Vipassana Meditation 9th Days
ヴィパサナ瞑想9日目/今まで概念だけで生きてきた自分に気づく。だからリアルを感じれなかったのだ

2015.12.12 / India(Sarnath) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:曇のち晴
朝飯→ポリッジ 昼飯→カレー的なもの 夕飯→チウラ / 宿→ヴィパサナセンター(個室)

(English)
I did Vipassana Meditation all day long.



 ヴィパサナ修行9日目。あと2日だ。永久に終わらないかと思っていたのに、あと2日で終わるとは。終わるのは嬉しいが、いざ終わるとなると、ちょっと寂しい。もうちょっと続けてみたい気もする。旅の終わりもきっとこんな感じの心境になるんだろうな。

 一応、昨日、ダンマを体感できたので、満足。満足をしてしまったからか、集中力が途絶えがち。妄想が始まってもラベリングをして止めることができず、以前のように妄想が果てしなく続くことが多くなった。

 さて、それはそうと、集中力を全身に巡らせている時、右肩が痛いのに気づくと以前に書いたじゃないですか。その痛みは相変わらず続き、今もまだ痛い。で、集中力を巡らしている最中に、たまたま体を左に傾けることがあったのだが、その時に右肩の痛みが和らぐことに気づいた。

 アレッと、思って、オイラ的に左傾きの姿勢にして座り続けてみたら、見事に右肩の痛みが消えるじゃないですか。どういうこと?と思って、今までのように痛みを感じる体勢に戻して、目をあけてみたら、世界が曲がっていることに気づいた。そう、オイラの体は、実は右側に傾いていたのだ。が、これまでのオイラは、それをまっすぐだと思っていたってことが衝撃だった。やはり、目の情報は脳内で相当な概念補正がかかっているってことなのだ。カメラで捉えた単純な光の集合体であるRAWファイルと、人間の目で見ているように補正したJPEGファイルの違いのようなもの。人間の目の情報は、いかに概念が混ざっているか、ってことに気づくことになった。

 さて、気を巡らせることで、自分自身で体の異変に気づけて、さらにそれを直すことができるっていうのが、面白い。これを発展させていけば、気功師のように、他人の体を直すことが出来るようになるのかも。

 それにしても、時間をかけてじっくりと自分で観察していくと、ホントにいろんなものが発見できる。しかも、実感を伴って。このやり方を、すっかりやらなくなってしまっていたのが、オイラのこれまでの人生の敗因だった。

 いつからか、答えをショートカットして探すようになってしまった。答えを自分の体験で探すのではなく、どこかに書いてあるであろうから、書物を探していたのだ。

 ゲームを攻略本を見ながら解き続けるようなものだ。自分自身でゲームを楽しむことは全くやっていない。ただ、答えの通りにやって、前へ進んでいる(ように見えている)だけ。

 そりゃ、虚しくなるわけだよ。

 本当に出来ることと、出来ているようにみえることとは違う。なのに、出来ているようにみせることで褒められることがある。それで、調子に乗ってしまう。それでいいんだって思ってしまう。

 子供には、本当に出来ることだけを褒めてやるべきなのだ。テストで100点を取ったことを褒めるのではない。たとえ30点で会っても、一つの問題に時間をかけて、それを自力で解いたのであれば、それを褒めるべきなのだ。

 答えはどこかにあるワケじゃない。自分の中にしかない。太鼓が一気に上達する秘伝技なんてどこにもないのだ。ただ、自分の体を探求し、自分自身で見つけていくしかなかったのだ。

 タブラ修行で薄々感じはじめていたことが、ヴィパサナ修行をやることで、ものすごく明確になった感がある。




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