さらに、芸術っていうのは、このラベリングを行っているんだって思った。素晴らしいと感じる絵を見た時や言葉を聞いた時、心がスッキリすることがあるじゃないですか。あれは、きっと、自分の中にラベリングしきれない感情や思考があり、それが渦巻いてモヤモヤしていたのを、綺麗に浄化してくれる現象なんですよ。
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